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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

芸術と美の神について

作者: 八崎節子


 美の女神と呼ばれた女性がいた。


 万人が認める程の美貌というには、頬骨は出過ぎており、手足は長過ぎ、手の平は小さ過ぎた。しかし人は彼女の頬を見て骨の滑らかさを、手足の伸びやかさを、手の平の動きの細やかさを思い出した。


 彼女は芸術家達に己の姿を求められるまま小麦を焼いたような身体を様々に変化させては芸術品に形作られ、刻まれていった。




 そんなある日、仲間内の賭けに勝った一人のまだ世に出てない画家の青年が、女性を一日、彼の絵のモデルとして借りきる事になった。


 青年は適切に距離を保ち、彼女の身体を気遣いながら、けれど彼女のやわらかな脂に隠された、しなやかな筋肉が浮き彫りになるポーズを次々とスケッチした。


「あんまり女性の筋肉を描けた事がないんだ。今日はとても助かる」


 素っ気なく言い放った青年に、女性は笑って言った。


「面白い人、皆、私をどんな女と捉えるかでむきになるのに」


「女性らしさとは肉体とはまた違った概念だよ、そしてあなたはとてもタフな人だ。僕はどうあなたが肉を持つに至ったかを描きたい」


 そう言って、スケッチを閉じた。時は終わった。


「いつか、こんな形でなく、あなたを描いてみたい」


「もうないかもね。忙しいの、私」


 今度は女性が素っ気なく背を向けて、自分の服を取った。




 そんな風に二人の一日は終わって、それは女性の華やかな経歴を飾る一行にもならないものだったが、会えば二つ、三つ、穏やかに言葉を交わす仲になった。


「もう賭けには乗らないのか、また彼女を独占出来るぞ」


「幸運に何度もすがれるほど、僕の時間は長くないよ」


「それは残念、つまらん奴だ」


 画家仲間の挑発にも応じず、青年はやがて風景画が世に知られる事となった。ある会の一人にしか与えられない特賞を得たのだ。


 それは火山を見上げる情景だった。炎こそ出さないが、煙を出し続けるその山を、雲と草原とが取り巻いている。


「人物画ではないの?」


 祝いに現れ、その絵の前でしばしたたずんでいた後、現れた青年に女性は尋ねた。答えは手の中から取り出した一輪の花だった。


「今回の賞金で手に入れた。一昼夜で散ってしまうという花、君に捧げたかった。この花の散るまでの間だけ、君を描かせて欲しい」


「言うようになったのね」


「あと、これとは別に同じくらいのお金を貯めてたから、現実的な報酬も渡すよ」


 茶目っ気ある笑みに、女性は大きく笑った。


「そういう風に両方揃えてくれるのはあなただけよ」


 快活な声を聞いた、それが最後に青年にはなった。




 後日会う日を決める事を約束して別れたその夜起こった事は、女性にとってはありふれた事件の一つに過ぎない筈だった。彼女を取り巻く芸術家の一人が、刃物を本当にふるう迄は。


 ただの友人である青年が病室に入る事を許されたのは、一月が経ってようやくの事であった。


 今だに包帯が巻かれた、寝台の中にいてさえ前にあった日より更に細くなった姿に、青年は言葉を失った。


「こちらへどうぞ。それからこれを」


 世話をしている者が椅子を用意すると共に渡したのは、文字板だった。今度は突っ立っている場合ではなかった。小さな手が、青年を招いていたからだ。


 思いの外に素早く、指は文字板を次々に叩いて、言葉を紡いだ。


 ──何度も訪ねてくれたと聞いてる。ありがとう。


 包帯の間から、瞳が青年を捉えていた。


「大変だったね」


 ──こうすれば私を讃える者はいないだろうって言ったのよ、あの人。


 共通の、青年にとっては芸術家の仲間だった筈の人間は当然、捕らえられ、正式な刑罰こそまだ決まってはいないが、今は冷たい石に囲まれていた。


 ──私が名誉とか、そんなものを大事にしてると思ってたみたい。何も分かってない。哀れね。もっとも、あの人の望み通りに少し、なったけど。


「そんな事はない、君の骨と肉は今も強いよ」


 ──そう言ってくれるのはあなただけ。来ない人は分かる。私の今の姿を見て、自分の中の私という美が崩れるのが怖いのでしょうから。


 そこで、女性は一旦、手を下ろした。疲れたのかと文字板を伏せようとした青年は、その手を掴まれてびくりと動いた。目が、板を置け、と語っている。指が一つ一つの文字を確かに示しながら、微かにしかし、震えているのを、青年は捉えた。


 ──あとの人達は、ここへ来て、私を傷つけていく。言葉でも、肉体的にも。こうなった私に、ようやくね。だから包帯で守り続けている。私自身を。


 あまりの告白に、どうにか、青年はうろたえながら、尋ねた。


「何でそこまで僕に言ってくれるんだ」


 ──あなた、あの山がある地域の出でしょう。


「……君もか」


 地域といっても山は大きく、二人がかつてすれ違っていた可能性は無きに等しかった。それでも、共通の原点があった事に、青年は深く頷いた。


 灰と炎と泥に覆われて、生きていくのもやっとの地だった。


 ──会った頃のあなたは人体のスケッチも経験が少ないくらい貧しい出なのはすぐに分かった。話し方と、あの絵でようやく納得したの。


 ──私も同じ。都に出て、生きる為なら何でも出来た。それに比べたら芸術家の指示に従うくらい、公園を散歩するより楽だったのに。


 青年は沈黙した。彼とて苦労したが、それでも画才を活かして何とか仕事はあった。自身の肉体だけが頼りの彼女がどれだけの辛酸をなめたか。


「……君を描くよ」


 持ってきた花を一輪、その手を取り渡すと、青年は告げた。


「作る途中の人間の中にしかいない君をだ」


 包帯の下で、女性ははっきりと、笑った。


 そして、包帯の端に手を伸ばした。




 一人の画家がいた。貧しい、火山のある地の生まれで、都に出、やがて風景画でその名を馳せた。


 彼は世界を歩いて様々な風景を描き残した。人物は描かないと言われていた。


 しかし後年、ある研究家が、どの風景画の中にも、人間のあらゆるものが隠し描かれている事を読み解いた。


 街の中に血脈を。


 海の中に骨を。


 空の中に傷を。


 その秘密も併せて、それらの風景画が美しいかは、意見が賛否に分かれている。


 画家は言葉を残している。


「神などいない。いるのは、信じようとして裏切られる人間だけだ」


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