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8.出征



 その後もジュリエッタは、夫であるレアンドロを避け続けていた。


 毎日共にしていた食事の場には現れず、顔を見せることすらなく一日中部屋に閉じこもっている。


 なによりも、ジュリエッタからレアンドロへ毎日送られてきた熱烈なラブレターがまったく届かなくなり、レアンドロは日に日に憔悴していった。


「…………この世の終わりだ」


 執務机に両肘を突いて俯くレアンドロは重苦しい声で呟く。


「旦那様……」


 間近に立つモランは主人の落ち込みぶりに心を痛めながら慰めの言葉を探すが、なかなか見つからない。


 それほどまでにレアンドロの嘆きは大きかった。


「ジュリエッタに嫌われたら、俺は生きていけない。いっそのことこの魔力で凍死してしまいたい」


 危険な言葉とともに鋭い冷気を漂わせ始めたレアンドロを慌てて止めるモラン。


「旦那様、どうかお気を確かに! 奥様が旦那様のことを嫌うなどあり得ません! あんなに仲睦まじくお過ごしだったではありませんか」


「…………」


 顔を上げたレアンドロは、つい数日前まで存在していたジュリエッタとの幸せな時間を思い出して遠くを見つめた。


「きっとご事情がおありなのです」


 宥めるようなモランの言葉に反応したレアンドロは重々しく口を開く。


「……だが、それを聞きたくても顔すら合わせてくれないのだ。無理矢理部屋に押しかけて、情けなく縋りついて余計に愛想を尽かされてしまったらどうする」


 泣く子も黙る氷の公爵が、妻に嫌われたくないと震える様を見るのはなんともいえない複雑な気持ちだが、モランは必死に主人を励ました。


「大丈夫です。長年お二人に仕えてきた私が言うのですから、間違いありません。奥様は心より旦那様のことを想っておいでです」


「………………本当に、そう思うか?」


 少しだけ元気を取り戻したレアンドロは、チラチラとモランを見ながら問いかけた。


「えぇ。こういったことは、時間が解決してくれるものです。落ち着かれたら奥様も、なにがあったのかお話しくださるはずです」


 レアンドロが執事からの励ましに頷いたところで、執務室の扉がノックされた。


 入室した使用人から受け取ったものを見下ろしたモランが険しい顔でレアンドロに向き直る。


「旦那様宛にお手紙です」


「っ!! ジュリエッタからか!?」


 すぐさま立ち上がったレアンドロの勢いは凄まじかったが、モランはゆっくりと首を横に振った。


「いえ……奥様からのお手紙ではありません」


 それを聞いたレアンドロは力なく椅子に座ると、億劫そうに手を払った。


「そうか……。その辺に置いておいてくれ。後で確認する」


 仕事すら手についていないレアンドロにとって、どうでもいい手紙を読む暇などない。


 しかし、モランは言いづらそうに小さく首を振った。


「旦那様、こちらの手紙はいいとしても、こちらの手紙は今すぐご確認いただく必要があるかと」


 二通届いた手紙のうちの一通を差し出すモランは眉間に皺を寄せている。


 その手紙に目を向けたレアンドロは、深いため息を吐いた。


「その紋章は……王太子殿下か」


 持っていた王太子からの手紙をレアンドロに渡したモランは、もう一通の手紙をそっとレアンドロの机の端に置いて主人の様子を見る。


 王太子からの手紙に目を通したレアンドロは無表情だった。


「今度は南部に魔物が出現したらしい。すぐにでも討伐に出向いてくれとのことだ」


「なっ! こんな時まで王室から討伐要請ですか? 旦那様はつい先日遠征からお戻りになったばかりではありませんか! 失礼ながら、王太子殿下は旦那様のことをなんだと思っておいでなのでしょうか!」


 人使いの荒い王室に不満を口にするモラン。


「確かに昔から、王太子殿下には目の敵にされているような気もしないではない。魔力のことでよく比べられていたからな。しかし、南部にはジュリエッタの実家ペルラー伯爵家がある。行かないわけにはいくまい」


 やれやれと肩をすくめるレアンドロは、諦めたように王太子への返事を書き始めた。


「しかし、なにも奥様のご様子が尋常ではない今……」


 なおも心配するモランの声に、レアンドロは強く言い切る。


「今だからこそ余計にだ。どちらにせよ俺はジュリエッタに避けられている。この魔力で彼女を凍えさせてしまった。今はそばにいない方がいいのかもしれない」


 悲しげな瞳をしたレアンドロは、寂しく笑いながらモランを見上げた。


「お前の言う通り、今は時間を置くべきだ」


「旦那様……」


 ジュリエッタへの手紙には年単位で時間をかけているレアンドロだが、王太子への返事には数分もかからなかった。


 簡潔な返事の書かれた手紙を受け取ったモランは、言いたいことをすべて呑み込んで執務室を後にした。








「討伐に? まだ戻ってきて数日だというのに?」


 ユナから報告を聞いたジュリエッタは、顔を青くして聞き返した。


「左様でございます。いくらなんでも、王室は旦那様を酷使しすぎです。みんな心配しております。それでも旦那様は既に了承のお返事を出されて出征のご準備をされております」


「そんな……」


 話を聞いて居ても立っても居られなくなったジュリエッタは、立ち上がって部屋を横切り扉に手をかけた。


「ああ、奥様……やっと」


 ユナが嬉しそうに呟くも、そこで足を止めたジュリエッタは結局、扉を開けなかった。


 脳裏に浮かんだのはクラウチの黒い瞳。


『このまま奥様が公爵様のそばにいれば、公爵様はいずれ悲惨な最期を遂げることになるでしょう』


「やっぱりダメ。私が行ったところで……」


 悲しげに引き返したジュリエッタは、力なく椅子に座ると虚な目でユナを見上げる。


「ユナ、お願いがあるの。できるだけ頑丈な魔力石を用意してちょうだい」









 翌日、すぐに準備を整えたレアンドロと部下達は、出立のため公爵家の屋敷の前にいた。


「旦那様、くれぐれもお気をつけて」


 頭を下げるモランに頷いてみせたレアンドロは、浮かない顔で声をかけた。


「分かっている。家のことを……ジュリエッタのことを頼んだぞ」


「はい」


 名残惜しげに屋敷を見上げたレアンドロの目が捜しているのはただ一人。


 しかし、外から見えるジュリエッタの部屋の窓に人影はない。


 意気消沈したレアンドロが馬に乗り出発しようとした時だった。


「あなた」


 今にも消えてしまいそうな震え声を聞きつけたレアンドロは、反射的に振り返る。


 そして木立の影に立つジュリエッタの姿を見つけた。


「…………っ!!」


 その姿を見たレアンドロは、数日ぶりの妻の姿に感激して思わず泣きそうになってしまった。


 即座に馬を降り妻のもとへ一目散に駆けていく公爵を見て、使用人達は気を利かせてその場を離れる。


「あなた……」


「ジュリエッタ。見送りにきてくれたのか」


 あまりの感動に触れようと伸ばした手を止めて、レアンドロは注意深く妻を観察した。


 数日見ないうちに、ジュリエッタはどこかやつれたように見えた。


 そしてなにより、いつも温もりに満ちていたその瞳に怯えの翳りが見える。


 やはり体調が芳しくないのか、もしくは彼女の体を凍させてしまった自分への恐怖があるのか、と不安になったレアンドロへ近づき、ジュリエッタはそっとなにかを差し出した。


「これを……私の魔力を込めた魔力石です」


「っ!」


 ジュリエッタの白い手の中には、彼女の瞳と同じ夕陽色の石が煌めいていた。


「急いで作ったので、あまり多くは魔力を込められませんでしたが」


 嬉しさと愛おしさに胸が苦しくなりながらも、レアンドロはどうしても妻の青白い顔が気になって仕方ない。


「体は大丈夫なのか? 先日俺に魔力を吸い尽くされたばかりだろう? これを作るのに無理をしたんじゃないか?」


 丁寧に魔力石を受け取りながらレアンドロが矢継ぎ早に問いかけると、ジュリエッタの目にはみるみる涙が溜まっていった。


「やっぱり気持ち悪いですよね、こんなもの作ってごめんなさい。要らなければどうか捨ててください」


 その言葉を聞いたレアンドロはギョッとして魔力石を強く握り締めた。


「君からもらったものを俺が捨てるわけないだろうっ!」


 突然の大声に驚いたジュリエッタがビクリと顔を上げると、泣きそうな顔をしたレアンドロが必死に笑顔を作る。


「ありがとう、ジュリエッタ。大切にするよ。これを君だと思って、肌身離さず身につけると約束する」


 目に溜まった涙がますます増えていくジュリエッタはか細い声で呟いた。


「そんな優しいことを言わないでください……」


 とうとうジュリエッタの大きな瞳から涙が溢れ、ポトリと頰を伝う。


 今すぐその涙を拭ってやりたいのに、この手を払いのけられてしまったらと思うと怖くて、レアンドロはハンカチを差し出すことしかできなかった。


 しゃくり上げながら涙を拭う妻を見つめて、レアンドロは静かに告げた。


「ジュリエッタ。しばらく留守にするから、君はゆっくり休んでくれ。くれぐれも無理をしないでほしい」


「……はい」


 いっそのこと抱き締めてしまいたかった。


 今からでも出征を取り止めて、君のそばにずっといる、離れたくない、だから捨てないでほしいと縋りついてしまいたい。


 しかし、そんな情けない姿を愛する妻には見せたくない。


 葛藤の中で動くことのできないレアンドロの背中を押すように、ジュリエッタは寂しく微笑みかけた。


「どうかご無事で。ご武運を祈っております」


「ああ。傷一つ負わずに戻ってくる。だからこの討伐から戻ったら……ちゃんと話をしよう」


 そうしてレアンドロは、ジュリエッタの姿を目に焼きつけながら出立したのだった。



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