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【連載版】引きこもり令嬢、走る  作者: Lemuria


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3/6

引きこもり令嬢、部屋を出る

 誰もいなくなった部屋で、私はひと息ついてぼんやりと天井を見つめていた。


 誰かと顔を合わせたのも、こんなに話したのも、本当に久しぶりだった。まだちょっと手は震えているし、疲労した体は鉛のように重い。大したことはしてないけど、私にやれるだけのことはやったと思う。あとはもう殿下に任せるしかない。


 私は机に腰掛け、ルカちゃんのアウルリンクを撫でる。可愛い顔で「助けて」と鳴いているのがどうにも不気味でならない。私はやったはず、と自分に言い聞かせる。


 殿下は素晴らしい方だ。私の拙い説明もちゃんと理解してくれたし、救出にも最善を尽くしてくれるだろう。

 殿下が何か失敗するはずがない。するとしたらやっぱり私だ。


 だから見落としがないか、もう一度考える。


 ルカちゃんは、養子先のグレイモア公爵家から王都へ向かう途中で事故に遭った。

 山の麓を通ってくる途中、一昨日の暴風雨で起きた崖崩れに巻き込まれた――多分、それは間違いない。


 大雨、体調、崖崩れ、鳥、王都、宮廷医…


 頭の中でぐるぐると単語だけが回っている。


 突然、頭の中に雷に打たれたような閃きが走った。背筋に冷たいものが伝うのを感じた。気づいたときには、冷や汗が止まらなくなっていた。



 ルカちゃんは、雨が降ると決まって咳き込みが酷くなっていた。そのときはいつも持ち歩いてる薬を飲んで落ち着かせていた。ましてや一昨日は大雨で、発作が酷くなっていてもおかしくない。


 今は薬を持っているのだろうか。


 当然旅に出るなら持ってきているだろう。

 だけど崖崩れで紛失していたら?呼吸ができないほど苦しくなっても薬が無いということになってしまう。


 そもそも宮廷医に診察に行くと言うのは、その持病についてなんじゃないのか。


「ど、どうしよう……」


 もう少し早く気付いていれば伝えることが出来たのに。殿下はもうとっくに出発している。


 誰かに頼んで、殿下の後を追ってもらう?そんなのダメに決まってる。


 殿下は今回のことがバレたら罰を受ける覚悟で行ってくれたんだ。なのに私が誰かにそれを言うなんてできるわけがない。


 でも、薬が無いと、ルカちゃんが死んじゃうかもしれない。


 ダメ、それだけは絶対にダメだ。じゃあどうする?方法は一つしかない。



「わ、私が、行かなきゃ……」



 だけど、私だって公爵令嬢だ。一人で行動なんて、許されるはずがない。


 かといって事情を話せば、きっと止められるし、殿下に迷惑をかけるわけにもいかない。


 誰にも知られずに家を出て、薬を用意して、馬を連れて、王都を出る。それしかない。もうそれしかないんだ。


 この一年間、部屋から一歩も出られなかった私が、よりによって王都の外まで一人で行く?なんの冗談だろう。父上や母上が見たら卒倒するんじゃないか。でももう覚悟を決めるしかなかった。


 ふーっと息を吐く。後のことなんて考えてたら何も出来るわけない。

 貴族失格、令嬢失格。

 そんなこと、ルカちゃんを助けられなかった時のことに比べれば些細な話だ。



 私は部屋の扉を開けて、前室に行く。

 私が引きこもっている時、侍女が私の身の回りのものを準備して置いてくれる場所だった。

 水瓶に水を補充したり、浴槽にお湯を張ったりとか、水仕事も多いから、侍女の替えの制服も置いてある。


 私はそのうちの一着を手に取り、袖を通した。


 鏡に映るのは、公爵令嬢オルフェリアではない。


 今から私は、ブランシェール公爵家の使用人オリアだ。


 そうは言っても、こんな変装なんて、私の顔を知ってる屋敷の者が見れば一瞬で見破られる。

 これは外で身分を隠すためのものだ。屋敷の者からは見つからないように出るしかない。

 この先の扉は、一年間、私が決して越えることのできなかった境界線だ。でも今日もここから外へは出ない。そこから出れば使用人の誰かに確実に遭遇する。


 だから私の出口は、窓だ。


 私の部屋は二階にある。

 窓の下は裏庭で誰の目もないけど、飛び降りたら確実に怪我をする。

 シーツを何枚も取り出し、端を固く結んでロープの代わりにした。

 それを窓枠の梁にきつく巻きつけ、何度も引いて強度を確かめる。

 ぎし、と木が軋む音がするが、なんとか大丈夫そうだ。


 顔を隠すための外套を羽織る。荷物を入れた袋を持って準備はできた。


 窓を開け、シーツのロープを垂らして下を見る。

 結構高く見える。結び目が解けたり、シーツが破けたりしたらどうしようかと怖くなるが、意を決して外に体を出していく。


 私の体を支えてるのは、私の両腕だけ。腕がプルプルと震えるけど、少しずつ体を下に降ろしていく。

 手のひらが痛い。チラッと上を見るけどもう戻れない。下がるのも精一杯なのに上がることなんてできるわけもなかった。

 時間をかければかけるほど、腕の力が抜けていくのがわかる。残り三分の一ぐらいまで来た時に、とうとう握力の限界が来て、シーツから滑り落ちてしまった。


「痛っ!!」


 左の肩から地面に叩きつけられる。芝生だったので多少のクッションにはなったけど、まだ結構な高さがあったので、衝撃は強く、激痛が体中を駆け巡る。頭から落ちたら死んでたかもしれない。

 ズキズキと痛むし、しばらく肩は上がらないがとりあえず外に出るという関門は超えられた。



 痛む肩を抑えつつ、私はそのまま馬房へ向かった。薄暗い厩舎の中では、藁の匂いと馬の息づかいが混じっていた。その中に、私が探していた、綺麗なツヤのある毛並みで栗毛の馬がいた。


 この馬は乗馬の練習をしていたときにいつも乗っていた私の愛馬だ。


 あれ以降乗っていなかったのだが、私を見ると鼻を寄せてきた。まだ覚えていてくれているらしい。


「この前はごめんね。また私を乗せてくれる?」


 返事をするように、ふん、と短く鼻を鳴らして答えた。


 私は外套のフードを深くかぶり、顔を隠しながら手綱を取った。蹄の音を立てないよう、そっと家の門を抜けていく。




 大通りには人が多い。

 だけど不思議と気持ちは落ち着いていた。今の私はオルフェリアじゃなくて、公爵家の使用人オリア。そう思うと肩肘を張らなくても良い気がして、なんだか楽だ。誰かに話しかけられても、ちゃんと声を出せる気がした。


 荷物袋から、殿下の取り寄せた調書を取り出す。

 次は薬を用意しなければならないのだが、求める薬が都合よく手に入るとは限らない。けれど、ひとつだけ確実に置いてある場所を私は知っている。


 今日、ルカちゃんが診察を受けるはずだった、王都の宮廷医グランツ医師のところだ。


 この辺りで上級医院を開設していて、王家や公爵家は御用達だ。私も何度か診て貰ったことがある。グランツ医師は王宮内勤務も多いけど、本日ルカちゃんの診察予約が入っていたなら、ここにいるだろう。




「患者でもないやつに渡せるか」


 院内に入ると、グランツ医師はいた。だけど薬を売ってくれと何度頼み込んでも、この一点張りだ。


「薬は使い方によって毒にもなるんだ。薬くれ、はいどうぞ、なんてわけにはいかない」


「じゃあ、どうすれば売っていただけますか?」


「だから言ってるだろう。患者を連れて来いって」


「だから来れないので、代理で受け取りに来たって言ってるじゃないですか」


「それなら、薬は渡せない」


「わ、私は公爵家の命で、来てるんですよ。良いんですか?」


「相手が王家でも公爵家でも関係ない。命に関わる仕事なんでな、適当なことは絶対にしない」


 とりつく島も無い様子に、私はだんだん腹が立ってきた。グランツ医師が間違ったことを言ってるとは思わない。無理を言ってるのは私。そんなのは百も承知だけど、時間がないのだ。


 このグランツ医師は、こと仕事に関しては頑固で有名だった。使用人相手だから強気なわけではなく、本当に国王にだって同じ判断をする。だからこそ信用されて宮廷医になっているわけだけど、今はそれじゃ困る。


「じゃあいいです。なら店頭でも販売していますし、薬草は売っていただけますよね?」


「……危険なものじゃなきゃな」


「ブルーミント草、ドラセナ草、白百合の根、ユーカリの葉、シナモン、セージ、甘草、あと蜂蜜と蒸留水をください」


 グランツ医師はギョッとして、私の方を見た。


「な、何でレシピを知って……いや、それよりそれをどうするんだ?」


「別に秘匿されている薬ではありませんよね。薬学の本には書いてあります。なので私が自分で調合します」


「ダメだ!素人が調合した薬なんて危険すぎる!」


「このままじゃ、ルカちゃんは死んじゃうんですよ!危険とか言ってる場合じゃないんです!」


 私は叫ぶように言った。ちょっと前まで会話すらままならなかったのによくこんな事言えたなと自分で思う。


 引きこもっていた時は本を読む事しかやることがなかった。家にある蔵書は繰り返し全部読んだし、王立図書館からも取り寄せて貰っていたほどだ。その時に薬学の本も読んだから、レシピも調合の方法も知っている。実践した事はないけど、売ってもらえなければ自分で作るしかない。


 グランツ医師はしばらく私を見ていたが、諦めたようにため息をついた。


「薬草は他でも売ってる。断って他で買って、素人調合の薬作られるぐらいなら、完成品売った方がマシだな。……ほらこれだ」


 そう言って袋に入った瓶を渡してきた。私は思わず両手でそれを受け取る。ありがとうございます、と言って深々とお辞儀をする。


 医院を出るとき、


「次は患者を連れて来てくれ、オルフェリア嬢」


 と言われてしまった。バレてたことに血の気が引くと同時に、顔から火が出るほど恥ずかしくなり、小走りで逃げるように医院を出た。



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