四話
「私自身、明確に事態を把握できていないので、合間合間に引っかかったところがあれば随時止めてください。すべて私の自己流の解釈となるので、当人たるランさんの意見で保管していきたいので」
僕は、その前置きに大きく肯定のうなずきを返した。
そして、リズさんは、では、と一泊の間をおいて話し始める。
「ランさんは、海中探査のさなか、予想外の荒波にのまれ、そして意識を失い、気が付いたらここにいた。そうですね?」
「ええ。間違いないです」
僕は、質問に対して、イエスで答える。状況を一瞬回想したためか、大事なことを忘れていたことに気が付いた。
「あ、言い忘れていました、助けてくださって、本当にありがとうございます」
僕は、そう心からの感謝の気持ちを、レベッカちゃんに対しての数百倍は込めて伝えた。
それに気づいてかレベッカちゃんはとても不愉快そうだ。だから何? である。
「そこなんですよ」
リズさんは、強調したように口調を強めて言った。
「実際には、私はあなたを助けた、とは言い難いんです。どちらかといえば、助けたのはあなた自身。つまり、あなたが勝手に助かっているのを私が発見した、というような形です」
「僕は、浜辺かどこかに打ち上げられていたんですかね?」
正直ちんぷんかんぷんだったが、自分が作り上げれる最高の仮説を、彼女に提示してみた。
「本当に、記憶がないようですね」
リズさんは、それを最終確認とばかりに、質問とも自己確認とも取れないような口調で言った。僕は一応の肯定の意思を、首肯で示す。
「だったら、信じられないかもしれませんが、私が見た事実だけを伝えます。ランさん、あなたは、浜辺で意識のないような状態ながら、自力で歩いていました」
何を言っているのか。リズさんは、僕のことを夢遊病患者だと言いたいのだろうか。確かに、すべて夢だとしたら納得がいく。あんなに快晴で、風もなく、波も穏やかな海。そんな環境で、いきなり荒波に襲われたのだ。
僕は、圧倒的な不幸、つまり晴天無風の荒波、と、圧倒的幸運、つまり、九死に一生を得たことおよび、スーパーエンジェルのリズさんに出会えたこと、が重なって起きた奇跡なんだと思っていた。
そんな運がらみの答えよりか、お前は夢遊病なんだよ、と告げられる方がどんなに現実的だろうか。夢遊病で徘徊ののちに、こんな大天使様のご邸宅に上り込めたのなら、結局ただのラッキーボーイじゃないか。僕はそれを享受することにした。
「つまり、僕は夢を見てさまよう、夢遊病患者なんですね」
「え? 別に違いますよ」
一蹴された。ただの一言で。そのセリフにあざけりの様子など微塵もなく、ただただ、少し落ちこぼれ気味の生徒に対して、説明しなおしの基点とされたような感じ。さすが先生、僕は彼女が教師として君臨する楽園のようなクラスを想像せざるを得なかった。
「確かに、現実的ではないかもしれないですが、ランさんが海に潜ったのは事実です」
そう言うと、リズさんは立ち上がり、奥の部屋に入って行った。何をするでもなく、しばらくの帰還を待つ。
「姉さんは、自分の話になると、周りが見えなくなりますからね。お客に断りなく、勝手に行っちゃうし」
僕は、なんだこの尼、リズさんを貶してんのか、と思った。
「すいません。お待たせしまして」
「いえいえ、全然そんなことないですよ」
むしろ、待ち時間までも至福の時間に変えてしまうあなたの魔力にまいっちゃいます。
そんなリズさんが、その手に持ってきたのは僕の旅装だった。僕は、今更ながら、潜る際に探査用の装備に着替えていたことを思い出した。
だが、今着ているのは普通のシャツにズボン。おいおい、これはあり得るんじゃないかあらぬ想像ではあるけれど、僕は今現在、天女の羽衣に包まれているのではないか?
「それをどこで、というか、この服は?」
「この服は、私が、町の漁港で買い物をしてた時に、ランさんがいるのなら届けてくれって、漁師のおじさんが」
それにしても、漁港で、ダイビングの講習もしているんですね、と今度、私もしてみようかな的な雰囲気を出すリズさん。僕は別にダイビングをしていたわけではないんですよ。
違う、僕はそんなことが聞きたいわけじゃないんだ。このシャツが、普通のパジャマじゃ胸がつらくってーの結果存在している、女性だけの家には不釣り合いなサイズのシャツではなくって? ということなんです。
テンションが上がりすぎて、いまいちわかりにくいことになってしまっている。
「漁師の方も、申し訳なさそうにしていましたよ。あの波は、俺たちにも予想できなかった、って」
少し、ものまね気味に言う。もちろん僕もその漁師には会っている。クオリティーはそれなりだけれど、かわいかったので許します。
「じゃ、なくって、この服は?」
しつこかったか。なぜそこにこだわるのか、疑問に持った表情のリズさん。そして、例のごとく僕の思考を見透かしたような表情のレベッカちゃん。本当にこの子はいったい。
「それは、お父さんのです」
「いらっしゃったのかい」
いや、どうせ二人暮らしなんだと思ってた。食事中にも一切そんな話題が出なかったから。
「いえ、お父さんは、もういないんです。だから、その服も、私が寝間着として利用しているような状態で」
おい、聞いたか僕。衝撃の事実だよ。やはりこのシャツは天女の羽衣だったのだ。だが、喜んではいけない。なぜなら、お父さんの話題がシリアスな方向に進んでいきそうだから。本当は飛び跳ねたいです。今すぐに、シャツの匂いを嗅ぎまわりたいです。
「では、お父さんは?」
その質問に、彼女は困ったような表情になった。僕は焦った。リズさんにこんな表情させるわけにはいかんだろう。
「すいません、答えたくなかったら、別にかまわないです」正直、知らないおっさんの話なんて、どうでもいいんですけどね。
「いえ、そういうわけじゃないんです」
その言葉で、意を決したのか、リズさんは、ふぅ、と一息ついて、僕の顔を見つめる。僕は、目をそらしてしまった。
僕の様子が可笑しかったのか、ふふふ、と彼女は笑った。その笑顔のあと、彼女はできうる限りの悪い顔を作り上げて僕に言う。
「お父さんのことも、最後にはお話するつもりでした。むしろ、私には、そっちが本題。私って実は性悪なんですよ?」
そういう彼女の言葉には、邪気と呼べるものが一切なく、そういう彼女の表情は、邪気を作り上げるのに失敗した、かわいらしい笑顔だった。