嫌な風向き
簡単なお手伝いではあるが、仕事を終えて部屋に戻ると、ミアが一人、窓の外を見ていた。
ミアは従業員達の繕い物を手伝っていたが、それは既に終わっているようだった。
「ミア」
「あ、アリシア様」
ミアは振り返ったが、その顔は強張っていた。
「どうしたの?」
アリシアは駆け寄った。
「何でもないんです」
ミアは首を振った。でも、その声は震えていた。
「何があったの?」
ミアは少し躊躇ってから、小さく言った。
「さっき、下級遊女のルイーザが来たんです」
「ルイーザ?」
ルイーザは、この娼館で働く若い遊女の一人だ。だが今まで特に二人と接点はなかった。
「ルイーザがオリバー様を許してくれっていうんです」
「どうして?」
「ルイーザは、以前オリバーからお金をもらったことがあるんだそうです」
ミアは小さな声で続けた。
「病気で働けなかった時、オリバーが通りかかって、『可哀想に』って金貨をくれたって」
アリシアは黙って聞いていた。
見栄っ張りのオリバーのことだ。きっと遊女か一緒にきた仲間に良く思われたかったのだろう。
けれどルイーザにとってはそれは美しい思い出だったのだ。
「だから……その……」
ミアは涙声になった。
「ルイーザは、『オリバー様は確かに悪いことしたかもしれないけど、良いところもあるんです。もう十分苦しんでるんじゃないでしょうか』って」
「……」
ミアは涙を拭いた。
「ルイーザは、何も言わない私に、怒っていました。ルイーザにとってはオリバーは良い人だし、私はオリバーに一回遊ばれただけです。それなのに世間の笑い者にして、更に痛めつけようとしているって。
庶民のくせに金で貴族になって、次期公爵に一晩選ばれたからって自惚れてるって」
アリシアはミアの隣に座った。
震えるミアの肩を抱いた。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まっていく。
「アリシア様」
ミアが呟いた。
「私が、世間に公表してやろうなんて言ったから……きっとアリシア様にも辛い思いをさせて、申し訳ありません」
「そんなことないわ、あなたは間違ってない」
アリシアはキッパリと答えた。
間違っていない、絶対に。
それはアリシア自身に言い聞かせているようでもあった。
「ごめんなさい、グジグジと泣いてばかりで。なんかこう、泣きたくなくても出てきちゃうんです。朝にもお話しして前向きになったはずなのに、ちょっとしたことで落ち込んで同じことをグルグル考えてしまって……」
「当たり前よ、こんなに環境の変化が大きくて、辛いことが多かったんだもの。泣かなかったらおかしいくらいよ、私も……ちょっと落ち込んでいるわ」
ミアがアリシアを見つめた。気丈にも笑って言う。
「一旦沈み切った方がきっと吹っ切れますね。ずっと考えているより、いっとき悲劇のヒロインに浸る方が良いと思えてきました」
「レコードでも掛けましょうか、泣けるやつ」
「良いですね、こうなったら鬱々を存分に体験しましょう」
「やっぱり、ミアがいてくれて良かった」
「私もです、アリシア様」
二人は笑い合い、そして悲しい歌ばかり歌う女性シンガーの曲を聴いてあえてハンカチを濡らした。
◇◇◇
実は嫌な風向きは娼館だけではない。アリシアとミアが知らないところでも、モモヒキ公爵のコンテンツに飽き始めた層が、手の平を返すように言い出した。
「まだ若いから、こんな失敗もある」
「犯罪をした訳でもないのに世間では叩き過ぎた」
「ブラウン領にまで影響が出ているのは、無関係な領民が可哀想」
「噂はいつも過剰に責めすぎる」
それはブラウン家や、噂によって困った人々が流し始めた新しい噂だった。
善人に思われたい人々はコロッと新しい噂を信じて、同調し始めた。
自身も噂に乗っていたことなど頭から抜けているかのように。
「あんなに責められてオリバー・ブラウンが可哀想」と。




