裏路地通りの殺人
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また、こちらの都合で削除することがございます。その際は申し訳ございません。
9/12 紫澄姫の登場シーンを加筆修正。物語に大きな変更点無し。――一応伏線的なモノは増えてはいます。また、放火犯に《私刑断罪者》と名前をつけました
11/4 微修正しました!
僕はその場に居合わせてしまい、絶句した。
学校の帰り。寄り道のし過ぎで思いのほか帰る時間が遅くなってしまい、近道である人気のない路地裏を通り抜けようとして、僕はそれに遭遇してしまう。
目の前にいるのは二人の人間。一人は派手な服装をした女性で、アスファルトの上に仰向けに倒れていた。
もう一人は和装の喪服に身を包んだ女の子だ。馬乗りになって、倒れている女性に対して作業を行っている。
人体を解体すると言う作業を。
周囲に散乱するのは、鉈や斧や包丁やナイフやハサミと言った何種類もの刃物とおびただしい血痕、そして内臓。それらを周囲にまき散らしたのは、目の前にいる鋸を持った女の子以外に、状況的に考えられなかった。
僕はその光景を見て、少し前からたびたび聞くようになったニュースを思い出す。
一年ほど前から、大体一か月ごとに起こっている「娼婦殺害事件」。被害者は皆体を解体された状態で見つかり、今なおその犯人は捕まっていない。
あまりにも長く続いていたため、今となっては、また起こったのかという程度の認識でどこの誰のモノともしれぬ悲報を聞いていた。しかし、実際に現場に遭遇してしまえば、嫌でもその名前を思い出さざるを得ない。そう、名前は――
「《和製ジャック・ザ・リッパー》……」
その時、切り裂き魔の女の子がばっと振り返った。僕はその返り血を浴びた顔を見てドキリと心臓を跳ね上げる。
思わず口を告いで出てしまった言葉。周囲は軒並み静かで、僕の声を隠す環境音は何もなかったのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
「見ちゃった――?」
はい、思いっきり見てしまいました。僕はこちらを見返す黒と緑の瞳に、視線だけで懺悔を行う。
「そう――」
すると、僕の言いたいことが伝わったのか、女の子はその場から立ち上がった。背中にかかっていた長い闇色をした髪の毛が、さらりさらりと重力に引かれてゆく。
「見ちゃったのなら、ごめんなさい」
思いのほか小柄な少女は、人形のように整った、いっそ青白いとも言えるきれいな無表情でこちらを見据えながら、小さな唇で謝罪の言葉を紡いだ。
「あなたには死んでもらわないといけ――」
「あ、あの――」
「――?」
「一目惚れしました。付き合ってくださいッ!」
「…………」
重苦しい空気が、ますます重くなった気がした。僕こと杉信 大志十七歳の、一世一代の大告白。ちょっぴりこの場でやるのは場違いな気もしたが関係ない。
僕は目の前の女の子、恐らく世間で騒がれているであろう《和製ジャック・ザ・リッパー》に、モノの見事に惚れてしまった。その混ざり気のないどこまでも純粋な闇を思わせる髪に、とてもヒトを解体するには向かないような小柄で華奢な体に、深淵の底を思わせる瞳と、呪いを思わせる宝石のような鮮やかな瞳に、そして――
白い頬に返り血を張り付けたままの、破滅的な美麗さに。
――とはいえ、
自分で言っててなんだが、あまりにも状況を無視した発言に、僕は心で「ねーよ!」と思ったのはすぐ後のことだった。反射的に告白してしまったとはいえ、あまりにも馬鹿丸出しである。
これは、鼻で笑われながらもう片方の手に持っている短刀でぐさりとやられてもおかしくない。僕はそんなことを思いながら、表情を固めたまま女の子を見る。
「え、えっと――」
ジャック・ザ・リッパー(女の子)の顔が、耳が。外的物理要因(血液)以外の現象で朱に染まっていくのが見えた。
「お、お友達からで、いいです、か――?」
「あ、はい」
僕は反射的に、そう返した。
「ちょ、ちょっと、待っててね――」
そう言って、女の子はそそくさと後ろの死体に戻って行った。僕の眼には、なぜかその猟奇的行動が照れを隠しているようにしか見えなかった。
何が起こったのか。はっきり言って、当事者でもある僕にも全く分かりません。
♦ ♦ ♦ ♦
「ボクの名前は古城 瑠璃――あなたは?」
「ええっと、僕は杉信 大志って言うんだ」
《和製ジャック・ザ・リッパー》、もとい瑠璃ちゃんが先ほどの作業を終えて、僕らは隣合って路地裏を進んでいた。
「――大志君って、何歳?」
「え? 僕は十七歳だよ?」
「十八歳未満がこんな時間に出歩いてたらいけないよ――?」
「き、君だって十八歳以下じゃない? あ、もしかしてもしかすると、実は年上?」
「――ヒトの年齢、特に女の子の年齢を見た目で判断したら命取り」
「ご、ごめん」
「ちなみに、ボクは十五歳。大志君の方がお兄さん――」
「年下で間違ってないじゃないか!」
「そのとーり。でも、見た目のイメージだけで判断されるのは心外――」
「あ、あってるんならいいんじゃないの?」
「乙女心は複雑ぶいっ」
謎の語尾と共に、瑠璃ちゃんは僕に対して謎ピースサイン。だけどごめん、僕、実はもっと年下だと思ってた。
瑠璃ちゃんの体は、十五歳と言うには少々小柄だった。和装の喪服に身を包み、向こうの手には体格に見合わない幾種類もの刃物が入ったスポーツバッグが下げられ、こちら側の手には先ほどの死体から取った何かが入っている黒いビニール袋を持っていようとも、それは変わらない。
それならばそれで、そんな彼女に惚れてしまった自分はちょっとアウトなヒトではないのかと思ってしまったが、それはそれ、これはこれ。見惚れてしまうほどのその容貌に年齢など関係ない。
「ねぇ、つかぬ事を聞くけど――」
「なあに?」
「君って、今世間で騒がれている連続殺人犯、《和製ジャック・ザ・リッパー》なの?」
「そうだよ」
瑠璃ちゃんは、何でもないような様子でそう言った。
「だけど、ボクはその呼び名、あんまり好きじゃない」
「どうして?」
「だって、『ジャック』って男の人の名――ボクは女の子」
「――なるほど」
「呼ぶなら『ジル・ザ・リッパー』って呼ぶべき、だと思うの」
「『切り裂き魔』って言われることはいいんだ――」
ちなみに、切り裂きジャックがなぜ「ジャック」と呼ばれているのかと言うと、英語圏にて「名無しの権兵衛」を言い表す名前が「ジャック」だからである。本家本元は結局正体が不明であるため、《切り裂きジャック》、《ジャック・ザ・リッパー》と呼ばれているのだ。
ちなみに、女性になると「ジル」になる。
「――大志君は、それを知ってどうするの?」
僕はその言葉に思わずどきりとした。今度は心にくる恋愛的衝動ではなく、背筋が凍るような警鐘である。
――だが、よくよく考えてみればいちいち焦る必要もない。なぜなら僕は、
「別に、どうもしないよ」
と考えているからだ。
「――本当?」
「ほ、本当だよ? だって、好きになったヒトの正体が何だったって、僕の心は揺らいだりしないからね!」
「そ、そう――」
返り血を拭って、今ははっきり見える彼女の頬が、また赤く染まり始める。
――それを見て、なんてきざったらしい言葉を吐いたのだろうと、つられて僕も顔が熱くなる。
「――でも、」
瑠璃ちゃんは足を止めた。
「でも、ボクは全部が全部、こんなことをしたくてしているわけじゃない。できることなら、殺さないで済む方法を見つけたい――」
「それって、どういう事?」
「それは――、ぁぐっ!?」
「――っ!? どうしたの!?」
瑠璃ちゃんが下に持っていたバックと、手に持っていたビニール袋も落とす。そして、彼女は自分の心臓あたりに手を当てて苦しみ始めた。
「大丈夫っ!?」
「――っ、……っ」
僕が倒れそうな体を支えてやると、瑠璃ちゃんは自分の荷物を拾おうとしているのが見て取れた。
「わかった! ちょっと待って!」
僕はバッグと袋を手に持って――重っ、持って、彼女の体を支えて歩く。
「びょ、病院に――」
「……っ!」
僕がそう言うと、瑠璃ちゃんは無言で首を振る。うっかりしてた。当たり前か。今の瑠璃ちゃんは返り血でぐっしょりだ。
彼女の足にあわせ、僕も足を進める。するとその先に、路地の小さな区画のこじんまりした建物を発見した。
「あそこ!?」
瑠璃ちゃんは弱々しく頷く。そして、懐から鍵を取り出して僕に渡してきた。
彼女に手渡された鍵を使い、中に入る。と――、
真っ暗な室内に、豪奢なドレスを着た瑠璃ちゃんが座っていた。
僕は目を瞬かせ、思わず自分の腕の中に存在する少女を確認する。彼女はつらそうにしながらも壁の電源を叩いた。
カチッという、よく耳にする音と共に天井の蛍光灯が部屋の中を照らし始める。
――あ、人形だったんだ。
家の中にいた「瑠璃ちゃん」は、何の心も宿っていない瞳で、ただ一点――僕たちの方を見つめていた。
よく見てみると、この人形には欠損している箇所がいくつもあった。
残っている方と同じ色をしているであろうエメラルドグリーンの左目、ドレスの下に本来はあったであろう左腕、両足。それらが失われた状態でも、長い髪、精巧な顔は、瑠璃ちゃんそっくりだった。
ただ、一切の生気が感じられない。その一点が、隣の瑠璃ちゃんとは決定的に違った。
「――っ」
瑠璃ちゃんが前に進もうとして、僕はようやく我に返る。彼女の弱々しく細い体は、その玄関と兼用の部屋の先にある扉を目指していた。
僕は再び瑠璃ちゃんを支えながら。瑠璃ちゃんは足を引きずりながら先へと進む。
そして、扉を開けた。
――そこには、何の変哲もない台所の光景が広がっていた。
「ど、どうすれば――?」
僕は近くの椅子に座らせてそう問いかけた。すると彼女は、一度僕の手のビニール袋を指さして、そのまま、台所の一角を指さした。
そこには、一台のミキサーが置かれていた。
僕は指示された通り、そのミキサーの中に黒いビニール袋の中身をぶちまける。
べちゃりと、中の多量の血液を含んだ握りこぶし大のモノが、透明な筒の中に納まった。
「う――」
これは、恐らく心臓だろう。なんとなく勘で、僕はそう理解した。そしてそれは多分間違っていないに違いない。
え、えっと、ここからどうするんだろう? 僕は指示を再び求めるべく、瑠璃ちゃんの方を振り返る。
しかし、彼女は息絶え絶えの状態で、今にも死にそうな状態だった。言葉を発する余裕すらなさそうである。
――やるしかないのだろうか?
僕はすぐ近くに置いてあった蓋を取って、プラグをコンセントに差し込んだ。
いくら僕がスプラッタ系の趣味を持っていようとも、あまりにあんまりすぎて、それを自然と選択肢から外していた。だけど、ミキサーと言えばやる事は一つしかないではないか。
僕は上から蓋を押し込んだ。
モーターの回転音とともにそれは始まる。一瞬にして容器の中は真っ赤に染まり、あっという間に固形だったものは形を失っていく。
僕は思わず吐きそうになってしまった。今までネットで漁った、どの生々しい画像よりもずっと皮肉と冒涜を孕んだその光景に、慣れたはずの僕の精神は流石に悲鳴を上げていた。少なくとも、一瞬だけこの女の子に惚れてしまったことに後悔するくらいには。
――そうして、数秒のうちに音が滑らかになる。ミキサー内の物体が、ほとんど形状を失ったのだ。
「つ、次はどうすればいいの!?」
きっと鏡を見れば、彼女に負けず劣らず青ざめているだろう僕は瑠璃ちゃんを振り返る。すると、彼女はこちらへと手を伸ばしていた。
ミキサーの中身を、こちらに渡してほしいのだ。
僕は土台から容器を外して、瑠璃ちゃんに渡そうとする。すると彼女は最後の力を振り絞ったかのように、全力でそれをひったくると、
中身をすさまじい勢いでがぶ飲みし始めた。
ごくっ、ごくっ、と、砂漠の放浪者が水にありついたかのように喉が動く。あまりに夢中なためか、口の端から赤い液体がこぼれることすら構う様子すらない。
ぷはっ――……
瑠璃ちゃんが中身を飲みほし、容器から口を離す。口回りを汚し、流れ出て首に線を描く血液が、目を閉じている彼女をとても美しく見せていた。
「ね、ねぇ――」
「…………」
僕は瑠璃ちゃんに声をかける。彼女の指示に従うまま動いたが、一体何が何だか――
すぅ――…… すぅ――……
「ね、寝てる――?」
ミキサーでブロークンしたハートを飲んで眠ってしまった瑠璃ちゃん。その顔は、到底猟奇的なことをしていたとは思えない程穏やかで、安心しきった様子だった。
「ど、どうしよう――」
ひとまず、その手に握られている容器は危ないので、その手から取り上げて元の位置に戻しておく。うわぁ、この底にある細かいこれって――いや、考えない方がいいよね、きっと。
このままにしておくと、椅子から落ちるかもしれない。僕は少々照れくさく思いながらも、彼女を移動させようと抱きかかえる。
うわ、軽い――
彼女の全身から香る湿った鉄錆びの臭いはひとまず置いておく。瑠璃ちゃんを持ち上げた時、感じた印象がそれだった。
僕は同じ高校二年生の中でも、それほど体格がいいワケではない。それにもかかわらず、瑠璃ちゃんを持ち上げるのに、予想よりはずっと力が要らなかった。その見た目よりも、きっとさらに細身なのかもしれない。
――と、僕の首にひんやりしたモノと、暖かいモノが巻きつけられた。
それは彼女の腕だった。起きた様子はないが、瑠璃ちゃんが僕を抱き返してくれたのだ。――顔が近くて、すごくドキドキする。
「え、ええっと――そうそう……」
忘れてはならない。僕は彼女をどこかに横たえようとして持ち上げたんだった。上がった心拍数を意図的に忘れようとして、僕は本来しようとしていたことに戻る。
そうして僕は、最初に入ってきた玄関と兼用の部屋へと戻った。そこには革張りのソファがあり、今の瑠璃ちゃんを寝転ばせるにはうってつけのように思えた。
「あ、あれ――?」
僕は瑠璃ちゃんをソファに寝かせていざ離れようとしたとき、首に巻きついた腕が全然離れないことに気が付いた。そればかりか、離れようとすればするほど、込められている力が強まっているような気さえする。
「どうしよ――」
彼女の服が真っ黒で、道中も薄暗がりだったために気が付かなかったが、瑠璃ちゃんの喪服が、何でとは言わないがぐっしょり濡れていた。それはもう、絞っていないタオル張りに濡れていた。
それが、だんだんと僕の制服のブレザー、その下のシャツに滲みてきているのがものすごぉくよくわかる。
――だけど、よくよく考えれば、僕よりもずっと今の瑠璃ちゃんは湿ってるんだよね?
そう考えると、このまま密着していることが、むしろ正解のように思えてきた。何かかけるモノを探そうかと思っていたが、それではきっと瑠璃ちゃんの体は冷えてしまう。ならば、僕の体温で温め続ける他ない。
え、もし彼女が離れてくれたらどうするって? そりゃもちろん、風邪を引かないように着替えさせ――
「むぅ、んんん――」
「わぁっ!? ごめんなさい! ごめんなさい!」
我ながら、とんでもないモノを見たせいでとんでもない思考に陥っていた。それに感づいたかのように、眠っている瑠璃ちゃんが不機嫌そうな声をあげる。――ばれたら僕も切り裂かれそうだ。
でもまあ、こうやってくっついていられたほうが僕としてはいろんな意味で幸せかも。彼女が離してくれないんだから仕方ない。うん、仕方がない。そんなことを考えつつ、
いつの間にか瑠璃ちゃんの体の上で眠ってしまっていた。
♦ ♦ ♦ ♦
僕は体に強い衝撃を感じ目を覚ました。
朦朧とする意識。頭に感じる鈍い痛み。その中でぼんやりと見える白い天井らしきモノ。
そして、視界の中ににゅっと顔を突き出してくる女の子。
「ええええっち、へんたいっ!? あわ、あわわわわ――」
顔を真っ赤にした女の子、瑠璃ちゃんが、心外な言葉を僕にぶつけてくる。失礼な。僕は人としてちょっとアブナイ趣味は持ってるけど、オープンにはしてないから断じて変態じゃない。
――あれ、僕は……? と言うかここは――そっか、ここは瑠璃ちゃんの家だった。
僕の住むアパートとは少々異なる天井。薄暗い室内。椅子には僕が惚れた女の子そっくりの人形。それ以外には、せいぜいタンスと戸棚くらいしか置いていない部屋。ここは紛れもなく、昨日初めて入った瑠璃ちゃんの家だ。
「ひひ大志君! なんで、なんでなんで朝起きたらボクの上に居るの!? へんたいさんなの!? へんたいさんなの!?」
「ひっ!?」
瑠璃ちゃんが顔を真っ赤にしながら何かを投げつけてきた。
後ろでとすっという刺さる音と、続いてびぃぃんっという振動する音が響く。恐る恐る後ろを見ると、そこには手術で使うようなメスが刺さっていた。
「ち、違うよ! 違います! 違いますったら! 僕は君をソファに運んだだけだって!?」
「じゃあ、じゃあじゃあなんでボ、ボボボボクの上に朝起きたら乗ってるの――っ!? 絶対変なことしようとしてたんでしょ!? そうでしょ!? 痴漢の犯人に黙秘権はないよ!? 洗いざらい告白してよ!」
「そ、それは君が――危なっ!? 君が僕を話してくれなかったからじゃないか!」
僕は投げつけられた鋏を回避しながら抗議する。そうとも、むしろ悪いのは瑠璃ちゃんの方じゃないか!
「ざ――」
「ざ?」
瑠璃ちゃんの顔が、耳まで赤くなり始める。
「ざるそばみたいな事をボクがするはずがないっ!」
「意味不明ッ!?」
次に投げつけられたのは剃刀それもなんとか回避に成功する。僕、海老反りもとい、いわゆる「マトリックス避け」なんて人生で初めてしたよ――。
「ざ、ざるそばは乾燥してくると絡まって取れなくなっちゃうから――」
「分かったような分からないような例えッ! ともかく今は日本の麺料理のことはいいから! 本当の本当に、君が離してくれなかっただけだから! 少なくとも凶器投げられるようなことはしてないから!」
「――本当に?」
「本当! 本当に本当!」
「――嘘ついたらレイピア飲んでくれる?」
「飲まないよ!? いや、嘘ついていないからこそ飲まないよ!? と言うかそこは針千本じゃないの!? なんでびっくり人間みたいなこと要求してんの!?」
瑠璃ちゃんは顔を真っ赤に染め、涙目になりながらこっちを睨み付けてくる。が、やがて目を逸らすと、「それならいいけど――」と言った。信じてもらえたようで何よりだ。
「――でも、なんで大志君がボクの家に……?」
「本当に覚えてないの?」
僕が問い返すと、瑠璃ちゃんは顎に右手をやって、「んー」と考え始める。本当に覚えてないのかな――いや、本人にとっては本当にそれどころじゃなかったのかもしれないけど。
「歩いてたら、突然苦しみだしたんだよ? それで肩を貸しながらここまで来て――体、大丈夫なの?」
僕がそう言うと、瑠璃ちゃんは合点が言ったようにぽんと手を叩いた。
「そっか、そう言えば誰かに助けられながら家に帰ったんだった」
「相当つらかったんだね――」
そう言えば、あの後すぐにこの子は眠りに墜ちたんだった。いろいろな意味で限界ギリギリだったに違いない。
「――ごめんね、迷惑かけた」
「え? いや、迷惑だなんて――そりゃびっくりはしたけど」
「きっと、心臓を飲ませてくれたのもあなただよね。ありがとう。そして、気持ち悪いこと頼んでごめんなさい」
瑠璃ちゃんは立ち上がって深々と頭を下げてくる。何度も思っていることだが、本当にこの子があの《和製ジャック・ザ・リッパー》なのか疑いたくなってくる。
「――こうなった以上、説明したい。ボクがこんなことをしている、その理由を」
そう言いながら、瑠璃ちゃんは人形の方へと歩いて行った。椅子に座る人形と隣り合う二人は、対照的な文化の服を身にまといながらも、分身したかのようにしか見えない。
「この子は柘榴。ボクはこの子から、体の一部を借りているの」
「どういう事――?」
「この手を見て」
瑠璃ちゃんは、そう言って自らの左手を僕に見せた。
関節部が球体になっていた。
「え――」
今の今まで暗くて気が付かなかったが、その腕は可動式の人形のモノだった。喪服の袖をめくって肘まで見せてくれるが、その場所までが球体関節である。
「腕だけじゃない――足も。膝の少し上のところくらいから……」
そう言って彼女は自分の足をなでる。きっとその裾の中には左腕と同じく人間のモノとは違う足が収まっているに違いない。
「もしかして、その左目も――?」
「そう」
隣の人形の右目と同じ、瑠璃ちゃんのエメラルドグリーンの瞳。魔性の宝石のようなそれは、二つとも全く同じ輝きを放っている。
「なんだってそんな――」
「元の手足や目。そして心臓も。それらを事故で失ったの――」
そう言って、彼女は生身の右手を自分の胸に当てた。
「ううん、事故と言うのも、ちょっと違うかも――なんにせよ、ボクとしては何が起こったのかわからないから、そう言わざるを得ない。だって一年前のあの日、突然家が火事になったから。その時起こった爆発で、なくしちゃった」
「で、でも、こう言うのもなんだけど、普通死んじゃうよね――? だって、手足を失うような大怪我しちゃったんでしょ?」
「うん。でもボクはその時、《親切なヒト》に助けられたの」
「《親切なヒト》――? どういう事?」
「名前は知らない。だから、ボクはそう呼んでる。《親切なヒト》は、ボクが死にそうになっているときに、部屋にいた柘榴を持ってきて、『あなたを助けてあげましょうか?』って言ったの。方法は、大志君の思っている通りこの子から必要な部分を借りること」
「ちょちょちょ、ちょっと待って!」
明らかに話の内容がおかしくて、僕は割り込んだ。
「借りるって言ったって――どうやって? だって、瑠璃ちゃんは自由自在にその手足を動かしてるよね? 大体、心臓に至っては動くことすら……」
すると、瑠璃ちゃんは小さく頷いた。
「それが、その《親切なヒト》のしてくれたこと。あるモノを燃料として摂取し続ける代わりに、この手足や目、心臓が機能するようにって」
「燃料って――」
「それが――。……人間の心臓」
瑠璃ちゃんは一瞬言いよどんだが、はっきりとそう言った。ただし、目は伏し目がちにしながら。
「人間の心臓を潰して、摂取する。そうしないと、この腕も足も、目も、そして心臓も完全に止まって、ボクは死んでしまう。それが、ボクが人を殺す理由。ボクは、ボク自身が生きるために、人の命を刈り取っているの」
「瑠璃ちゃん――」
「あなたの思ってることは分かる。でも、できることなら憐れまないでほしい。じゃないと、ボクはボクの犯している罪につぶされそうになっちゃうから。最低かもしれないけど、死にたくないから」
短くまとめて行って見せてはいるが、その内側には、あまりこの話をしたくないと言う気持ちがありありと込められているように、僕は感じた。彼女の言う通り、機械にでもなって作業的にこなそうとしない限り、瑠璃ちゃん自身が耐えられないと言っているように思えたから。
「あ、でも――」
瑠璃ちゃんは顔をあげる。その表情は、《和製ジャック・ザ・リッパー》にふさわしい、憎悪に満ち満ちた笑顔に変わっていた。
「そのおかげで、一番世の中に居ちゃいけない人間を殺してもいい、しっかりとした理由ができたことだけは喜んでもいいのかな?」
瑠璃ちゃんは薄笑いを浮かべたまま、棚の中に置いてある写真に視線を向けた。
そこには、一人の女性が映っていた。この場の雰囲気には全く合致しない明るい笑顔を浮かべているが、どこかそれは作り物めいて見える。
なんだか、これ以上は聞かない方がいい気がした。これ以上聞いたら、なんだか彼女が壊れてしまいそうで。
かの有名な《ジャック・ザ・リッパー》が殺す対象として狙い続けていたのが娼婦。そして、目の前にいる同じ名を冠したこの子が狙い続けているのも娼婦。
かの英国の殺人鬼は結局捕まらず、その正体も理由も、誰も知らない。瑠璃ちゃんの心にある理由が分かるときが、いつか来るのだろうか?
♦ ♦ ♦ ♦
「ばいばい、大志君」
「うん、また」
邪気の無い笑顔に、僕は少し心を緩ませながら別れの挨拶をする。いつの間にか、こんな時間になってしまった。
「――でも、よかったの? 今日って、平日だったよね? 大志君って、今日学校に行かなきゃいけなかったんじゃ……」
「あ、いいのいいの。気にしないで」
「――もしかして、不登校児?」
「違――うとも言い切れないけど、どちらにしたって、あれじゃあ、ね」
「ごめんなさい――」
僕ら二人は、同時にあの真っ赤に染まったシャツを思い出す。いや、シャツだけではない。灰色のズボン、紺色のブレザー、赤いネクタイ、それらすべての学校指定の制服が、乾ききった赤黒い血液に染まっていたのだ。
今着ているのは、奇跡的に僕のスクールバッグに入って居たジャージである。
「でも、何も瑠璃ちゃんが預からなくてもよかったのに」
「駄目。アレは絶対、ボクが預かるべき。もしアレが見つかって、あなたに変な疑いがかけられたらいやだから――」
「瑠璃ちゃん――」
話している内容は犯罪の事後処理的なモノなのに、彼女の気遣いに僕はちょっぴり嬉しくなる。今日一日中話していて思った通り、この子の根はとっても――とは言い難いかもしれないが、いい子なのだ。
「ほら、早く行って。目撃者はあなた以外にいないけど、それでもこう、人前に姿をさらしているのは落ち着かないの」
「あ、ごめん。それじゃあ、明日も来るよ」
「うん、また明日」
僕が瑠璃ちゃんに手を振ると、彼女もまた、控えめに手を振り返してくれる。なんだかそれがとてもうれしくて、いつまでもこうやって振り続けていたいくらいだ。
その一方で、もし彼女が警察に捕まることがあったらどうなってしまうのかと、僕は考えていた。
瑠璃ちゃんの話が本当なら、彼女が人間の心臓を取ることをやめてしまった場合、そのままそれは彼女自身の死を意味する。
瑠璃ちゃんは、基本的に人を殺したくて殺しているわけではないのだ。確かに、向けている視線は憎しみがこもっていたが、自身がこんな状態でなければ、そもそも誰かに刃を向けるつもりはなかったようである。
そして、巷で噂の《和製ジャック・ザ・リッパー》の正体、そして住んでいる場所を知っているのは僕だけだ。僕の行動で、彼女の運命が決まってしまうのである。
つまり、他の誰でもない僕が、彼女の運命を握っていた。
僕だけが、瑠璃ちゃんの存在を認められるのであり、僕だけが、彼女を守ることができるのである。
人は誰しも、一人の人間を守れるのは自分だけだと言うシチュエーションに弱いと言うのが、僕の持論だ。僕自身も、当然例外ではない。
彼女は犯罪者かもしれない。人から恐れられる悪魔かもしれない。しかし、それと同時に一人のか弱い――いや、非常に不安定な女の子なのだ。
だから、僕は誰にも彼女のことを話そうとは思わない。僕だけが、彼女の手を取ってあげることができるのだから。
そんなことを考えつつ、僕は自分のアパートにたどり着く。
両親は仕事の関係上、外国に住んでいる。僕だけが、日本の学校に通いたくてこちらで暮らしているのだ。
――いや、それはちょっと違う。
僕が、両親から自由になりたくて、こうして一人暮らしをしているのだ。
あそこにいた時、父さんが会社の社長ということもあり、僕はそれなりに不自由無い暮らしをしていた。
だけどその分、僕を次期社長にしたいためか、いつも窮屈な想いをさせられていた。僕は流石に、それが我慢できなくなっていたのだ。
だから、経験を積みたいと言う名目で二年前、僕は育った故郷を離れ、今、生まれた地、日本の学校に通っている。生活はあの時よりもずっと苦労しているけど、僕としてはこのほうがずっと快適だった。
「――あれ?」
僕は自分のアパートの部屋の前に人が立っているのに気が付いた。
「あ、大志君!」
向こうもこちらに気が付いたようだ。
そこにいたのは、長い髪の毛を後ろでまとめポニーテールにした女の子だ。彼女は今日も健康的で、快活な笑顔を浮かべている。
身長は僕より高く、いかにもスポーツができそうと言った様子の彼女は、実際にバレーボール部のエースで、しかも同学年でも人気の高い女の子である。
今日も部活を終えた帰りであろう、肩にはスポーツバッグがかけられていた。
その、僕の数少ない友人の名は、大鶴 紫澄姫と言う。
「紫澄姫、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないでしょ!? 今日学校を無断欠席したでしょ!? ただでさえ出席日数多くないのに、下手をすると高校生にして留年になっちゃうよ!?」
「むぅ――まあ、確かに無断欠席したけどさ」
「人類史上初の高校留年した人間になっちゃうよ!」
「た、たぶん初めてってことはないんじゃないかな」
「そんなことはいいの! どうして休んだの? 心配するじゃん!」
紫澄姫はご立腹のようだった。心配してくれることはありがたいんだけど。そう思い、僕は苦笑いをこぼす。勿論《和製ジャック・ザ・リッパー》の家にいました、なんて言えないから、理由は話さないけど。
彼女はとても正義感の強い人間だ。その行動理念は女の子だけど正義のヒーローに近く、強きをくじき、弱きを助けるタイプである。
「全くもう――元気そうならいいんだけどさ。何かあったの?」
「うーん、特に紫澄姫に言うような、特殊なことは何もない、かな――」
「それならいいけどさ――何かあったら言ってよ? 相談に乗るからさ」
「あはは――ごめん」
「謝るくらいなら、最初から心配かけないでよ、もう」
彼女の言う通り、誰にも特に理由を告げず無断欠席するのはいつものことだった。このやり取りも、割と日常茶飯事である。
とはいえ、割と世話焼きな気質もある彼女としては、以前苛めから助けた僕のことを、少なからず気にかけないわけにはいかないだろう。
その時のことは今もずっと感謝してる。そして、数少ない僕の友達としていてくれることに対しても。優しい紫澄姫は、僕の心の支えだ。
「ほら、これ」
紫澄姫はスクールバッグから一枚の紙切れを取り出した。
「これは?」
「今日配られたプリント。三者面談のことが書かれてるの」
「――でも、僕親は来れないよ?」
「いや、そうかもしれないけど、その場合は生徒が二者面談することになるからさ」
「いつも通りだね」
僕は紫澄姫に差し出されたプリントを受け取る。そこには五十音順で順番の決められた日程が書かれていた。――また欠席のことで注意されるのかなぁ。
僕は部屋の鍵を開けて扉を開ける。
「あ、そうだ、これもね」
紫澄姫は彼女のスクールバッグから白くて太い野菜を取り出した。
「えっと、これは――?」
「え? 大根だけど?」
「いや、それは見りゃわかるって! 僕が聞いてるのは、なんでバッグから生の大根が出てくるかってことだよ!? しかも泥ついてるし! その中ドロドロになってるよね!? 何やってんの!?」
紫澄姫は時折、僕へ差し入れをしてくれることがあった。両親の実家が農家で、時々送られてくるそうなのだが、彼女はその一部をこうやってくれることがある。
――だからと言って、袋に入れずそのままスクールバッグに入れるのはどうかと思う。
「むー、それが差し入れしてくれたヒトへの態度ですかそうですか。大志君はついにそこまで堕ちちゃったんだね――」
「なんだか大げさ! いや、いつも通りありがたく受け取るけどね!? 言ってることはそう言うことじゃないし!」
「あはは、分かってるよ大志君。気にしなさんな、中に教科書は入ってないから」
「それも少しずれているような――」
僕は紫澄姫がくれた大根を受け取る。時間は遅いし、この野菜は明日使うことになりそうだけど。
「それじゃあ紫澄姫。またね」
「うん、『また明日』、ね。明日こそ学校に来なさいよ?」
「はいはい、分かった分かった」
「『はい』も『分かった』も一回でよろしい」
「紫澄姫はお母さんか何かみたいだね――」
「お母さんじゃありません。友達です」
「はいはい。じゃ、また――どうしたの? 僕の家覗いたりして」
「え? いやだって、一人暮らししている大志君が、どんなところに暮らしてるのかな、と思ってさ」
「――僕の趣味は……あんまり人には理解されない、かな」
「アイドルのポスターでも貼ってあったり――あ、実は、ちょっとえっちっちーな女の子のイラストが描かれたポスターとか……」
「違うよ!?」
「駄目だよ大志君。君はまだ十七歳なんだから。たとえ十八歳になっても、ああいうのはちょっと、女の子としては引いちゃうけど」
「僕は一度もピンクな趣味を口外したことはないんですけど!?」
「あ、でも口外しないだけで心には秘めてるんだね?」
「まあ、男として女の子に対しそう言う興味が全くないってワケじゃないから間違ってはな――何言わせるんだよ!?」
「――あ、むしろむんむんと男臭のする方向だったり? まさか大志君って、そっちの系統の……」
「ますますないよ!? ああ、もう! じゃあね、紫澄姫!」
「ばいばーい」
ばたんっ
紫澄姫の笑顔が、閉じられた扉の向こうへと消える。全く、変なことを言ってくれる。
とはいえ、ああいうやり取りが何気に楽しかったりする僕は、口元に笑みを浮かべながら大根を持って部屋の奥へ。こうやって持つまでは分からなかったが、友達が居ると言うのはいいものだ。
――そして、僕は自分の部屋の壁に飾っているポスターを見て、笑みを苦笑いに変える。そこにあるのは、彼女の言う「えっちっちー」なモノでは決してないんだけど、十七歳の身としてはアウトな代物だ。
R―18Gに指定されるような、血みどろなイラストの描かれたソレ。
襲い来る凶暴な怪虫。逃げ惑う人々。鎌のように鋭い脚に体を切り裂かれる女の人。脳みそを貪り食われる男の人。いわゆるパニック映画めいた、僕のお気に入りの一枚だ。
その他にも、パソコンには実写のよからぬグロ画像が保存してあったり、そう言った雰囲気の番組が録画してあったりと、可能な範囲で僕は、おおよそ少人数の人が好みそうな趣味を持っていた。
だって、よくないとは思いつつもついつい見てしまうんだもの! 例えるならば、小さなころ道端に落ちているえろえろな本に興味を抱くのに似ているか。アレと同じようなカタルシスがこの趣味には込められていた。
――当たり前だが、自分で実行しようと思ったことは万に一つもない。自分とは全く関係ない位置で、誰にも迷惑をかけずに覗き見るのが一番好きなのだ。自ら手を下すのは、確定的に間違っているし、何より犯罪だ。
さて、もう七時近い。夕食の準備(と言っても冷凍食品を温めるだけ)をしなくてはならない。
――学校の終わる時間を考えると、紫澄姫はずっと部屋の前で待っていたのだろうか? そう考えると、瑠璃ちゃんがかわいかったとはいえ、ちょっと悪いことをしたなと思う。
学校かァ――どうしようかな。僕としては、また瑠璃ちゃんに会いに行きたいんだけど、かと言って休みすぎると本当に留年になりかねないし。
仕方ない、行く事にしよう。僕はあまり進まない気持ちと共にレンジの中に冷凍スパゲッティを放り込む。紫澄姫を心配させてばかりなのもよくないしね。
僕はレンジを起動して、次にテレビをつける。すると、そこではちょうどニュースがやっていた。
内容は、僕の住んでいる街で《和製ジャック・ザ・リッパー》が現れたというものだった。昨日瑠璃ちゃんと出会った路地裏が青いビニールシートに覆われている。あの向こうには、昨日の解体された女性の死体があるのだろう。
身元はこれまでと同様に娼婦のようである。しかし、一見かかわり合いのなさそうに見える瑠璃ちゃんと、ちょっと特殊な職業のあの人たちに何の関係が――?
チーンと言う音が鳴ったため、レンジからスパゲッティを取り出していつも使っている丸テーブルに置く。その間に、ニュースは次のモノに切り替わっていた。
次に公表されたのは、これまた最近多発している連続放火事件だった。これも未だに犯人の目星すらついていない事件で、しかもこの近辺の家ばかり狙われているため、内心僕も穏やかではない。
なお、この犯人にもネット上でだが《私刑断罪者》と名が付いている。なんでも、犯行現場には「断罪した」と言うウマの手紙が毎回残されているとのことだ。法律にのっとったモノではない「私刑」であるため、そのように呼ばれている。
そしてその次に公表されたのは銃による少女連続殺人事件。これはここから西の方で起こった事件だが、嫌なことにだんだんこちらへと近づいている気がするから困ったモノだ。これに関しては目撃者がおり、犯人は何故かかぼちゃをかぶっているらしい。そのことから通称、《ジャック・オー・ランタン》と呼ばれている。
本当に世の中物騒だなぁ、と思う。今公表された事件のうち一つは昨日知り合った女の子の仕業であるためいいとして(いや、いいワケではないんだけども)、他にも凶悪な事件がひしめいているのだ。
日本は安全と聞いていたが、これを見る限り思ったほど僕が住んでいたところと大差ないんじゃないかと思う。銃が使われることがあるかないか、くらいの違いだ。使われていたみたいだけど。
――しかし、そんなことに気を張り詰めていたって、非力な僕では対策のしようがないのも事実。おとなしく、瑠璃ちゃん以外の凶悪犯罪を行っている人物が、早く逮捕されることを祈るばかりである。
僕はそんなことをぼんやり考えながら、フォークに巻きつけたスパゲッティを口に運ぶ。うん、やっぱりスパゲッティはミートソースに限る。
♦ ♦ ♦ ♦
「え、えぇー……」
昨日紫澄姫に注意され、しょうがないなと学校へと通った日。そうして学校も含め帰ってきた今。僕は目の前の光景を見て、思わず固まってしまった。いや、これが固まらずにいられるか。
目の前にあるのは僕の住んでいるアパート。階層にして三階建て。部屋数は一階につき六部屋と、そこそこの大きさの建物。
そしてその一部屋のベランダ。いつもと違うのは、もうもうと黒煙が上がり、ちろちろと赤い炎がのぞく様だ。
なんで僕の部屋が燃えてるのっ!?
学校から帰ってきて一度着替えてから瑠璃ちゃんのところへ行き、そして戻ってきたときに起こっていたびっくり仰天の惨状。なになに!? 何が起きてるの!?
と言うか待って!? あの部屋には僕のコレクションがたくさんあるんだよ!? ちょっと、嘘だよね? 別の部屋とかじゃないよね?
ひい、ふう、みい。ひい、ふう、みい。――うん、まず間違いなく燃えてるのは僕の部屋だ。ナンテコッタイ……。
出てくるときに火をつけっぱなしにした覚えはないし、掃除するときは特にコンセントの周りは念入りに埃を取っていた。火災の原因になることは一切していないはずなのに、どうしてこんなことに!?
「あ、杉信さん!」
と、僕を呼ぶ声。振り返ると、そこには少々ぽっちゃりとしたおばちゃんがこちらに走ってきていた。このアパートの大家さんだ。ちなみに、今はお孫さん二人と暮らしているらしい。
「杉信さん、よかったよ。あんた外にいたんだね?」
「は、はい――」
「いや、あんたも災難だったね。いきなり自宅が放火されるなんてさ」
「え――放火、なんですか……?」
「そうだよ。なんでも、あんたの住んでる部屋の窓に向かって、何かを投げ入れた人がいたみたいでさ。その直後、ドドーンと、爆発音が」
「それって、もしかして――」
「そうさ、最近騒がれてる放火魔、確か、《私刑断罪者》だったっけ? その手口そのものだよ。可燃性の燃料を多く含んだ爆弾を投げ入れて火をつける。いや、まいったねぇ」
件の放火魔は爆弾魔的な要素を含む犯人だ。今までその爆発や炎で命を落とした人は多い。むしろ、わざと人が居そうな時間帯を狙っている節もあり、僕は運がよかったと言えるだろう。
「しっかし、犯人ってまだ捕まってないんだろう? とりあえずあんたにお金を請求することはしないけど、泣き寝入り以前に恐ろしくて、そもそも寝るどころじゃないよ」
「本当に勘弁してほしいですよ――」
放火魔に狙われた家は、居住区画が全焼してしまうのだと言う。おそらく、あの部屋の中にあった僕のコレクションはみんな灰になってしまったことだろう。あああ――……。
「――寝る、と言えば杉信さん、あんた今夜どこに寝泊まりするのさ?」
「へ――?」
「いやだって、何もかも火の中だろう? 近くのホテルで一時寝泊りするにしたってお金は要るだろうし。部屋が他にあいていれば臨時に貸し出してあげるんだけど、イッパイだからねぇ」
「えっと――一応、通帳はさっきお金を引き落としに行ったこともあって、手元にあるんですけど」
もっとも、そのお金より大事なモノは全てくべられてしまったが。
「なんだったら、うちに泊まっていくかい? うちの子らも、事情を話したら了承してくれると思うからさ」
「うーん――……」
確かに申し訳ないが、そうさせてもらった方がいいかもしれない。いくら通帳にお金が入って居るからと言って、長期間ホテルに滞在し続けるのは流石に苦しい。
――いや、待てよ?
「いえ、大家さん。一応アテがあるので、折角気を使ってもらって申し訳ないんですが」
「――あら、そうかい? 遠慮しなくたっていいんだよ?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから。部屋が元に戻ったら、また借りさせていただきます」
これはチャンスだ。僕はそう思った。いつも控えめで、どちらかと言えば内気な僕だが、今アグレッシブに動かないと、機会を逃してしまうに違いない。
だから僕は、折角だけども大家さんの話を断らせてもらうことにする。
「ふふん――」
「な、なんですか?」
「もしかして、『コレ』かい」
そう言って大家さんは妙に含みのある笑顔を浮かべながら小指を立てた。
「え、ええっと――?」
「――あれ、もしかして今の子には伝わらないのかねぇ?」
「ぜ、全然意味が分からないんですが」
「ま、分からないならそれでもいいさ。頑張んなよ、あたしゃ応援してるからね!」
「は、はぁ――」