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第4話 サーフェス・バックサイド

ーーー 一方零は、屋根の上を次々と飛び越えて移動していた。それは、パチパチパチパチ氏を抱えているとは思えないほど軽く、かつ迅速だった。

パチパチパチパチ氏は、風の切る音を聞きながら、零の左手に目を留める。


「あの、大丈夫?さっきの傷...」


その傷は、一般人である彼から見れば鮮血の滲む痛々しいものだった。しかし、零は当たり前のようにで答える。


「ああ。問題ない。応急処置なら済ましてある」

「あの戦いの中にそんな時間が!?」


パチパチパチパチ氏が声を上げるのも無理はない。スクリプトとのあの壮絶な戦いの中、彼女は一瞬の隙、数秒を利用して包帯による処置を完了させていたのだ。

一瞬の沈黙の後、パチパチパチパチ氏は再び零に問う。


「そしてこれは...どこに向かって?」

「隠れ家だ。組織の奴らはまだ追ってきているかもしれない...一度身を隠す」


そして間もなく、零は家の屋根を降り地上に立つ。

目の前に立つのは、どこにでもあるような中規模のマンションだ。エントランスにはオートロックがあり、周囲の住宅街に溶け込みすぎていて、ここが暗殺者の潜伏先だとは誰も思わないだろう。

零は、パチパチパチパチ氏を腕から下ろす。するとパチパチパチパチ氏がマンションを見上げこう言う。


「こ、ここが隠れ家?めっちゃボロい所なのかなと想像してた...」


彼の頭の中には、映画や漫画に出てくるような、湿っぽくて暗い廃墟や、錆びついた廃工場が浮かんでいたのだ。


「そういう場所は先決ではない。それらの場所は暗殺に最適だ。恐らくマークされている。こういう堂々とした場所を選ぶ方が逆に見つからない」

「な、なるほど...」

「さぁ、中にはいるぞ」


そう言うと零とパチパチパチパチ氏はマンションの中に足を踏み入れた。


「おーすっげぇ!隠れ家というよりちゃんと家じゃん!」


パチパチパチパチ氏は、その広々とした空間と埃一つない内装の美しさに、思わず感嘆の声を上げた。窓の外に広がる夜景を反射するほど磨き上げられた床や、無駄のない配置の家具。情報戦の最前線に身を置く彼にとって、これほど「日常」を感じさせる空間は予想外だったのだ。


「そ、そうか?隠れ家だし、最低限の物しかないが...」


零は少し照れくさそうにそう言ってソファに腰を下ろす。


「まぁ、当面の間はここが拠点になるだろうな」


零のその言葉には、これから始まるであろう「ゴースト」や「殺し屋」との長く過酷な戦いへの覚悟が滲んでいた。

しかし、パチパチパチパチ氏の脳内は違った。


(え、つまりこれって...推しと共同生活...!?)


その瞬間、彼の脳内には色鮮やかなお花畑がパッと広がった。 朝、隣でコーヒーを飲む零。夜、同じ布団で隣に眠る零。それは彼が夢にまで見た、いや、夢でも恐れ多くて描けなかった「聖域サンクチュアリ」!!!。

理想の光景が走馬灯のように脳内を埋め尽くし、パチパチパチパチ氏の口角は今にもデレデレと緩みそうになっていた。


しかし。


そんな彼の脳内を一瞬で焦土に変える、零の冷徹な一言が放たれた。


「完全に身を隠せたわけではない。組織の殺し屋が突き止めてくる可能性もある。だから、気を抜きせずに生活してほしい」

「がはっ...」


見えない弾丸に撃ち抜かれたかのように、パチパチパチパチ氏は衝撃を受けた。 「殺し屋」……「命の危険」……。 彼の理想という名のガラス細工に、ピシピシと大きなヒビが入っていく。


「ぐっ、怖い...き、気をつけ...」


その時、言葉を遮るようにパチパチパチパチ氏のお腹が鳴る。零の鋭い視線が、パチパチパチパチ氏の腹部へと向けられる。


「あ、いや、これは……その、脳を使いすぎると、どうしてもエネルギーが……」


パチパチパチパチ氏は、真っ赤な顔を隠すように意味不明な言い訳を並べる。零は呆れたような、それでいて少し毒気を抜かれたような表情を浮かべこう言う。


「は、腹が減ったんだな。まぁ、無理もない。何か適当に作ってくる」


そう言うと、零は腰掛けていたソファからすっと立ち上がり、キッチンへと歩みを進めた。


「え、作ってくれるの?」


パチパチパチパチ氏は、信じられないものを見るような目で零の背中を見つめた。


「まぁな...いつものお礼だ」


キッチンカウンター越しに振り返った零が、ほんのわずかに、口角を上げて微笑んだ。


その瞬間。


パチパチパチパチ氏の胸に、見えない狙撃銃で撃ち抜かれたような衝撃が走った。先ほど彼をどん底に突き落とした「殺し屋への恐怖」など、今の彼には微塵もない。


(...……は、鼻血出る……! 今の笑顔、保存、あ、そうだったスクショできないっ!)


パチパチパチパチ氏は、あまりの幸福と衝撃に耐えきれず、壊れた精密機械のように何度も頭を壁に打ち付けていた。零の冷ややかな視線が突き刺さるが、そんなことはどうでもいい。


(まさか、推しの手料理が食べれるなんて...推しの...手料理...!!!)


しかし、歓喜に震える彼の脳裏に、ふと『ある記憶』がフラッシュバックした。


それは少し前の『七色レイ』の生配信。 企画名は**『虹色!?七色のホットケーキを作る!!』。 画面越しに彼が見たのは、夢のようなスイーツではなく、全色の食紅が混ざり合い、もはや暗黒と呼ぶにふさわしい、どろどろとしたえげつないホットケーキだった。


「……うっ」


さらに、追い打ちをかけるように思い出されるのは、零が**Zwitterズイッター**に自信満々でアップしていた料理写真の数々。


・具材が原型を留めていない謎のスープ

・炭を錬成したかのような焼き魚

・彩りという概念を捨て去った、一面紫色のパスタ


どれもこれも、見た目が終わっているものばかりだった。

(ここで、ここでレイ姉の料理を食べずして、俺は**『レイリス』**を名乗れるのか……いや! 断じて名乗れない!)


彼の内側に、狂信的とも言える謎のプライドが燃え上がる。たとえそれが胃袋を破壊する劇物であったとしても、推しが自分のために作ったという事実だけで、それはもはや聖遺物なのだ。


「できたぞ」


零が差し出した皿。そこには、湯気と共に鼻を突く異臭を放つ「何か」が鎮座していた。かつてはパスタであっただろうその物体は、重力に従うことを忘れ、皿の上で奇怪な造形を保っている。


「知っているだろう。パスタは私の得意だ。遠慮なく食べてくれ」


零の自信満々な言葉を合図に、パチパチパチパチ氏はフォークを手に取った。一口運ぶと、脳内の警報機がけたたましく鳴り響く。舌の上で未知の化学反応が起き、理解を超えた味と匂いが味覚神経を蹂躙した。

しかし、パチパチパチパチ氏は涙を堪え、震える右手を掲げてグッドマークを作った。


「め、めっっちゃ……美味しいっす!」

「ふふん、そうだろう」


零は満足げに鼻を鳴らし、どや顔で腕を組んだ。 その、わずかに顎を上げた誇らしげなポーズ。パチパチパチパチ氏は、その姿に既視感を覚える。


(その動作……3Dライブでパフォーマンスを褒められたときにするやつだ……。やっぱり本当に、本物のレイ姉なんだな……)


やがて零が近づき、パチパチパチパチ氏の隣のソファに腰を下ろした。


「食べながらでいい、話そう。さっきの解読技術について、そして……お前自身について教えてくれ」


その瞬間、室内の空気が一変した。 先ほどまで「推し」に鼻の下を伸ばしていたファンの顔が消え、パチパチパチパチ氏の瞳に冷徹なエンジニアの光が宿る。


「……うん、教えるよ。この戦いに役立つかはわからないけど」


ーーーその時、リトルスターパチパチパチパチ氏の家を慎重に検分していたが、目的の『例の物』――あのUSBメモリが見当たらないことに、苦々しく眉を寄せていた。


(やはり、あのゴーストが回収し持ち逃げましたか……)


嘆息した、その時だった。


「あぁっーーーーー!!」


静まり返った室内を、スクリプトの絶叫が震わせる。


「どうしたスクリプト! (まさか、USBが見つかったのか!?)」


リトルスターは瞬時に腰の得物に手をかけ、声のしたパチパチパチパチ氏の自室へと躍り込んだ。そこは、一般人が住まうにはあまりに「異様」な熱量を放つ空間だった。


「これ、これすごいっすよ! 私達の大好きな……」


スクリプトが震える指先で棚を指し示した、次の瞬間。 先ほどまで冷静沈着だったリトルスターの喉から、鼓膜を突き破らんばかりの野太い咆哮が響き渡った。


「七色レイのVTuberグッズ、1stから最新のグッズまで全部揃っとるぅぅぅ!!!」


「い、いきなり叫ばないでください! 耳壊れるっす! ……それにしても、本当にすごいっすね! レイ姉のグッズが山のように……!」


スクリプトは耳を抑えて悶絶しながらも、目の前の光景に目を輝かせた。 そう、この殺し屋コンビもまた、VTuber『七色レイ』に魂を焼かれた重度のファン――通称『レイリス』だったのである。


「あぁ……これは並のレイリスの仕業ではないとみました...」


リトルスターはもはや任務のことなど意識の彼方へ追いやり、吸い寄せられるように部屋の奥へと踏み込んでいく。棚の隙間、ポスターの裏、あらゆる配置に込められた「愛」を読み解こうとした彼の目に、さらなる衝撃が飛び込んできた。


「あぁぁぁーーーーーっっっ!!!」


再び、近所迷惑も顧みない絶叫が上がった。


「もぉー! なんすか!」


スクリプトは本日何度目かも分からない悲鳴を上げ、耳を塞いだ。しかし、リトルスターは獲物を見つけた狩人のような鋭い眼光を……いや、熱狂的な信者のそれを持って、一点を見つめていた。


「これはっ!! 期間限定かつコンビニ限定の『七色レイ・クリアファイル』! しかも全種類揃っとるぅぅ!!」

「えええ!? あの伝説っすか!? す、すごいっす……私も2枚しかないのに……」


スクリプトも思わず、任務の厳格さを忘れて感嘆の声を漏らす。それは数分で完売し、転売市場でも高値で取引される、レイリスたちの間では聖遺物とも称される代物だった。


「ええ、僕もあの日、車を飛ばして一日中回って、せいぜい3枚……。う、羨ましい、羨ましすぎる……」


リトルスターの瞳に、暗殺者としての冷徹さは微塵も残っていない。彼はふらふらと、何かに取り憑かれたように、そのクリアファイルへとゆっくり手を伸ばした。


バシィッ!


「ダメっす」


スクリプトの鋭い手枷が、リトルスターの指先を弾いた。 一瞬の沈黙。……そして、リトルスターが子供のように地団駄を踏んで暴れ始めた。


「ちょ、ちょ! 暴れるなぁ〜っ!」

「こ、ここで逃したら! このような機会はもう二度と! なぜ止めるんですかスクリプト!!」

「ほんとにダメです! ターゲットとはいえ、殺し屋にも仁義はあるっすよ」


スクリプトの、これまでにないほど強気で芯の通った一喝。その言葉は、暴走していたリトルスターの脳内に冷や水を浴びせかけた。 リトルスターの体からふっと力が抜け、彼は数回まばたきをして、ようやく我に返る。


「……す、すいません。つい我を忘れてしまいました。……」


彼は衣服の乱れを整え、深く呼吸をつくと、おもむろに懐からスマートフォンを取り出した。


「せめて……せめて写真だけでも」


「はぁ……」


静まり返った部屋に、スクリプトの呆れ果てたため息が虚しく響き渡る。


「ひ、ひとまず。例の物はありません。一度引き返しましょう」

「っすね。怒られるかな〜」

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