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「悪魔の森……、か」
シュバイツは弓を下ろしてその言葉を繰り返した。
この森の不気味さを思えば、そう言われるのも無理は無いが、住人がそれを口にすると、また意味合いは変わって聞こえる。
少女は瞳を細めた。
「こんなところで立ち話をしても仕方がないわ。
どうぞ、中へ」
ひらりと振られた白い手の後をシュバイツが視線で追うと、その先には半分開かれた扉があった。
誘い込まれる様なその雰囲気に、彼は強く警戒する。
「いや、私は先を急ぐ。
知りたい事を聞いたら直ぐに失礼しよう……」
瞳を険しくして言ったその台詞に、少女はくすくすと笑い出した。
驚くシュバイツに向かって数歩近づくと、彼女は口元に手を当てて囁いた。
「水仙の姫を攫った悪魔の行方。
それから、姫を取り戻す方法」
甘みのある囁きに、シュバイツは目を見開いた。
まるで頭の中を覗き込まれた様な気分になったのだ。
少女の言葉は全てシュバイツの知りたい事だったから。
「な、ぜ……」
呆然と呟くと、少女は楽しそうに唇を緩ませた。
「この子が言ったでしょう?」
傍らの鴉の羽根を優しく撫でて、彼女は続ける。
「私は悪魔の娘だもの。
……わかるわ」
その笑みに、シュバイツは魅入られた。
彼女の勧めに従ったのは、そのせいかもしれない。
気が付けば彼は少女の屋敷の中に招かれ、簡素な居間に通されていた。
「座って。お茶を淹れてあげる」
慣れた仕草でお茶を淹れる少女の様は優雅で、何処の姫君と言われても不思議では無かった。
窓の外の止まり木には先程の鴉が止まって、ぎょろぎょろとした目で室内を窺っている。
その視線さえ無ければ、居間は居心地の良い空間に作られていた。
腰の弓と矢筒を傍に置いて一人掛けのソファに腰を下ろしたシュバイツは、少女の動きを見つめた。
振り返った彼女はゆっくりとした足取りでティーカップを持って戻って来た。
「どうぞ」
シュバイツの前には二つのカップが置かれる。
どちらでも好きな方を取れ、と言わんばかりだ。
戸惑いながらも、シュバイツは右側のカップを手に取った。
ゆっくりと、少しだけ啜る。
するとそれを眺めていた少女は残ったカップを手に取って、シュバイツの向かい側に座る。
微笑みを浮かべながら中身を飲んで、こう言った。
「毒入りじゃ無くて良かったわね」
シュバイツの手から力が抜け、がちゃんっ、と音を立ててティーカップが絨毯の上に落ちた。
「な……、ど、毒だと?」
動揺する彼に、ことさらゆっくりお茶を啜ってみせながら、少女は頷く。
「ええ。こっちは毒入り」
全部飲み干して、彼女は満足げに笑う。
唖然として、シュバイツは尋ねた。
「本当に毒を入れたのか?」
少女は事も無げに頷く。
「ええ」
「……何故?」
その問いに、彼女はきょとんと瞬いた。
少し考えて、また当たり前の様に言った。
「美味しいから。
まあ、人間は死んじゃうかもしれないけれどね」
くすくすと軽やかな笑い声に、シュバイツは薄ら寒いものを感じた。
けれどこんな所で怯んでいる場合では無いと思い直す。
「君の好みはどうでも良い。
私は先程の答えが知りたい」
きっぱりと少女の赤紫の瞳に向かって告げる。
娘は少し瞬いて、赤い舌で唇を舐めた。
「悪魔に答えを求めて、ただですむと思う?」
謎掛けの様なその言葉に、シュバイツは顔をしかめる。
「代償が必要なのか?」
そう聞けば、彼女はさも嬉しそうな顔をした。
立ち上がり、「そうね」と言った。
くるりと一回りして居間を見渡す。
「そうだっ。庭の薔薇が咲くまで、この屋敷で過ごしなさい」
そうしなさい、と少女は楽しそうに言う。
「そんな暇は無い!」
シュバイツが声を荒げても、どこか幼げに笑う少女は気にも止めない。
「良い考えだわ。ねえ、ギーリ」
そう言って窓を開けると、例の鴉を室内に引き入れた。
黒い羽根が数枚床に落ちる。
「良い考えだ、悪魔の娘。
森の暮らしで男手は貴重だ。例えそれが非力な王子の手だろうとね」
ぎひひ、ぎひひ、と不愉快な笑い声が響く。
少女はショールを体に巻き付けて、シュバイツに囁いた。
「そうね、薔薇が咲く前でも、貴方が『答え』を見つけたならここから出して上げても良いわ。
……でもね、それまでは、貴方は私の玩具よ。道具よ。
よーく働いて頂戴」