二話
旅の多い生涯を送ってきました。いったいどんな物語の冒頭句になるのだろうか。よくわからないけれど、確かなことは、本当に旅ばかりの生涯だったということだろう。 親父は旅人、じいちゃんは冒険家だった。本当に小さなときは、親父に旅のノウハウを叩き込まれ、十二を超えたあたりで、じいちゃんにロマンを教わった。
そんなじいちゃんも、死んでいない。確か、八十五だったから、冒険家なんて職業では破格の長生きだ。大往生もいいところだったが、冒険家の宿命だとしても旅先で死ぬのはないだろうよ、と思ったものだった。
当時、僕は十六だったと思うが、さすがに受け入れられなかった。不死身を目指した冒険家が、旅半ばで死んでしまう。正直、雲をつかむような話ではあるし、どうせ見つかりはしないと思ってはいたけれど、不死身の秘薬があれば、とあれほど思ったことはなかった。
そういう事情が、今現在の僕の職業につながっているのだけれど、今、思い返せば、どんな道を歩んでいたなら僕は冒険家以外の職についていたのだろうかと、はなはだ疑問である。あまり、こういう表現を使いたくはないけれど、結局のところ、宿命などという言葉に完結できるのではないのだろうか。そう、冒険家の宿命、というやつである。
それに乗っかってしまったのか、僕は死んだ。荒波に飲まれ死んだ。
死んだのか。思考ははっきりしている。幽霊だとかそんなものになってしまったのだろうか。生前の僕は、基本的にそんな目に見えないものは信じていなかった。いや、いま思えば、不死身の法があると、少なくとも表面上は信じていたのだ、そんな目に見えないものを。
この差はいったい何なのだろうか。実際には目に見えはするのかもしれないが、実在するか怪しいという点では共通しているだろう。
本当は信じていなかったのかもしれない。表面上は、という表現にそれは表れているのだろうか。
ところで、幽霊になったはいいが、その先にいったい何がるのだろう。幽霊なんて、信じられない存在は、自分がなることによって肯定された。それを逆説的にとらえるならば、不死身の法だって肯定されるのかもしれない。
そんな、生前の目標に対する希望の光が今更見えても、という思いはぬぐえないが。
このままの状態が永遠に維持されるのか、そんな不安もよぎった、死神とかいう存在に会えるのではないか、などと、期待もした。
だが、答えとして用意されていたものは、もっとあっけなかった。
簡単に説明するならば、僕、ランドー・カサネは死んではいなかったのだ。