我慢ならない
言うぞ、よし、言うぞ、と何度も心の中で決意してフィルの部屋の前で無意味に足踏みをする。今日こそ言うぞ、と決めてコンコンと部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
フィルの声が聞こえて扉に手をかける。扉を開いて入った瞬間、目に飛び込んできたのは上半身裸のフィルだった。
慌てて目を逸らそうとしてから、腰あたりに濃い色のあざができているのに気づいて目が逸らせなくなった。拳ひとつ分くらいのあざで青黒くなっている。
「姫様」
「フィル、そのあざ」
「ああ、レオンとの鍛錬の時にできたものです」
「鍛錬」
フィルがシャツを羽織りながらこともなげにそう言う。痛そうなのに気にしてないのかと思ってフィルの顔を見ると、首を傾げてフィルがこっちに近づいてくる。シャツのボタンを留めながら近づいてくるフィルになぜか動揺してしまって慌てて目線を逸らした。
「フィル」
「姫様、こんな時間にどうしました」
なんとなく後退りをするとフィルがすぐ近くに来る。扉に手が付かれて顔を覗き込まれる。息を吸った途端フィルの匂いがして顔が熱くなるのがわかった。
恥ずかしがってる場合じゃないのに距離が近すぎる。下げていた顔をあげて至近距離でフィルと目が合う。
「フィル、鍛錬って」
「レオンには姫様をお守りできるように強くなってもらわなければ」
ぐっと顔が近づいてきてやっぱり無理だと顔を下げる。
「私は近くで守れないので」
小さな声で囁かれて、耳が熱を持つのがわかった。どうして今日のフィルはこんなに距離が近いんだろう。恥ずかしくて余計に顔が下がってしまう。
それと同じくそんなあざをつくって鍛錬をしてくれているんだと思ったら、私は何が返せるんだろうと思った。フィルもレオンも私とお姉様を守るために鍛錬をつんでくれている。お姉様はフィルに返している。祈りを捧げて勉強して魔を封じる力を強めている。じゃあ私は?
こないだからお姉様の修行に同行している。でもそれだけだ。私のことを命懸けで守ってくれるレオンの、守る価値のある人間になりたい。そう思って顔を上げる。
レオンが痛がってるから鍛錬はやめてあげて、なんてレオンにもフィルにも失礼な発言だ。私以外のみんなは、もう自分のするべきことをしてるだけだ。恥ずかしくて涙が滲んだ。
「フィル」
「はい」
「フィル、私ももっとがんばるね」
魔王討伐に関われなくても少しでも誰かの役に立てるようにしたい。レオンが守る価値のある人間でいたい。それにしても大きなあざだ。フィルは痛くはないのだろうか。
「フィル、そのあざ痛くないの」
「ああ、気にならない程度です」
「そう」
それはそうといつまでこの距離感なんだろう。近いな、と思いながら顔を上げると至近距離でフィルが微笑んだ。その笑顔にどきりとしてしまう。流石、今年も侍女に恋文を大量にもらっているだけある。
「フィル、私」
「抱きしめてもいいですか」
「えっ」
「ちょっと我慢ならなくて、すみません」
フィルが抱きしめてきて、なんだか小さい頃に戻ったような気持ちになった。私よりひとつ歳上のフィルに幼い頃は甘えに甘えていた。転んだと言っては抱きしめて慰めてもらった。懐かしいな。
「懐かしいね、小さい時はよく抱っこしてもらったよね」
「...」
何も言わないフィルはそのまま強く抱きしめてくれた。私も恐る恐る抱きしめ返す。フィルの体温はすごい高い。あったかいな、と思っていると不意にフィルの体が離れた。
「他の男のところにこんな時間に行かないでください」
「フィルのところくらいだよ」
そう言うとフィルの顔が困ったような顔になった。そのまままた抱きしめられて、私も抱きしめ返す。小さい頃を思い出すその仕草に心があったかくなった。




