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相撲

 教職員用の更衣室を借りて制服に着替える。スラックスは少し裾が余ったけど、きっとこれからまだ伸びるだろう。そう期待して適当に折っておく。


 小学校は私服だったし、中学校は通信だったから制服を着るのは初めてだ。


 ネクタイを締めてブレザーのボタンを締めると、新しい生活に、自然と期待が膨らんで来るのを感じる。自分でも気づかなかったが、僕は今結構浮かれているようだ。


 脱いだ服を、制服が入っていた紙袋に入れると、ポンチョを羽織ってテンガロンハットを被る。


 壁にかかった鏡で確認するが、我ながら悪くない。


 よし!


 ポンチョは、5年間暮らしていたアンデスの少数民族の里で織られたお気に入り。テンガロンハットはつい先日、誕生日のプレゼントとして義妹から贈られた宝物である。


「それじゃ着替えた意味無いじゃない!」


 意気揚々と更衣室を出たらなんか怒られた。


 九鬼先生にポンチョとテンガロンハットを没収された僕は、落ち着かない気持ちで、みらいちゃんがいるという茶道部を目指す。


 ひとりで大丈夫かと心配されたけど案内は断った。校舎の造りはシンプルだ。迷うことは無いだろうし、せっかくだから探検もしてみたい。


 渡り廊下から南校舎へ。そこから4階まで階段を上がって行く。


 この学校では空き教室を部室として開放しているらしい。空き教室が多いのは、少子化の影響で生徒数が減っているせいだろう。だけど、部活動に勤しむ生徒達の顔は皆明るかった。


 ブラスバンド部や軽音部が奏でる楽器の音色。外からは運動部の掛け声が聞こえてくる。


 世界のOTAKUが愛してやまない、日本の青春幻想曲。


 僕も明日からこの和の一員に入れるのだと思うと、学校生活への期待が一気に上がっていくのを感じていた。


 気分よく階段を上る。4階に上がると流石に音は小さくなり、人気もまばらになる。この辺りは文化部の部室が集まっているようで、すれ違う生徒達もどこかおとなしそうな印象を受ける。


 茶道部の部室を聞くと、一番端の教室だと教えてくれた。


 だけど、目当ての教室の前に来て僕は足を止める。中から奇妙な音が聞こえてくることに気が付いたからだ。


 荒い息遣い。時に激しく畳を蹴るような音が教室の外まで聞こえてくる。


 まさかな。


 真っ先に思いついたのは、生徒同士による性行為だ。


 年頃の少年少女が集まっている環境なら、当然そういった事もあるだろう。


 日本より性におおらかな環境にいたこともあって、現場に遭遇する事にも慣れてるし、経験もある。


 だけど、今この教室には僕の初恋の女の子がいるはずだ。


 さっきまで上がっていた気分も急勾配で下がっていく。


 もしかしてみらいちゃんが?


 みらいちゃんだって年頃の女の子だ。可愛い子だったし、彼氏がいてもおかしくはない。


 僕とみらいちゃんはただの幼馴染。そんな感情を抱く資格は無いとわかっていても平静ではいられなかった。


 僕は意を決して、そっと扉の窓から中を覗いてみる事にした。


 決して、行為している所を覗きたかったかったわけじゃない。ただ、みらいちゃんは僕の保護者代理である宮津洋介さんの娘さんだ。もし学校でいかがわしい事をしていると知れたら、洋介さんは傷つくだろうし、みらいちゃんも処分を受けてしまうかもしれない。


 事実を確認したかった。5年ぶりだけど、顔を見ればわかるだろう。


 そっと覗き込むと、そこには確かに成長したみらいちゃんがいた。


 すぐにわかった。栗色の髪のポニーテールはあの頃と変わっていない。


 ただ、僕が想像していた状況とはかなり異なっていた。


 教室の中にはみらいちゃんと、長くて黒い髪をポニーテールにした女の子。ふたりは共長袖のブラウスを二の腕までまくり上げ、素足の状態で床に敷かれた畳の上でがっちりと組み合っている。


 SUMO?


 目を疑った。だけど間違いなく、それは日本の国技であり神事。相撲だ。


 みらいちゃんともうひとりの女の子は、今まさに相撲をとってる真っ最中だったのだ。


 教室の中にはふたりだけ。畳の隅には、彼女達の上履きや靴下。ブレザーが綺麗に畳んで置かれている。


 茶道部って聞いてたんだけどな。


 ずっとスペイン語で生活していたから、日本語は久しぶりだ。もしかしたら茶道と相撲を聞き間違えたのかもしれない。


 ……って、そんなわけ無いだろう!


 大体、相撲部がこんな空き教室で活動しているのはおかしい。確かこの学校にはちゃんとした相撲場があったはずだ。学校のホームページには屋内に作られた土俵と、まわしを締めた相撲部員が活動してる写真が掲載されていたから間違いない。


 予想外の状況に、面くらいはしたけれど僕は安堵していた。


 みらいちゃんが、そういうことをしている現場を見なくて済んだこと。


 そして、みらいちゃんがあの頃と変わってないと思えたこと。


 僕が好きだった彼女は、楚々としてお茶をしているより、外で身体を動かしている方が好きな女の子だったから。


 ふたりを囲むように、円状に置かれた座布団。土俵代わりだろう。


 彼女達はお茶をほったらかして相撲に興じている。それが実にみらいちゃんらしい。


 みらいちゃんも相手の女の子も、短いスカートから太ももが覗いても気にする様子も無く、大きく足を開いている。


 脇から腕を差し込み、時にがぶり、時に相手を裏返そうと身をよじる。滑りやすい畳の上でバランスを絶妙に取りながら、激しい取り組みを見せるふたりの女の子。とても素人とは思えない力の入った相撲に、いつしか僕は魅入ってしまっていた。


 体格はほぼ互角。相手の女の子はみらいちゃんより少し背が高いみたいだけど、肉付きはみらいちゃんの方が良い。ふたり共かなりスタイルが良くて、大きな胸の輪郭がブラウス越しにくっきりと現れている。


 しばしの膠着の後、力負けしたのかみらいちゃんの脚が下がっていく。畳の上を回るみらいちゃん。相手は逃がすまいと、みらいちゃんの背中に腕を回して抱き合うように密着させる。


 その時、相手の女の子の横顔がちらりと見えた。もの凄い美少女だ。


 濡羽色の髪。白い肌に鼻筋の通った綺麗な顔立ち。おそらく彼女を見れば10人中10人はこう評すると思う。 


 大和撫子と。


 みらいちゃんはとても運動神経が良くて、男の子相手に取っ組み合いの喧嘩になっても勝ってしまうくらい強かった。相撲も強くて、いつも僕は負かされていた。そんなみらいちゃんと、清楚を具現化したような女の子が互角以上にわたり合っている。


 みらいちゃんの足が座布団に触れる。


 頑張れみらいちゃん!


 土俵際で粘るみらいちゃんに、心の中で声援を送ったその時だ。みらいちゃんと目が合った。


 あ。


 その瞬間、相手の女の子がみらいちゃんの足を払い、みらいちゃんの身体が宙を舞う。小麦色の太ももと水色の何かが視界を流れたかと思うと、ドンという音が空き教室に響いて、畳の上に転がったみらいちゃん。


 決まり手は二丁投げ。大和撫子の勝利だ。


「ひゃあ! みーちゃん大丈夫!?」


 女の子が慌ててみらいちゃんを助け起こす。あまりに鮮やかに技が決まった事に、投げた当人すらも驚いているみたいだ。


「大丈夫。受け身は取ったから平気。あー! もう! また負けたー!」 


 荒ぶるみらいちゃんの視線がこちらへと向けられる。


 やべぇ……


 慌てて僕は身を伏せる。


 別にやましい事をしたわけではないのだから、隠れる必要なんて無い。日本の国技であり神事である相撲を、偶然見てしまったからといって何が悪いというのか。


 女の子同士だったから? いやいや、今や女子相撲は世界に広がっている。僕がこれまでいた南米は、特にアマチュア相撲が盛んな地域だ。当然、女子選手も大勢活躍している。


 だけど、何故だろう? この、見てはならないものを覗いてしまった罪悪感は?


 一瞬とはいえ下着を見てしまったから? いや、そんなのスカート穿いて相撲している方が悪い。


 頭の中で言い訳を考えながら、僕はその場を立ち去ろうとする。


 だけど、背後で勢いよく扉が開いた音がして、僕の逃走劇は秒で終わりを告げた。


「待て不審者」


 忘れもしない声と口調。気の強い性格は変わっていないらしい。


「はい。ごめんなさい!」


 反射的に謝ってから、恐る恐る振り返る。


 みらいちゃんは、あの頃よりずっと綺麗になっていた。でも猫のようにキラキラした目はあの頃と変わらない。


 あまりにも眩しくて僕はつい視線を逸らした。


 決して、大きく盛り上がったブラウスの胸元のボタンがひとつ外れて、水色のブラがちらりと見えていた事に気が付いたからではない。


「ちょっとみーちゃん! 胸のボタン取れてるから! 見えてるから!」

「おっと!? ごめん、ありがと」


 あられもない状態にある事を指摘されて、みらいちゃんはブラウスを直す為に背中を向ける。


 大丈夫かなと思って後ろを向けば、白いブラウスからうっすら透けて見える、肩甲骨とブラのライン。視線を下に向ければ、艶めかしい小麦色の素足。全然大丈夫じゃなかった。


 この瞬間逃げようと思ったけど大和撫子と目が合ってしまった。やっぱり綺麗な子だ。こんな子が相撲をとって、かつて男の子相手に無双していたみらいちゃんを投げ飛ばして勝利しとか信じられない。


 てっきり彼女からも責められるかと思ったが、そんな様子はない。その表情はどこか驚いているように見える。


 え、何?


「ちょっとあんた!」


 ブレザーを着て身なりを整えたみらいちゃんが彼女の間に割り込んでくる。


「ん? あれ?」


 何かに気づいたようにみらいちゃんが僕の顔を覗き込む。すると勝気そうな吊り目が真ん丸に変わった。


「あー! あやたー!」


 指を指して声を上げるみらいちゃん。


 因みにみらいちゃんは僕の事をあやたと呼ぶ。


 こうして僕と彼女達は再会を果たした。

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