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恋愛小説のはずでしたー灯の検死官

死んだ妻の魂を偽造した老人のもとへ、教会の執行官が検めに来た

作者: 堀吉 蔵人
掲載日:2026/07/14

 妻が死んで、四年になる。


 それでも今夜も、卓の向かいには妻がいる。豆と塩肉の煮込みを匙で掬い、ふうふうと冷ましている。熱くもなかろうに、癖だけが残っている。

「あなた、お仕事は」

「今日で、仕舞いにした」

「あら。じゃあ明日から、ずっと家にいるのね」

 嬉しそうに笑う。

 その笑い方は、もう妻のものではない。


 最初の年は、目尻の皺の寄り方まで妻だった。

 二年目に、笑い声が変わった。わしの知らん、よその女の声で笑うようになった。

 三年目に、時々、わしの名を忘れた。

 四年目のいまは――皿を、三枚並べる夜がある。三枚目が誰の分か、妻は答えられん。わしも、訊かん。


 贋作は、剥がれる。

 わしは器職人だ。五十年、人の身体の代わりを削って生きてきた。誰に教わるまでもなく、知っていた。


 ◇


 この街では、金のある者は身体を乗り換える。

 歳を取れば若い器へ。戦に出るなら鋼の器へ。灯を移すのは教会の役目で、わしら職人は器を削るだけ。灯には、触れてはならん。それが掟だ。


 妻が死んだ冬、わしは掟を破った。


 死んだ者の声は、霊網に、しばらく残る。井戸の底に呼び声が谺るように、三月ばかり、消えずに漂う。わしは五十年分の伝手で禁具を借り、三晩、網に糸を垂れた。

 三晩目に、掛かった。

『――ごはん、冷めますよ』

 妻の残響は、それだけだった。台所からの、なんでもない小言がひとつ。

 わしはそれを芯にして、五十年の腕の全部で、妻を編んだ。足りんところは、わしの記憶で継いだ。妻の器は、わしの生涯でいちばんの仕事になった。


 いちばんの仕事が、罪だった。


 ◇


 戸を叩く音は、しなかった。

 ただ、影が差した。

「……あなた、お客様よ」

 妻が戸口を見て、微笑んだ。

 黒衣の女が、立っていた。異国の仕立て。深い井戸のような目。

「夜分に、御免」

 女は胸に手を当て、腰を折った。東の礼だ。わしの故郷の、もう誰もやらん礼だった。

「……教会の、方か」

「灯の検死官です。今夜は――死んでいる方の検分に、参りました」


 女の袖で、ちりん、と音がした。

 覗いたのは、真鍮の小鳥だった。羽のあちこちが黒ずみ、片目の硝子が曇っている。ずいぶん古い型の、人工精霊だ。

『とうろく、しょうごう』小鳥は事務的に囀った。『贋作いっけん。無認可の器いっけん。残響の窃取いっけん。……つぎはぎ、たすう』

「多数、は余計です」

 女が窘めると、小鳥は不服そうに羽を鳴らした。

「……古い子だな、それは」

「三代前の型です。よく働く」

「片目の曇り、直るぞ。硝子を替えれば」

「本人が、嫌がるので」

『みえすぎる目は、げひん』

 小鳥が言い、女がわずかに肩をすくめた。妙な主従だった。


 妻が、女に茶を出した。

 客が来れば茶を出す。それだけは四年、一度も剥がれなかった。女は湯呑みを両手で受け、少しのあいだ、黙ってそれを見ていた。

「網の検めであなたの継ぎが掛かったのは、この春です。四年、局の網をくぐった。……正直に申し上げて、見たことのない精度だ」

「褒めてくれるな」

 声が、掠れた。

「頼むから。もう少しだけ――と、言いたいところだが」

 わしは、妻を見た。妻はわしと女を等分に見て、にこにこしている。話の中身は、もうほとんど届いていない。

「――剥がれてゆくあれを、これ以上見ておるほうが、つらい」


 女は湯呑みを置いた。

「検分を」

 女の指が、妻の胸の前で、糸を手繰るように動いた。妻はくすぐったそうに笑った。

「一年目。笑い方を、継いでいますね。二年目、声。三年目、名前」

 指が、止まった。

「四年目は――ほとんど、あなただ」

「……ああ」

「ひとつだけ、申し上げます。これは、もう奥方ではありません。残響を芯に、あなたの記憶で編んだもの。四年、穴を埋め続けたのは、あなた自身の祈りです。私が検めるのは、奥方ではない。あなたの祈りだ」

「……ああ」

「それでも、と問います」

「ああ。……頼む」


 女が、立った。


「――偽りの灯は夜に灯り、まことの灯は胸に灯る」


 妻が、不思議そうに女を見上げた。


「魂の贋作、天が赦しても――私が、赦さない。

 聖務第九局、執行官。

 その灯、検めさせていただきます」


 黒衣の袖が、鳴った。

 女の首筋から頬へ、朱の紋様が這い上がる。

 竈の火が、すっと低くなった。


 女の背後で――夜が、立ち上がった。


 一太刀は、見えなかった。

 ただ、妻だったものが、ほどけた。

 数百の糸が、灯りに透けて、ゆっくりと宙へ還ってゆく。糸の一本一本に、景色が宿っていた。祝言の白。焦がした鍋の煙。工房の屋根を打つ、長い雨。どれがまことの記憶で、どれがわしの継ぎか、もう分からん。分からんまま、みんな綺麗だった。

 最後に残ったのは、いちばん古い糸だった。


『――ごはん、冷めますよ』


 四年前、最後に聞いた声の、ままだった。

 それきり、卓の向かいは、ただの椅子になった。


「……わしは、罰されるかね」

「器と贋作は教会預かり。沙汰は司教区が。……ですが、五十年の職人の手を、教会は遊ばせておきません。おそらく、局の工房で器を削ることになります」

「罪人の手で、か」

「罪人の手が、いちばん覚えている」

 女は立ち上がり、それから、少しだけ間を置いた。

「――覚えていることは、罪ではありません。誰にも、検められない」

 わしは、空いた椅子を見た。冷めてゆく皿を見た。

 それから生まれて初めて、教会というものに、感謝した。


 ◇


 路地の外れで、黒衣は袖の中の糸を検めた。

 ほどいた贋作の、数百の糸。そのほとんどは老人の記憶で――一本だけ、違うものが混ざっていた。

 とても古い言葉で、祈りのかたちに、撚ってある。

『それ、せんげつの、はりしのと、おなじ』

 小鳥が、囀った。

「ええ」

『だれの?』

「……誰のでもない」

 女はそれを、月に透かした。零れる音は、歌に似ていた。

「それが、問題です」


 今夜も、霊網は静かに脈打っている。


【了】

面白かったら評価、ブックマークいただけると嬉しいです。


シリーズ前作「冤罪で婚約破棄された私の『愛した記憶』は偽物でした――本物の恋は、十年前に盗まれていました」はシリーズ「恋愛小説のはずでした」よりお読みいただけます。

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