義妹
僕の歓迎会を兼ねた夕食が終わると、洋介さんと渚さんは仕事に戻り、みらいと真崎さんは台所で片付けを始めた。
僕も手伝うと申し出たら、「あやたは何もしないのがお手伝い」と言われて追い出されてしまった。癪だけど、慣れた人間だけでやった方が早いのだろう。
仕方なく部屋に戻った僕は、買ったばかりのスマホの設定を行う。向こうでは、一応動画配信事業を手掛けていた事もあって、アカウントやらアプリやらと、結構引き継がなければならない事が多い。元のスマホは向こうに置いてきてしまったので、全て一から設定しなければならず、結構時間がかかってしまった。ひと通りスマホの設定を終えると、テザリングでタブレットに接続し、クーにメールを送る。クーというのは義妹の愛称だ。
クーはまだスマホを持っていないけど、僕とお揃いのタブレットを持たせてある。クーが入ってる寮には、Wi-Fiが完備されているので連絡は可能だ。
「入学準備完了。兄は明日から高校生になる。そっちの様子はどう?」 と、日本語で打って送信する。今となってはスペイン語を使った方が早いのだが、日本で暮らすにあたって、緊急時以外は日本語を使うと決めていた。
漢字が多いけど大丈夫かな?
クーは日常会話は問題無く行えるのだが、文章となるとまだまだだ。カタカナとひらがなの使い分けができないし、漢字も勉強中である。
かくいう僕も漢字の学習は小4で止まってるから、機械の変換機能無しにまともな文章が書ける自身は無い。だからあまり偉そうなことは言えない。
数分してクーからの返信が来る。
「ニッポンガボクヲダメニシテクル」
カタカナだけの文章に、つい頬が緩んでしまう。
いつの間にかボクっ子になっちゃったんだよね。クーに日本語を教えたのは何を隠そう僕である。いやはや、教えるのって難しい。
ダメニシテクル……まあ、そう感じるのも無理はない。
クーが暮らしていたのは、電気すらまともに通っていなかったような村で、日本の基準でいえば決して豊かとは言えない所だったのだから。
日本での暮らしはクーからすればまるで別世界に来たようなものだろう。僕が村に行ったときも、異世界に迷い込んだのかと思ったくらいだから気持ちはよくわかる。
便利な家電、多彩な食文化。清潔なトイレに慣れたらに村の生活に戻れなくなる。クーはそれを危惧したのかもしれない。この辺ついては僕だってそうだ。
「さびしくない? 友達はできそう?」と送ると、「アミーガデキタ」と返信が帰ってきた。
アミーガとはスペイン語で女友達の事である。アミーゴ(男友達)だったらすぐにも東京に向かってたところだ。
他の寮生達とは学校に行ってる時間だったから会えていないけど、管理人さんは感じの良い人だったし、きっと寮でも歓迎をして貰ったのだろう。友達もできたみたいで何よりだ。
「日本の生活を満喫してくれ」と、送信する。しばらくすると、画像付きで返信が来た。
そこでは、パジャマ姿のクーが、金髪と赤毛の女の子に挟まれて、はにかんだ笑顔を浮かべていた。
「ハイ! お兄さん! クーニアの事は私達に任せて!」 と、日本語で書かれた文章は、明らかにクーが書いたものではない。両脇にいるふたりがクーの友達だろう。きっと“満喫”あたりの漢字が解らなくて、助けを求めたに違いない。
部屋にいるみたいだしルームメイトだろうか? 良い子そうで何よりだ。僕は「ありがとう。短い間だけど妹をよろしく」と打って返した。
「あやた。入ってもいい?」
襖の向こうからみらいの声がして、僕はタブレットを置く。
時計を見ると21時。女の子が男の部屋を訪ねるには遅い時刻だ。しかし、そもそもここはみらいの家だし、泊めてもらっている僕の立場としては拒みにくい。僕がOKを出すと、みらいと、それに真崎さんが入ってきた。
「真崎さんまで。こんな時間に男の部屋を訪ねるもんじゃないよ」
ふたり共湯上りのようだ。浴衣に袢纏姿で、日中まとめていた長い髪は、今はさらりと背中に流している。
「だってさ。あやたの向こうでの話が気になったんだもん」
「そうだよ。あんな話聞いたら、気になって勉強も手に着かないし、夜しか寝れないよ」
「寝れるんかい! だったら湯冷めしないうちに、歯を磨いてさっさと寝なさい」
「えー! だって気になるよ! 彩昂君の事とか、義妹さんの事とかさ」
口を尖らせる真崎さん。なんか呼び方が麻生君から彩昂君に変わっている。良いんだけどさ。
「そうそう。それで、今、時間大丈夫?」
時間はある。でも、理性はあんまり長く持たないかもしれない。
みらいも真崎さんも、ただでさえ年齢以上に色っぽい身体をしてるのだ。その上湯上り。やばいやばい。
「明日の準備もあるし、少しならいいよ。ほら。今は義妹とメールしてたとこ」
「見てもいいの?」
「いいよ」
僕がタブレットを見せると、ふたりが顔を寄せて覗き込んでくる。髪をかき上げる仕草、上気したした艶やかな肌と、シャンプーの匂いにクラっとくる。
当人達は、こっちの気など知らず、送られてきた写真を見て、可愛い可愛いとはしゃいでいる。
「うわぁ。やっぱり可愛いなぁ。寮にいるんだよね? 一緒にいる子達はルームメイトかな?」
「そうだろうな」
話しているうちにメールが届いた。
本文には「クーニアのルームメイトです! よろしく!」と書かれ、写真には金髪と赤毛の女の子のツーショットに、金髪の子がフランカ。赤毛の子がエリサとそれぞれ黄色とピンクでサインが入っている。
「だそうだ」
「可愛い子達だよね。返事するの?」
「まあ、そうだね。クーが世話になるわけだし」
顔出しは好きじゃないけど、向こうが顔出ししてる以上、フェアに行くべきだろう。僕は自分の写真を撮って、「クーの兄の彩昂です。よろしく」とメールを返す。
当然だが、みらいや真崎さんが映らないように注意した。夜に女の子を部屋に連れ込んでるなんて知られたら、絶対家族会議にかけられる。父さんはとにかく、クーに嫌われたら僕はもう生きていけない。
「義妹ちゃん楽しそうだね。でも、こっちで一緒には暮らそうとは思わなかったの?」
「日本に行くって決めた時は、まだマフィアに追われていた時期だったからね。安全の為と、あとクー……ああ、義妹のことな? クーはまだ日本語の読み書きがそれほど出来ない。一般の中学校で授業を受けるのは難しいだろうってことで、東京のインターナショナルスクールに入ったんだよ」
クーから送られてきたカタカナだけのメールを見せる。
「本当は凄く頭が良い子なんだけど、先生がポンコツだったせいでこのざまさ」
「もしかして、彩昂君が教えてたの?」
「うん。出会って間もない頃にね。僕がクーに英語とスペイン語を習って、代わりに僕が日本語を教えたんだ。向こうでは使わないんだけどクーが興味を持ってね。僕が何とか英語とスペイン語をマスターした頃にはとっくに覚えて、父さんとしりとりしたり喧嘩したりしてたな」
「「ちょっと待って」」
急にふたりが会話を遮ってきた。
「あやたって英語とスペイン語が話せるの?」
「そりゃそうだよ。一応、スペイン語と英語と、少しならアイマラ語が話せる」
僕が暮らしていたシシメル共和国の公用語はスペイン語だが、村に滞在していた研究チームの皆は英語を使っていたし、村人の大半は現地語であるアイマラ語を使っていた。
「「おお~!」」
僕がマルチリンガルな事に驚いたんだと思う。口をOの字にするみらいと真崎さん。
美少女ふたりに尊敬の眼差しを向けられて悪い気はしないけど、シシメルではマルチリンガルは珍しくない。あの辺は色んな言葉が入り交じってて、自分が多言語を使っているのに気づかず生きてる人もいるくらいだ。
「あたし、日本語の他は英語しかできない」
「私も英語と中国語しかできない」
ちょっと待てや! 真崎さんの方が凄いやんけ! 中国語はめっちゃ難しいんだぞ!
「真崎さんの方が凄いじゃないか! それにみらいも英語出来るんだな」
「最近は外国人のお客さんが増えたから覚えなきゃいけなくなって」
「うちも、中国からの労働者が増えてきたから覚えなきゃいけなくなって」
「偉いな。凄い尊敬する」
ふたり共家業の為に勉強している。僕がシシメルで今を生きる為に頑張っている間、みらいと真崎さんは、将来の為に頑張っていた。もしかしたら、あの日の背中に、僕はまだ全然追いつけていないのかもしれない。そう感じさせられた。
「でも、あやたは4つの言葉を話せるんでしょ? やっぱ凄いよ」
「あの辺の人達、結構色んな言葉使うからそんなに驚くことじゃないよ。クーなんて、あとスウェーデン語と、どこかのマイナー部族の言葉が話せるし」
「え!? 何!? 義妹ちゃん天才!?」
「うん。なんか凄いとこの大学教授が本気で口説きにかかるくらい頭良いよ」
「大学教授? その人歳は?」
「50過ぎ」
「それヤバくない?」
「うんヤバい。考古学会では有名な学者なんだけど、父さん家を出禁にしてた」
「それよりもさ、なんでスウェーデン語?」
「クーの本当の父親がスウェーデン人だったんだよ。僕が向こうに行く半年前くらいに、事故で亡くなられたんだけどね」
僕は真崎さんの疑問に答える。北ヨーロッパの言葉を何故、南アメリカで暮らすクーが使えるのか疑問に思うのは当然だ。
まあ、これもロリコン教授と同じくらい困った話なのだけど……
「それじゃあなんで、スウェーデンの実家じゃなくて、彩昂君のお父さんが引き取ったの? お母さんは?」
「クーの母親は現地の人で、父親と一緒の事故で亡くなられたらしい。クーだけが生き残って、天涯孤独になったところを父さんが引き取ったんだ。これ以上詳しい話は、僕の口からは言えない」
「そっか……なんかごめんね」
「いや、悪いのはクーの両親さ」
クーの父親は、本国に奥さんと子供がいたにもかかわらず、村で踊り子を生業としていた少女に手を出した。そうして生まれたのがクーである。
そんな話を当人のいない場所で、若い娘さんに話せない。
真崎さんはだいたい察したようだけど、みらいはチンチラのような顔できょとんと小首をかしげている。
君はそれでいいよ。どうかそのままでいてほしい。
不倫するような人だけど、クーの実の父親はとても優秀な研究者だったらしい。そして母親はとても美しい人だったそうだ。クーは両親の良いところを見事に受け継いでいる。
父親からは優秀な頭脳とプラチナブロンドを。母親からは美しい容姿と飴色の肌を……あと、頭だけでなく運動神経だって抜群に良い。
「ただ、優秀すぎたせいで、僕も父さんも油断してたんだ。マフィアに狙われてるクーを日本に帰化させることが決まってさ。いざ編入手続きをしようかって時になって、クーの奴、ボク日本語話せるけど読み書きは全然出来ないよ? とか言い出してさ。そう言えば教えてなかったって思い出して、父さんも目が点になってた」
「それっていつ?」
「僕が杜兎の願書出したのと同じ時期だから、2ヶ月くらい前」
「ポンコツか!」
あの時は何故か僕が怒られた。なんで教えてないんだって。
そんなこと言われても、そもそも日本語を教えたのは遊びのようなものだったし、クーが日本で暮らす事になるなんて、予想もしていなかったんだから仕方が無い。
「ねえ、彩昂君。今、クーちゃんがマフィアに狙われてるって言わなかった?」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない。てっきり彩昂君が狙われていたんだと思ってた」
「いや、僕は巻き込まれた側だよ。その辺、結構胸糞悪い話になるけど聞きたい?」
「「聞きたい!」」
みらいと真崎さんが声を合わせてきたので、僕はクーがマフィアに狙われるようになった経緯を話すことにした。
……正直に言います。作者はインターナショナルスクールが9月開始だということを知らずに書き始めました。
なので、クーニアは本来なら2年生に編入する事になるのですが、飛び級制度を利用して3年生に編入したという設定になっています。卒業式は6月の後半くらいにあるので、クーニアがインターナショナルスクールに通うのは僅か2ヶ月ということに……^^;
本妻である褐色美少女の義妹様が早い段階で自由に使えるようになったと思えば、シナリオ的には良いんですけどね。
設定ガバガバな本作ですが、何卒今後もよろしくお願いします。




