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オリバーくんのはじめてのしっぱい

 「失礼だな!俺は次期公爵だぞ!」


オリバー・ブラウンは、会議室のテーブルを叩いた。

正面に座る隣国の商人たちが、冷ややかな目で見ている。

商人を連れている貴族はもう、商人たちに申し訳ないという鎮痛な顔で、眉間を押さえていた。


◇◇◇

 「ぶっ!ふふふ、すみません、堪えきれな……、これ、向こうには聞こえなひっ、んですよねあはははは!」

ミアが文字通り腹を抱えて笑った。


「ええ大丈夫。良かったわ、ミアの言葉で思い出せて。そういえば随分前にあの可哀想な男に隠し魔記録を付けたんだったわ。見聞きする度に吐きそうになるから最近使ってなかったけど、こんな風に役立ってくれるなんてね」


 それはまだアリシアに、オリバーへの情けが少しは残っている頃だった。


オリバーが手を付けた相手が、あろうことか子爵令嬢で、相手の証言とオリバーの適当なその場しのぎの嘘の食い違いのために、アリシアはコルセットがいらないほど心身共に摩耗してしまった。


 今後はこのようなことがないようにと、ブラウン公爵同席で隠し魔記録を付けることを納得させたのだが、どうせアリシアが本当に確認などしないと思ったのか、確認されても尻拭いまで任せれば良いと思ったのか、はたまた何にも考えていないのか奴の行動は変わらなかった。


 記録を確認すると、毎日毎日オリバーは全く反省もせず、低俗な仲間と低俗で酷い発言と行動ばかりしていた。

「女は髪を撫でるとイチコロ」のあたりで既に虫唾が走っていたが、行為の描写においての無理解さに、もしかして別世界に迷い込んだのではと疑ってしまった。


「そんなことでそんな反応する女がいる……?現実で?どこに?」


気持ちが悪くなって気絶するような繊細な神経はもはやなく、タフな神経だけが生き残っていたアリシアは残念なことにこの現実と向き合わなければならなかった。


 被害者の大半はミアのように立場上断れなかったか、動きづらい服装で抵抗出来なかった方々で、オリバーが自信満々に言うその行為を喜んでいる女性はほとんどいなかった。


 だが隠し魔記録は、映像を映す都合上、オリバーのダサい上着に付いており、ことに及んだ場合、その辺に脱ぎ捨てられていて決定的な場面が映っていなかった。


 ムカつくことに奴は貴族のボンボンで、財政状況も知らずに見栄で広い部屋を使うので、上着と別室でそうなると、音声もまともに取れていないことがあった。


 ただアリシアが苦痛な言動を盗み見するだけで誰も得をしないそれは、今まで忘れられていた。


◇◇◇


 「ブラウン様、私どもは次期公爵様に敬意を払っております。ですが、この商談は両国の利益に関わる重要なものです」

年配の商人が、丁寧だが強い口調で言った。


「弊社の名前、そちらの国での支店の地名を間違え、OEMを我が国で行う意味について把握せず、価格交渉の基準さえご存知でないのでは……」


「間違えてなどいない!ただ、確認のために……!」


「では伺いますが」

別の商人が資料を指差す。

「この第三項、冬季の配送について『南回りルート』と記載されていますが、これは何故ですか?」


「それは……雪が降るからだ!」

「左様ですか。では、何故夏季も南回りと?」

「え?」


オリバーが慌てて資料を見る。

確かに、夏季も南回りと書いてある。


……何故だ?


いつもなら、ここで出しゃばりなアリシアが代わりに答えている。


だが、今日はアリシアがいない。


いつもなら会議の前に起こしにくるのに来なかった。それだけでも張り手をくれてやりたいのに、会場に着いてもアリシアはいなかった。


 夫を支えるのが妻の義務だ!それなのに婚約者の内からサボるなど……!ブラウン家に対する侮辱だ!後でグレイ家に苦情を入れてやる!


腹の内でオリバーは悪態をつくが、それで事態が良くなるわけではない。


最初は気にしなかった。

どうせアリシアのことだ、完璧な資料を用意しているはずだ。

それを読めば何とかなる。


……なるはずだった。


 「ブラウン様?」


「あ、ああ……それは、その……」

オリバーの額に汗が滲む。


何故、夏も南回りなんだ?

いや、違う。これは間違いか?

でも、アリシアの作る資料に間違いがあるわけが……。


「まさか」

商人の一人が、呆れを隠せない表情で言った。

「そちらで用意された、これだけ完璧な資料の内容すら、理解されていないのでは?」


「バカな!!俺が作ったんだぞ!」

オリバーが反射的に叫ぶ。


「……ブラウン様がお作りになった?」

「そうだ!」

堪えきれずに商人たちはクックッと笑い出してしまった。


 「事前に一度でも読んでいれば分かる質問だと思いますけどね」

「一介の商人風情が失礼な!」


「失礼なのは貴方ですよ、オリバー・ブラウン次期公爵様」

茹でダコのように真っ赤なオリバーを冷ややかに見据えて、隣国の貴族は冷静な声で言った。


その声にはもう、憐れみの色さえ滲んでいた。


 「自分で言うのもなんですがね、これは双方にとって巨額が動く取引で、これによって両領民の生活が年単位で変わるのです。

貴方が自領の領民を思えば、来賓である私や、私が付いてきてくれと交渉して付いてきてもらった商人の皆に、そのような態度は取れないはずです」


「……そ、だって、商人は平民で……」

オリバーは更に自ら墓穴を掘る。


「平民ですよ、貴族の私が連れてきたゲストのね」

重苦しい沈黙が、会議室を支配する。


「ブラウン様」

年配の商人が立ち上がった。

「我々は、誠意を持って商談に臨んでおります。ですが、このような準備不足では……」


「待て!!準備は万全だ!」


「これが万全ならば」

別の商人が資料を閉じる。

「この取引はとてもお受けできません」


「……もしご連絡される場合には、グレイ嬢からいただければと思います」

帰り支度をする貴族の言葉にオリバーが叫ぶ。


「アリシアは関係ない!!」


 「ブラウン様」

年配の商人が、憐れむような目で言った。

「我々は、長年商売をしております。誰が実務を担当しているか、見れば分かります」


「何だと……!」


「グレイ嬢は、聡明で優秀な方だ。あの方がいらっしゃらなければ、この商談は成立しないでしょう」


貴族と商人たちが、会議室を出て行く。


 残されたオリバーは、一人、資料の山を見つめて呆然としていた。


◇◇◇

 「あーーー!!!お腹痛い!!ゆ、雪が降るからだってあんな堂々と!無知!普通知らないなら尚のこと資料を見るでしょうに!」


ひいひいとミアはソファの背もたれにしがみつきながら涙を流して笑った。


「真下に書いてあるのに……。最近は熊が出るからって、そこから猟銃についての話も進める筈だったのに……」

熊の挿絵まであって何故読み飛ばすのか、もはや熊の方が賢い気がしてアリシアは笑うことも忘れて首を傾げた。

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