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9.誤解


 レアンドロの出征を見送ったジュリエッタは、久々に外の空気を吸いながら陽の光を浴びていた。


 前世の記憶という重苦しい現実に打ちのめされ塞ぎ込んでいたジュリエッタにとって、明るい陽光は温かくも眩しい。


 陽射しに目を細めながら、ジュリエッタの心は沈んでいた。


 レアンドロがこんなに短期間で出征してしまうとは。


 ただただレアンドロの無事を祈り、手を合わせるジュリエッタ。


 そんなジュリエッタを見つめていたモランは、頃合いを見て明るい声で話しかけた。


「奥様。お疲れのところ申し訳ないのですが、よろしければ旦那様の執務室を片付けるお手伝いをしていただけませんか」


「執務室を……?」


 顔を上げたジュリエッタは不思議そうに首を傾げる。


「はい。なにせ急な要請でしたので、散らかったままなのです。書類も中途半端なものばかりでして……。旦那様に代わり、奥様でも決済のできる書類はお願いしたいのです。旦那様の許可は受けておりますので」


 モランがそう提案したのには、訳があった。


 というのも、ずっと仲睦まじかった公爵夫妻に暗雲が立ち込めてからというもの、公爵邸の空気は揺らぎに揺らいでいた。


 モランやユナをだけでなく、他の使用人達も公爵夫妻の行く末が気が気ではない。


 そこで、レアンドロが心を込めすぎて遅れている例の書きかけの手紙を見れば、ジュリエッタも夫の真意を感じ取ってくれるのではないかとモランは思ったのだ。


 モランの計画を知らないジュリエッタは戸惑いを見せる。


「でも、私なんかが……」


 普段はポジティブなはずのジュリエッタが、ここ最近自分を卑下しているようだとユナから聞いていたモランだったが、実際に目の当たりにすると心がざわついた。


 早くもとの女主人に戻ってほしいという思いも込めて、モランは声に力を入れる。


「なにをおっしゃいます。奥様がやってくださらなければ、私の仕事が滞ってしまいます。即ち旦那様がお帰りになった際の仕事量が膨大になっているということです。どうか私と旦那様のためにお手をお貸しください」


「……分かったわ」


 戸惑いながら頷いたジュリエッタを連れて、モランはレアンドロの執務室に向かった。







「本当に散らかっているわね。あの人らしくないわ……」


 室内の惨状を見て驚いたジュリエッタの後ろから、モランは小声で愚痴をこぼした。


「そりゃあ、奥様に嫌われたかもしれないと嘆いてばかりで、なにも手につかないご様子でしたからね」


 モランの小言が聞こえなかったジュリエッタは早速書類の整理をしようと執務机に目を向ける。


「まずは大事な書類を分けましょう。この辺りのものは私が触ってもいいのかしら?」


「奥様であれば問題ありません。どうぞ好きなだけお触りください」


 大きく頷くモランに不安げな視線を向けながらも、ジュリエッタは手際よくレアンドロの机を片付け始めた。


 魔物の討伐に関する報告書やら、王太子からの討伐要請、公爵家の事業に関する書類……と、それなりに大切そうな書類が放り出されたままの状態を訝しみつつ、作業を続けるジュリエッタ。


「あら、これは……」


 崩れ落ちそうな書類の山がある程度綺麗になったところでジュリエッタが見つけたのは、レアンドロが封を開けないまま置いていった手紙だった。


 ジュリエッタのことで頭がいっぱいだったレアンドロが存在すら忘れていた手紙なのだが、ジュリエッタはその手紙を見て息を呑む。


「…………ッ!」


 そこに書かれていた差出人の名前。


【イレーネ・メトリル】


 それは、ジュリエッタが夢で見た小説のヒロインの名前だった。


「奥様? いかがなさいました?」


 突然動きを止めたジュリエッタにモランは気遣わしげな目を向ける。


「あ……いいえ、なんでもないわ」


 震えるジュリエッタは、急いでその手紙から目を背けた。


 目眩と吐き気がする。


 自分の与り知らぬところで、既にレアンドロはヒロインと出会っていたのだろうか。


 まさか、もう二人は情を交わしているのだろうか。


 気をしっかり保つのが精一杯だった。


 しかし、その手紙から顔を背けたジュリエッタの目に、あり得ないものが映った。


 それは気を利かせたモランが、レアンドロの金庫から取り出して見えるようにそっと置いていたものだった。


 【愛する君へ】の書き出しで始まるその手紙は、どう見てもジュリエッタの夫であるレアンドロの字で綴られている。


 一度も夫から手紙をもらったことのないジュリエッタでは到底見たことのないような、愛情に満ち溢れた言葉の数々が綴られたその手紙。


 それはレアンドロがジュリエッタのために何度も書き直しを繰り返している返事の手紙なのだが、ジュリエッタがそのことを知る由もない。


(私には手紙をくれたこともないのに、ヒロインのイレーネには手紙を書いていたの……?)


 ジュリエッタの誤解は加速する。


 震えるジュリエッタは吐き気を抑えることができず、その場に座り込んだ。


「奥様……!」


 遠くからモランの悲鳴のような叫び声が聞こえるが、ジュリエッタはそれどころではなかった。


 既にレアンドロはヒロインであるイレーネと出会っていて、小説の通り密かに愛を交わしていたのだ。


 自分には一度も寄越したことのないラブレターをこんなにも熱烈に綴るほどその想いは強い。


 なにもかもが小説の通り。ということは、ジュリエッタはやはり、彼にとって邪魔な悪妻でしかないのだ。


「奥様! 大丈夫ですか?」


 倒れ込み呆然とするジュリエッタにモランが何度も呼びかけるが、ジュリエッタの目は遥か遠くを見ていた。


「……やっぱり私が彼の邪魔を……どうしましょう。今すぐ消えないと……」


 ジュリエッタの口から出た不吉な言葉の意図を聞く余裕もなく、モランは急いで人を呼びに行った。








 レアンドロの気持ちを知ったジュリエッタは駆けつけた医者の診察を拒むと、その足で先代公爵夫人である姑、レアンドロの母カルメラのもとを訪れていた。


「あら、ジュリエッタ。またレアンドロったらあなたを置いて遠征に行ってしまったようね。あなたには苦労ばかりかけて申し訳ないわ」


 ジュリエッタに好意的なカルメラは、息子の愚痴を言いながらジュリエッタを歓迎しようとしたが、その顔を見て動きを止める。


「ねぇ、あなた……顔色がとても悪いわよ。大丈夫?」


 真っ青なジュリエッタを急いで椅子に座らせたカルメラは、すぐさまメイドに温かい飲み物を用意させる。


 用意されたカップに口をつけることもなく、ジュリエッタは暗い顔を上げた。


「お義母様……折り入ってお話があるのですが、お時間をいただけますか?」


 深刻な様子のジュリエッタが心配になり、カルメラは彼女の手を握って力強く頷く。


「もちろんよ。いったいどうしたの?」


 息子の命を救い、オルビアン公爵家に尽くしてくれている大切な嫁、ジュリエッタの頼みとあらばどんなことでも聞いてあげたい。


 そう決意していたカルメラは、震えるジュリエッタの口からこぼれた言葉に絶句した。




「実は私……離婚したいのです」




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