六話
僕らは、それ以降、世間話に興じていた。基本的には、僕の冒険譚だ。
と言って、僕は前にも言ったように用心深い性格である。冒険のほとんどが、出発の準備に費やされている、なんてつまらないものばかりだったので、いくらか脚色した。
気づいている人もいるだろう。そう、あんなに意味深に話していたお父さんの話が出てこないのである。僕は、一度、訊ねてみたけれど、はぐらかされただけだった。
それほどに、つらい出来事だったのだろうか。僕は、その話題で少しうつむいたリズさんを気遣い、話してくれるタイミングを待つのだった。
お父さんのことが本題、とリズさんは言っていた。それは、僕に何らかの依頼があるのではないだろうか、と考えているんだが、まあ、いずれ話してくれるのだろう。
リズさんは僕とお話をしていたが、レベッカちゃんは、そんな僕を見定めるような目つきで魔眼を行使していた。
話に一段落がついたところで、リズさんが夕飯の用意に町へ出ると言った。
「あ、それなら、僕が行ってきますよ。助けていただいた、お礼、と言ったら返しが薄すぎますけれど、雑用はいくらでもこなす所存ですよ」
「いえ、そんな悪いですよ。まだ病み上がりなんですから」
リズさんは、僕の体を気遣ってくれている。とてもありがたい。
もういっそ、お言葉に甘えてしまおうか、と、リズさんはまだ気づいていないぞ、と、下種な自分が考えてしまうのです。
「大丈夫ですよ。別に病気だった、ってわけではないんですし、それに、今夜の宿も探さないといけませんしね。そのついでだと思ってください」
そういうことなんですよ。まだ気づいていないリズさんだったなら、そのまま何も言わなければ泊めてくださったでしょう。それほどまでに、優しく暖かい女性なのです。僕が、神仏に形容しよう理由もわかるというものでしょう。でもね、僕の良心が許さなかったよ。いくら悪魔が巣食っていようと、心は清くいたいものである。
「別に、今晩くらい泊まっていただいてもかまいませんよ?」
それは、提案としては甘すぎるよ。頭がまいりそうだ。
僕は、その耳から侵入する甘美な麻薬に乗って、口をイエスと動かしそうになった。それを制したのは、凍てつく波動を放つ彼女の妹の瞳だった。
「ありがたいですけど、やっぱり女性の二人暮らしに、男が介入するのはいただけませんよ」
そうですか、とリズさんは引き下がる。しつこくしないところが、彼女の性格の良さを表している。そして、なぜあなたは残念そうなお顔をしていらっしゃるの? そんな顔に、惑わされてしまいますよ? 僕ってば。
「姉さん。せめて夕飯だけでも、というのはどうでしょうか?」
レベッカちゃんが、なびきそうな僕を完全に制して言う。これで引き下がれないね。本当に、うれしいんだか悲しいんだか。
「じゃあ、そうしましょうか。それで、いいですか?」
「あ、はい」
肯定してしまったよ、本当にあとには引けないよ。やっぱり泊めて、なんて言った暁には、もはや、時間が止まるような思いをするだろうね。
「じゃあ、お使いを頼めますか?」
「ご所望とあらば喜んで!」
僕は、むしろ自分の所望であったことを失念していた。
僕は、ローロー姉妹宅から、出発し町を目指していた。
リズさんは、僕の好きなものを作るので、とメモは渡さず、いくらかのお金だけを僕に託して、好きなものを買ってきてください、と僕を見送ってくださった。そんなにも僕のことを気にかけてくださってるリズさんの優しさは、今までにいくらも語ってきたが、それでも、まだまだ足りぬとばかりに、源泉かけ流しで湧き出で続けているのである。
僕は、右手に握った幾枚かの貨幣に目をやり、やっぱりこれは使えないな、と思った。
本来、僕はこのお金を手に取るつもりすらなかった。幸い、僕の荷物はリズさんのおかげで、よほど重たいもの以外の必需品は返ってきているのだ。もちろんその中にはお金もある。もともと、それなりの長期を予想していたし、船を出してくれた漁師の方は、責任を感じちゃって、その時の分の料金はいらないと返してくれたそうで、今、僕の所持金はなかなか余裕に満ちているのだ。
そんな状況だから、僕が払うと言ったのだけれど、リズさんは、そこは一向に引かなかった。リズさんは、他人の自由というものを大変に大切にしてらっしゃるようだ。支払わせる、というのは自由の侵害だとも取れるからね。こんなに後光の似合う人間はこの世に彼女以外存在しないだろう。もはや、人間ではないかもしれない。彼女は神だ。
ま、あとでこっそり返しておきますかね。
「自分の手なんか見つめて、どうしたんですか?」
「うぉおっと!?」
声をかけてきたのはレベッカちゃんだった。正直、心臓に悪い。驚きすぎだっただろうか。レベッカちゃんは不満そうだった。
「ああ、レベッカちゃんか。別に自分の手じゃないさ」
僕は、取り繕うように早口で言い訳をし、これだよ、と手のひらを開けてみせた。
「姉さんが渡したお金ですね。いやらしい」
「ちょっと、ひどくないか?」
レベッカちゃんは、僕に対して辛辣が過ぎないかな。出会ったばかりの時は、もっとかわいらしかったような気がするんだが。
僕は、まあいいや、とひとりごち、貨幣を握りなおして、レベッカちゃんに突き出した。
「なんでしょう?」
「いや、お金だよ。さすがに受け取れないからさ」
「でも、その問答は姉さんと済ましているでしょう?」
「ま、そうなんだけどね。お姉さん引き下がりそうになかったからさ」
姉と同様に遠慮の姿勢を見せるレベッカちゃん。僕はそんな彼女の手を取り、無理やりだけれど引き渡した。
「遠慮しないで。将来の義兄さんからのお小遣いだと思ってね」
「これが、援助というやつですか」
「そうだね、外堀を埋めるのも大切だ、と考えたんだよ」
ははは。レベッカちゃんをやり込めてやったぞ。そんな、いろんな解釈のできる言葉は選んではいけないよ。レベッカちゃんは、少し睨んでいる。
「と言って、私に渡しても姉さんは受け取らないと思いますけど?」
「だから、義兄さんからのお小遣いだって。受け取っときな」
「いや、将来のは付けてくださいよ」
レベッカちゃんは、納得のいかないような表情だったけれど、受け取ることにしてくれたようだ。
「ところで、なんの用なのかな?」
僕はまだ要件も言っていないうちに自分の事情に巻き込んでいたことを恥じた。大人の対応としてどうかと思うよね。
「買い出しに同行しようかと。あなたは、この町に来たばかりらしいですから、案内も込めて」
「それなら大丈夫かな。大体の地図は把握している。ま、それくらいできないと冒険家は務まらないからね」
「大体ではだめです! 大体ではこの町を生きていけませんよ!」
なぜここまでに悲痛なのだろうか。いや、まあ大体の予想はつく。つまり、僕のことが好きなのだな。全く僕は罪作りだ。姉妹の両方に見初められるとは。だが、すまない。僕はリズさん一筋なんだ。略奪愛すら成立しないほどにね。
ま、冗談はさておき。おそらく食べ物の好き嫌いの激しい子なのかな。
「僕が逃げるんじゃないか、って警戒してるのかな?」
「えっ? ああ、そうですその通り」
「やっぱりね。なんだか僕に依頼したいことがあるようだったから」
ま、そういうことにしてあげましょう。そう、これが大人の対応。
僕は、もう一つ大人の対応とばかりに、レベッカちゃんに質問をする。
「ところで、レベッカちゃん。好きな食べ物は何かな?」
「えっ、オムライス……」
とっさの質問に、正直に答えてしまったレベッカちゃん。直後に僕の真意を読み取った彼女は、顔を赤くして、僕をすこぶる睨んでいるのだった。
「じゃあ、オムライスにしようか」
今日の夕飯のメニューが決まった瞬間だった。あくまで僕の提案だけどね。