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悪魔の娘は問う。
「気は済んだ?」
そこに、仲間を殺された悲哀も憎しみも無い。
むしろあの悪魔の青年の様に、悦楽さえ滲ませていた。
これが悪魔の性か、とシュバイツは顔を歪めた。
分かっていても、口にせずにはいられなかった。
「何故、始めから教えてはくれなかったんだ」
ことり、と悪魔の娘は首を傾げる。
「何を?」
「あの悪魔の事だ。それから、姉上の事」
ちらりと、少女の瞳が黒い塵を見やる。
それから手の平を開いて、純白を取り戻したカメオを見つめる。
シュバイツは瞳を伏せたその顔を見下ろしながら、やるせない想いを持て余した。
「最初に知れていれば、私は姉上の仇を討ち、城に戻る事が出来た」
口の中に苦い物が広がる。
「……こんな心を抱く事は無かった」
右手を持ち上げて、悪魔の娘に差し伸べる。
彼女は拒まない。
そのまま頬に指を滑らせると、赤紫の瞳がしっかりとシュバイツを映した。
新緑の瞳には最早憎悪など見当たらなかった。
悪魔の娘はその事実に自分が失望を覚えていないと気付き、不思議でたまらなかった。
私が欲しかったのは、彼の暗い感情では無かったの……?
自問を抱きながら、シュバイツに問い掛ける。
「……どんな心なの?」
少女の声音は何処か寄る辺無き淋しさを含んでいた。
シュバイツはそれに対して、迷い無く応えた。
「恋だ」
赤紫の瞳が大きく見開かれる。
シュバイツは唇を歪めて言った。
「この捻くれていて、意地が悪く、寂しがり屋の悪魔に、私は恋をしたのだ」
詰まっていた息を短く吐き出して、悪魔の娘は唇を震わせる。
「……悪魔なのよ?」
紡がれたその言葉には、明らかな動揺があった。
それに気が付いたシュバイツは苦笑する。
「そう、恐ろしい事に、お前は悪魔なんだ」
白い頬に置いていた手を滑らせて、彼はその細い首に指を回した。
恐らくシュバイツが本気で力を込めれば、この首はあっさりと折れてしまうだろう。
悪魔の娘を殺してしまえば、彼女に恋をしたという真実は葬り去れるだろう。
しかしシュバイツはそれをしたくは無かった。
この少女を失いたくは無かった。
では、どうするか。
彼の右手は素早く背中の矢筒から一本の矢を取り出して弓を構えた。
「お前は、悪魔でなくなりたいと願うか?」
「…………」
きょとん、と少女は瞬いた。
その無防備な風情に、シュバイツは笑いを零した。
幾らでも残虐になれる筈なのに、この娘は妙に人間臭いところがある。
「私を殺すの?」
胸の中央に突きつけられた鏃に触れて、悪魔の娘は問い掛けた。
まるで恐怖する事の無い彼女に、シュバイツは答える。
「この矢なら、『悪魔のお前』を殺せる筈だ」
そう、悪魔の娘に向けているのは魔を制すると言われる水晶の矢だったのだ。
この矢ならば、彼女自身を滅ぼすのでは無く、悪魔の性だけを殺せるかも知れない。
「ふうん」
悪魔の娘は一頻りその矢を見て、楽しそうに呟いた。
シュバイツを見上げた顔には、やはり笑みが浮かんでいる。
薄紅色の唇は歌う様に言った。
「楽しそう……」
「楽しそう、だと?」
訝しげにシュバイツが聞き返せば、悪魔の娘はうっとりと頷いた。
「人間にとって私の残虐性や嗜好は『悪』でしか無いわ。でも、『悪魔の私』が死ねば、人間にとって私は人間と変わりなくなる」
彼女の囁く『人間』という言葉は、シュバイツには『貴方』と言っている様に聞こえた。
「そして、『悪魔の私』だけが死んでも、私自身が死んでも、貴方にとっては都合が良い」
両手でシュバイツの頬を挟み込んで、彼女は嘯く。
これこそが代償であると言うかの様に、愉悦に満ちた声でそっと続けた。
「素敵ね……」
その台詞を皮切りに、迷いを断ち切る為に、シュバイツは矢を放った。