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おもてなし

「「「おかえりなさいませ」」」


 旅館の裏手に建てられた宮津家の玄関を開けると、3人の美女から出迎えを受けて、僕の目が点になる。


 初夏を思わせる藤柄の着物を着た上品な女性と、若い女の子がふたり。全員知った顔だ。女の子の方は菫色の着物にえんじ色の前掛け。仲居さんの格好である。


 確かにみらいの家は旅館を経営しているが、入ったのはあくまでも宮津家の玄関だ。


 つまり、このお出迎えは美女達による、ちょっとした悪戯である。


「ようこそ、民宿宮津へ」


 悪乗りしている洋介さん。勿論、そんな民宿は存在しない。


「ご無沙汰しています。もう、驚きましたよ」

「ふふふ、久しぶりねー! みらいから聞いてたけど、良い男になっちゃって!」

「渚さんは、まったくお変わりないようで」

「あら、言うようになったじゃない」


 ひとりはみらいのお母さんで、老舗旅館『來畝(らいせ)』の女将である渚さん。みらいより小柄で体系も細いが、顔立ちはみらいそっくりだ。悪戯の主犯だろう。みらいの悪戯好きの性格は間違いなく母親似である。


 それにみらい。それはわかる。自宅だし。


 でもなんで真崎さんまでいるの?


 しかも未来と一緒に仲居さんの格好をしている。


「真崎さん?」

「こんばんは。さっきぶりだね」

「えへへ、驚いた? なこは今うちで下宿しててね、たまに仲居のアルバイトもしてるんだ」

「ふたりの用事ってアルバイトのことだったのか」

「うん。まだ見習いで迷惑かけてばかりだけどね」


 そういえば、真崎さんの家は隣の市だったはずなのに、みらいと同じバスに乗って帰っていた。


 確かに杜兎高校に通うなら、隣の市から通うより、みらいの家からの方が近い。とはいえ、わざわざ友人の家に下宿してまで杜兎高校に通うだろうか? 真崎さんの実家のことはまだ聞いてないけれど、色々事情があるのだろう。


「そっか。ふたりとも着物よく似合ってるよ。綺麗だ」

「そ、そうかな?」


 そう言うと、はにかむように笑みを浮かべる真崎さん。ほんのりと頬が赤く染まっている。


 みらいはというと、隣で思い切り吹き出していた。


「ケホケホ……綺麗だって……やめてあやた。むせる」


 せっかく褒めたのに失礼な反応である。とはいえ、僕の方もつい海外のノリで話している所はあった。全く、日本語ってのは難しい。


「ねえあなた。あの子本当にあの彩昂君なの? あれだけ大人しかった子が、女の子をさらりと褒めるだなんて。あの子、一体向こうで何してきたの?」

「う、うむ……海外に行って、男として随分成長したようだとしか……」

「……あやたが面白すぎて死にそう」


 全く、失礼な宿である。思わず「女将を呼べ!」と言おうとしたところで、すっと足元にスリッパが差し出された。


「ふふ、お客様、どうぞお履き物はこちらへ。お部屋にご案内致します」

「ありがとう真崎さん」

「いえ、あの人達は放っておいて、行きましょう」


 女将と経営者と先輩仲居が仕事しない中、気を使ってくれたのは真崎さんだけだった。


 旅の疲れも、ささくれた心も癒されるような、彼女の仕事に感銘を受ける。


 世界が称賛する日本のおもてなし。僕個人としては、現場従業員への負担になるだろうからと、あまり良い文化と思っていなかった。


 だけど、今回はやられた。スリッパを差し出されたたったそれだけで、僕はこの宿が好きになった。


 ……宿じゃないんだけど。


「あらやだ、私としたことが、見習いに仕事をとられてしまったわ」

「可愛くて気立ても良い。撫子ちゃんがずっとうちで働いてくれたらいいのにな」

「流石はなこ。さすなこ」


 仕方のない経営者一族を尻目に、僕はスリッパに履き替えて宿……ではなく家の中にお邪魔する。


 みらいの家は大きくて部屋数も多い。仲居さんモードの真崎さんに案内されて、あてがわれた部屋にバンから運んできた荷物を置く。運ばさせられたのはみらいだ。


 部屋は8畳の和室で、ちゃぶ台がひとつ置かれているだけだが、掃除は行き届いている。


「なこの部屋は隣だよ?」


 それは聞いてない。


「お食事の用意が出来るまで、お部屋でお休みになられますか? 今ならお風呂も開いていますが?」

「じゃ、折角だしお風呂を頂くよ」


 みらいの家のお風呂は広くて、しかも温泉を引いている。実は密かに楽しみにしていたのだ。


「身体を洗うくらいひとりで出来るから。お背中流しましょうか? なんてベタな事するんじゃないぞ?」


 みらいが死肉を見つけたコンドルみたいな目をしていたから牽制しておく。


「むー、あたしの考えを読んでくるとはあやたのくせにー」

「ほら、彩昂君も疲れているだろうし、私達はご飯の準備を手伝うよ」

「ういーっす」


 企みを阻止されたみらいは、つまらなそうに真崎さんに背中を押されて部屋を後にする。


 ふぅ……


 別に惜しかったなんて思ってない。






 嗚呼、極楽也。


 宮津家のお風呂は素晴らしいものだった。


 檜の浴槽、源泉かけ流し。うん。満足。


 アンデスにも温泉はあるけれど、やはり日本の風呂文化は一味違う。


 何事も無く入浴を終えると、用意してもらった浴衣に着替えて居間へと向かう。


「お、主賓のご登場だな」


 既に居間のテーブルには食事が用意されていた。料亭の御膳にも負けないようなご馳走である。


「これは、凄いご馳走ですね」

「彩昂君の歓迎会だからね。急だったから材料はあり合わせなんだが、板長に無理を言って用意してもらったんだ。勿論全部ではないがね」

「ま、まじですか」


來畝(らいせ)』はただの老舗旅館ではない。県内に皇室の方が有らせられた際に宿泊されたり、将棋の重要な対局にも利用されるような、超一流の老舗旅館だ。その板長の料理は当然超一流である。


 まず美しく盛りつけられた刺身に目が行く。それに、お鍋、天ぷら、煮物、お浸し、お吸い物、お新香……それに茶碗蒸しがある!


 茶碗蒸しは僕の大好物だ。シシメルにいた時も何とか食べられないかと再現を試みたが、納得のいくものが出来ず涙をのんだ。夢にまで見た茶碗蒸しが今ここに!


「お刺身と天ぷらは板長さんだけど、あとはあたしとなこが作ったんだよ。デザートにアイスもあるから、後で食べよ」

「私は少し手伝ったくらいで、作ったのはほとんどみーちゃんだよ」

「へぇ、美味しそうだし、見た目も綺麗だ。凄いじゃないか」

「えへへ。お客さんに出せるものじゃないけどね」


 みらいはそう言っているが、見た目はプロが作ったと言っても信じてしまうくらいのクオリティだ。


 あの泥だんご作りの名人が、まさかここまで料理上手になっていようとは。


「さあ、立ってないで座って座って」


 そう言って僕を上座に座らせる洋介さん。


「いえ、僕は隅っこの方で」

「いいから、これは歓迎会だって言っただろう」

「ほら、あやた」

「麻生君」


 両脇をみらいと真崎さんに挟まれて、僕は抵抗もむなしく上座に座らさせられる。


「コーラとウーロン茶どっちがいい?」

「じゃあコーラで」


 みらいと真崎さんが飲み物をついで回る。高校生組はコーラ。洋介さんと渚さんはウーロン茶だった。きっとまだ仕事があるのだろう。


「さて、飲み物は行き渡ったかな?」

「「「はーい!」」」


 音頭を取るのは洋介さんに、元気よく返事をする女性陣。


「では、彩昂君の帰国と叙勲を祝して、乾杯!」

「乾杯!」


 グラスを掲げたのは、僕だけだった。


 ……やめてよ。そういう悪戯は傷つくから。

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