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感謝九玉  作者: 綾取り
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集落と気付き

 深い眠りから目を覚ますと、窓からの光が私の目をちくちくと刺激する。思わずまぶたを閉じてしまうが、ずっとそのままにしているわけにもいかず、負けた負けたと観念して体を起こす。わずかに体を止め、そこから一気に立ち上がって布団を片付ける。こうしなければ、後々体がもたついて仕方が無いのだ。

 一人暮らしの狭い部屋は必要最低限のものしか置かれておらず、部屋の端に視線を向けると、この部屋に存在する唯一の娯楽品である数冊の古書が乱雑に散らかっていた。

 趣味などないに等しい。この程度で人生は豊かである。

 服を寝間着から外出用へと着替える。全体的にクリーム色をしているが、腕の所だけ灰色の薄手のティーシャツ。胸元には縦に『Empty is Life』などと岩のようなテクスチャで書かれた文字が自らを誇らんばかりにでかでかと張り付いている。しかしカーキ色をしたカーゴパンツと組み合わせることで、程良く地味になって様々な風景に溶け込める。

 派手ではなく、しかし決して無個性でもない。程良い地味さは人の視線を素通りし、その光景に違和感を与えない。

 騒がしいのが苦手だからといって、こういう所で妙に頑張ってしまう自分が情けない。

「行くか」

 キッチン(と呼べるかも微妙な、蛇口のある小さいスペース)の横の空間からプレーン味のカロリーメイトを取り出し、その中にある数個のブロックを勢い良く口に含んだままに蛇口をひねって水を飲み、一息吐いた後だった。

 昨日のうちに用意しておいたこれまたカーキ色のショルダーバッグを背負い、忘れ物は無いか確認する。

 玄関の白く飾りっけのない靴を履き、部屋を出てから(かかと)を踏んでいた靴をしっかりと履き直す。ドアの戸締りを確認する。よし、ちゃんと締まってる。

 アパートの二階にある人間の部屋には、朝の爽やかな光と静けさだけが残された。




 電車に揺られること数時間。

「うぷ……」

 私は元来揺れに弱いタイプで、自動車・電車・船・飛行機など、酔えないものは無いと言っても過言ではない。出来れば過言であってほしかったのだが。

 窓から遠くを見る? 酔い止め? そんなもの、私には一切効かない。酔い防止能力を無効化する、本当に、切に捨てたい力を持ってしまっているのだ。

 悪心をなんとか飲み込みつつ、やっと目的の駅に着く。ふらふらと千鳥足でホームの自動販売機まで辿りつくと、水を購入して一気に飲み干す。生き返る。

 ホームに設置されていた椅子で数分ばかり休んでいると、吹き抜ける風と休日独特の和やかな雰囲気にとらわれて、それに呼応するかのように次第と胃液も落ち着いてきた。

 ぼやぼやしてはいられない、と改札機を通過するまで若干の早足になる。

「さて」

 そこまで大きくないこの駅を出てしまうと、後は目的の場所まで歩くだけとなる。

 人の少ない道を奥へ奥へと進んでいくと、コンクリートの地面が凸凹(でこぼこ)の遊ぶ土道となり、周囲には林立する樹々が多くなってくる。森の中へ中へと入っているようだった。

 まだ正午にもなっていないというのに虫の声が方々から聞こえてきて薄暗い周囲が、妙な安心感を私にくれる。喧騒嫌悪症もここまでくるともはや末期かもしれない。

 やがて完全な獣道へと入った所で、少し窪んだ茂みを発見する。

「ここだな」

 何の躊躇もなく入っていく。なぜか? それはここが私の目的地だからだ。

 がさがさ。

 前の見えない茂みの中を黙々と進むこと数分。

「ととっ」

 急に目の前が開けたと思うと、勢い余ってすっ転びそうになる。

 ここに来始めた頃は、何度も転んだものだった。

「また、来てくださった?」

 体勢を立て直す私の耳に、霊妙で透き通った、けれど幼い声が届いた。

「ああ、来たよ。しばらく来れなくてすまなかった」

「来て下さっただけで、私は嬉しいと思います」

 声の方を向くと、のっぺりとした肌で深い瞳のどこか人間でないような雰囲気を漂わせた少女が、顔に笑みを浮かべて立っていた。




 森の中に突如として現れた空間。

 ここだけは森ではないと主張するかのように地面が微妙かつ均等に掘り返されていて、露出した土色が数軒の家々を支えている。集落のようだった。円形の集落は森の高い樹々に囲まれて、頭上を仰げば視界が魚眼レンズを介しているような錯覚を感じる。

 先ほどの少女以外にも少ないながら住人がいるらしく、静かすぎると形容するには僅かに不適切かと思われる。けれどここは静かだった。音はあり、それは絶え間なく鼓膜を震わせる。しかしここは音とは違う『静けさ』を持っていた。ひたすらに幽玄なのだ。特に何か情緒や感慨を揺さぶるものがあるわけではなく、ちょっとだけ奇妙な場所にある集落に過ぎない。だがこの場所自体が染み出すような、オーラだかアウラだかそんな感じのものを秘めているのだ。

「ここは落ち着くな」

「ええ、全く」

 今は先ほどの少女と一緒に、集落の中心にある《まどかの座》と呼ばれる円形のベンチに座っている。意外としっかりした作りで、漆塗りの木製ベンチを囲うようにして背の低い円形の壁(これもまた漆塗りなのか、変に光沢がある)があり、天へ数本の柱を伸ばした先にはエスニックな屋根まである。雨を凌ぐためだろうか。しかしこれだけ集落が小さければ、もし外にいた時に雨が降ったとしてもすぐに自分の家へと入っていけると思われるのだが。

「で、仕事なんだが」

「はい。んっと、上二のアネリの家にあった。かと」

「了解」

 この村では家の場所を上下左右で示す。さっき少女が言った上二とは、村の最北の家よりふたつ中央寄りの家ということだ。村が小さく家も少ない分、特定は簡単なので充分なのだ。

 仕事とは、この村では様々な意味になる。一緒に遊ぶことも、病気を治すことも、悪人を退治することも、寂しい子供に寄り添って寝ることも、誰かが要望しているのならそれがそのまま仕事となる。

 今日はなんだろう。

 微かなわくわくが胸を支配する。聞くまで分からない仕事内容にはいささかスリルを覚えざるを得ない。

 別に街に仕事が無いわけではないのだ。むしろ溢れ返っているほどだ。しかしそこで報酬として得られるものは金であり、人間社会でしか通用しない信用依存物である。ここでの仕事は、貨幣こそ得られないが、その代わりに金銭のような陳腐なものよりももっとロマン溢れるものが入手できる。

「ここか」

 三分歩いたか歩いていないかぐらいの距離にあった、村の最北の家よりふたつ中央寄りの家。外見はいかにも、といったような藁葺きの家であった。現代においてこのような住居を見るのは珍しい。

「おじゃまします」

 そうして懐古的な気分に浸るのもつかの間、家の中は非常に近代的な造りとなっている。床はほぼ全面フローリングとなっており、玄関には靴箱とその上に鎮座している消臭用の器械。結構に小さくコンパクトで、定期的に消臭効果のあるガスをその卵型の外形の上方から吹き出す。

 奥へ進むとドアがあり、そこにはドアノブなどアナログなものは一切無く、代わりに二本の指で同時に押すことで開くシステムが備え付けられている。

 下手をすると現代の最先進都市よりもハイテク化が進んでいるかもしれない。

 ドアが「ぷしゅう」などと音を立てて滑らかに開く。

 開放された部屋を見渡すと、明らかに家の外見よりも大きな空間が広がっていた。とはいっても無限大ではなく、もちろん部屋と呼べる程度に収まっている。壁にキャットウォークのようにして設置されている棚には、西洋のよく分からない豪奢できらびやかな置物が所狭しとあり、右手の壁には大・中・小と三つの大きさの絢爛なタペストリーが飾られている。そして左手にはこれまた仰々しいくらいに繊細な美しさのある天蓋付きベッドがあり、そこにはエメラルドの輝きをしたロングヘアーを持つ華奢な少女が横たわっている。

「仕事で来たのですが」

「……ああ」

 彼女は気怠げにこちらへと体を転ばせると、これまた態度よりもいっそう気怠げな表情を見せる。感染してしまいそうだ。

「私は……アネリよ。仕事……そう、仕事ね……。ええと、遊んでくれない? 暇で暇で仕方が無いのよ」

 仕事内容を確認する。遊ぶ。それだけ。

 鞄から取り出しますは、こんなこともあろうかと準備していたもの。

「モノポリー」

「……なにそれ?」

「血を血で洗う人生の栄枯盛衰を辛辣に物語るボードゲームです」

「……遊び、よね?」

「もちろん」

 彼女にひと通りの遊び方を教え、適当に始める。始めて思ったことは、二人でするにはいささか物足りないボードゲームであったということだった。




 それでも時間のかかるゲームであったため、彼女は退屈そうな顔から段々と明るくなってきて、最後には「破産! 破産しろ!」とか呟いていたような気もするがそれは幻聴ということにしておきたい。

「いやー、楽しかった」

「こっちも楽しかったですよ。まさか二人きりなのにあんなに白熱するとは」

「ほんとねー。あ、報酬はあの子が持ってると思うからよろしく」

「了解」

「また遊んでねー」

「次はリアルファイトにまで発展するほどのエキサイティングかつスリリング、そして敵の敵はまた違う敵といった対立関係を生み出す鉄道ゲームを――」

「……疲れないもので頼むわね」

 家の前でそんな会話を交わしてから《まどかの座》へと向かう。

 ちなみになぜ藁葺きかというと、単に外装と内装のギャップが面白いからとかなんとか。本人がそれで良いのならこっちは何も言うまい。

 ゆっくり歩いて約三分。《まどかの座》ではすでに彼女が報酬を手に抱えて座っていた。彼女というのは、もちろん私がこの集落で最初に出会った彼女である。

「報酬です」

「ありがとう」

 手渡されたそれは、テニスボール大のエメラルド色をした球体であった。表面はつるつるとしていて、よく占い師とかが使っているあの水晶玉を思わせる。ひとつだけ違うのは、よく見ると一個の小さいボタンがあること。

 この球体は『感謝九玉』という分かるような分からないような名前を持っており、この集落の住人の仕事をこなすとこの《まどかの座》に生み出されるらしい。選ばれた者と仕事を完了した者以外が触ると粉々になってどこかへ吹き飛んでしまう。彼女がいわゆる選ばれた者であるため、ついでに仕事の効率化を促すためにも仲介をしている。

 私が感謝九玉のボタンを押すと、たちまち周囲は真っ暗となって目に見える風景は目まぐるしく変わる。最終的に大きな城下町の明かりがさんざめく夜景が下界に、金襴緞子の着物を纏って大きな城のテラスに立っている自分が影に見えた。

 感謝九玉とは一種の記憶を押し込めたものである。経験から願望まで、様々なものを記憶として扱う感謝九玉は、私のような厭世観を持った人間には夢のようなものである。なぜなら、普通に生活していてはお目にかかれない場所に行くことができるし、色んな自分を経験しているみたいでいくつもの人生を歩んでいるように感じる。それは平凡な暮らしに中毒性を与えるには充分すぎる体験だった。

 城の中から聞いたことのない声が聞こえる。

「――さん。――ても――――ですね。――ら――――って」

「え?」

 声の方を振り向くと、綺麗なドレスの女性が私の顔を一心に見つめている。その目はふるふると揺れており、今にも泣きそうであった。

 状況が理解できず、とりあえず「どうしたのですか」とでも声をかけようとしても、なぜか声が出ることはない。そういえば今まで感謝九玉の記憶の中で私が喋ったことはない。しかし話しかけられたこともなかった。

 ついに女性は一粒の大きな涙を零すと、身を翻して城内へと消えてしまった。

 そこで記憶は閉じた。

「……」

「どう、しました?」

 夜景は無く、場所は《まどかの座》に戻っていた。

 私はただ呆然と立ち尽くすのみで、彼女の疑問の声すら耳を素通りした。

 記憶。これは記憶である。ということは誰かがこの記憶を経験したのだ。まさかこんなものを願望で生み出したわけではないだろうから。

 それは誰なんだろう。

 なぜか私は無性にそれが知りたくなったのだ。

 そして心の中では、それが誰かという自分自身の問いに対して、不明瞭な確信を持っていた。


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