可愛い人
俺の兄はなんというか、可愛らしい人だと思う。
歴代最年少で決闘大会で優勝し、そのまま近衛騎士に抜擢されたとは思えないほど可愛らしい人だ。
強かに手首を木製の剣で叩かれて、思わず持っていた剣を落としてしまう。しまった、と思った瞬間には首を目掛けて剣が横なぎに払われる。
それをスレスレのところで首を引いて回避した。まずい、と思っても剣をとりには戻れない。剣はすでに兄の後ろにあって、自分は丸腰だ。どうする、と思っているとふ、と距離を詰められた。
くる衝撃に備える前に横腹に衝撃が走ったそれから痛みを感じるまで一瞬だった。痛すぎて熱い。自分の口からぐふっという声が出るのを聞きながら、俺は地面に倒れた。
「どんな状況でも剣は落とすな」
目の前で月の光を受けて俺を見下ろしている兄は、こんなときにもかかわらず美しく見える。はい、と返事をすることもままならず地面に倒れたままの俺を兄がため息をついて見下ろす。
「話にならない」
そりゃあんたから見たら誰でも話にならないよ、と言いたかったけれど何も言えない。明日も横腹を押さえながらの勤務になりそうだ。ジョゼ様に不思議そうな顔で見られるのはもう慣れた。
俺がジョゼ様の近衛騎士になってから始まったこの夜の訓練は本気で俺のことを鍛え直してくれるつもりなのだろうが、少なからず嫉妬の要素が入っている。兄のフィルがずっとジョゼ様の近衛騎士になりたかったのを知っていた。
口に出してはいなかったけれど、フィル、フィル、と後ろをついてまわる小さな女の子に、兄は特別に甘かった。転けそうになれば支えてやり、本当にこければ抱き上げていたくないよと囁いていた。実の弟の俺に対する態度とは雲泥の差だった。
「フィル」
「姫様」
情けないけれど救いの声だった。俺らが鍛錬をしていることを知ったジョゼ様は時々様子を見にこられる。
姫様、と呼んだ声ですら俺が聞いたことのないような甘さを含んでいる。ため息をついて落としてしまった剣を拾い上げるために立ち上がる。骨でも折れているんじゃないかと思うほど脇腹が痛い。
「レオン」
大丈夫?とジョゼ様は聞かない。以前そう聞いてしまったがために、そのあと兄にボコボコにされる俺を目撃しているからだ。あれは絶対に嫉妬だった。それに大丈夫?と騎士に尋ねることは失礼なことだとわかってきたらしい。
「フィル、鍛錬中にごめんなさい。眠れなくて」
「大丈夫です」
ジョゼ様に近づいていくフィルに、俺はそちらをなるべく見ないように二人から離れて鍛錬場の隅に座り込む。本気で脇腹が痛い。馬鹿力が、と心の中で悪態をついた。
チラリと二人を見ると、フィルがジョゼ様の手を取っていた。恋仲ではない。恋仲にはなれない。いくら強いとはいえ近衛騎士で、その境界線は強固なものだ。
でもあの人、ジョゼ様がいいって言ったら攫っていきそうなんだよな、と思ってとりあえず目は離さないようにしようと思った。
ジョゼ様はフィルの気持ちに気づいていない。フィルは感情が表に出ない。俺がフィルの恋心に気づいているのは、幼い頃からジョゼ様に対する態度を見ていたからだ。
「あからさまなんだけどな」
小さく呟いてしまう。本当にわかっていればあからさまだ。俺に警護の基礎を教えるという名目でずっとジョゼ様のそばにいる。ジョゼ様と他の男の距離が近くなると、戒律が、規則が、という理由で邪魔をする。
俺がジョゼ様の紋章をつけていることも気に入らず、時々鋭い目で睨んでくる。ジョゼ様はそれら全てに気づいていない。ただ、警護の関係で距離が近くなったフィルを純粋に喜んでいる。何度か、昔に戻ったみたい、と言うのを聞いたことがある。
ジョゼ様に忠告したい。そんなに気を許しているといつか頭から食べられちゃいますよ、と。でもその忠告をする勇気は俺にはない。ジョゼ様がフィルに何かを一生懸命話している。フィルはその取り止めのなさそうな話をうんうんと聞いている。
ジョゼ様、結婚できないだろうな、と思った。次期騎士団の団長、歴代最強の剣士様が、どんな手を使ってでも邪魔に入るだろう。もしかすると相手を殺すくらいのことはするかもしれない。そこではたと気づいた。
決闘大会の優勝者への褒美がジョゼ様のファーストダンスの相手になったのは、フィル以外の男性をファーストダンスの相手に選んだ場合、そいつが死ぬ可能性があったからじゃないか。
王陛下と父上ならフィルの性格をよく理解しているだろう。うちの父親もできる息子を持つと苦労するな、と思った。ジョゼ様の可愛らしい笑い声が鍛錬場に響く。俺はため息をついて脇腹を押さえた。




