7.決意
「では先生は……〝転生者〟ではなく、ニホンから直接この世界に転移して来られたということですの?」
時を遡り、初対面のクラウチから彼女の秘密を聞いたジュリエッタは、目をまん丸に見開きながら問いかけた。
「そうです。ですので私の容姿はニホン人そのものでしょう?」
にこやかに微笑んだクラウチは大きく頷く。
「確かに。先ほどお目にかかった時から、ずっと既視感がありましたわ。夢の中で見た世界の人々も、先生と同じように黒い髪と黒い目の者が多かったのです。そしてお顔立ちも、私達とは違っていました」
目を瞬かせるジュリエッタに、クラウチは持ち手のないカップを差し出した。
「このお茶にも見覚えがあるのでは?」
「そういえば……」
言われて気づいたジュリエッタは、奇妙な緑色をしていると思っていたそのお茶が、夢に出てきた〝緑茶〟なるものであると突然閃いた。
「ありますわ! 夢の中の前世で、私はこのお茶を好んで飲んでおりました! このカップも……ええっと、〝湯呑み〟ではございませんこと?」
クラウチと緑茶を交互に見ながらジュリエッタは興奮した声を上げる。
「やはり奥様はニホンからきた転生者で間違いありませんね。他にもこの白衣を見てください。あなたが見た世界で、医者といえばこの格好ではありませんでしたか?」
立ち上がり、膝まである長い白衣を翻して見せたクラウチに、ジュリエッタは呆然と頷く。
「その通りです……」
夢の内容を次から次へと言い当てられて、ジュリエッタはますますクラウチの話に引き込まれていった。
「ここまでの話をまとめると、奥様の見た夢はニホンという国で生きた前世の記憶で間違いありません。そして他の多くの転生者と同じように、奥様も物語の中の悪役としてこの世界に生まれ変わったのです」
すっかりクラウチの話を信じきったジュリエッタは、真剣な顔で問う。
「先生、私はどうすればよろしいのでしょうか? 夫の悲痛な運命を変えるために、なにをすれば……?」
血の気の失せた青い顔のジュリエッタに顔を近づけて、クラウチは囁くように答えた。
「小説の内容とは真逆の行動をすることです」
「真逆……?」
戸惑うジュリエッタへと、再び向かいに着席したクラウチは柔らかい表情を向けた。
「詳しくお聞かせいただけませんか? 夢の中の小説で、あなたは公爵様にどんなことをしたのです?」
優しい声で問うクラウチの言葉に息を呑んだジュリエッタは、静かに告白した。
「嫌がる彼に執着し……関係を強要して苦しめました。惹かれ合うヒロインとの仲を引き裂き、悲惨な死に追いやったのです」
涙声のジュリエッタは震えていた。
そんな彼女の隣に座り、優しく肩を抱くクラウチは神妙な顔で口を開く。
「それでは公爵様との関係を断ち切るべきです」
「え……」
涙で濡れた顔を上げ、ジュリエッタは固まった。
「あなたが執着を捨て公爵家を出られれば、ご夫君であるオルビアン公爵様はヒロインを妻に迎えて幸せになれる。公爵様を愛しておられるのなら、そうすべきではありませんか?」
ジュリエッタの視界が揺れる。目の前が真っ暗になるほど、ジュリエッタは衝撃を受けていた。
クラウチの言葉がジュリエッタの頭の中ををぐるぐると回る。
確かにその通りだと思う反面、ジュリエッタはどうしても頷くことができなかった。
「…………ですけれど、彼には私の魔力が必要なのです。私の魔力がないと彼の魔力は不安定になって、だから……っ」
なんとか捻り出した言葉に、ジュリエッタは自分の本心を感じた。
どうしてもレアンドロと離れたくなくて、必死に言い訳を探している。
浅ましい自分の考えに心底嫌気が差した。
しかし、ジュリエッタが捻り出した言い訳を、クラウチはあっさりとひっくり返してしまう。
「なるほど、魔力が。でしたら簡単なことです。奥様の魔力を公爵様に移してしまえばよろしいのです」
「魔力を移す!? そ、そんなことが可能なのですか?」
驚くジュリエッタに、クラウチはそっと身を寄せた。
「〝移植手術〟というものを覚えていらっしゃいませんか?」
「移植手術……?」
聞き慣れない言葉に首を傾げたジュリエッタへと、クラウチは息を吹き込むように耳元で囁いた。
「夢の中の世界をよーく思い出してみてください。医学の進んだその世界では、様々な方法で人の病を治していましたよね?」
クラウチの声を聞いているうちに頭がボーッとしてきたジュリエッタは、夢の内容を唐突に思い出した。
「あ、夢で見ましたわ! 他者の臓器を、その臓器が必要な患者に移植する手術のことですわね?」
ジュリエッタの様子を見て満足げに頷いたクラウチは、声のトーンを上げて話し始めた。
「私はこの世界に来てからというもの、以前の世界にはなかった魔力に興味を持ち様々な研究を進めてきました」
「まあ……魔力の研究を?」
「はい。そして突き止めたのです。貴族が胸に宿している魔力の源、魔核。この魔核を移植すれば、誰もがどんな魔力をも手に入れることができるのです」
戸惑ったジュリエッタは窺うようにクラウチの顔を見る。
「では……私の胸にある魔核を取って、夫に移植することが可能だと?」
物分かりのいいジュリエッタの反応に、クラウチは胸を張った。
「私はニホンで移植手術を行った経験があります。この世界に来てからも、似た手術を成功させてきました。この術式には大きな自信を持っております。私にお任せいただければ、奥様の魔力を公爵様に移植することが可能です」
「…………」
怯えた顔で黙り込んだジュリエッタは、夢の中で見た移植手術を思い出してみる。
別の人間から取り出した臓器を、他者に植えつける。
この世界で生きてきたジュリエッタからしてみれば、それは神をも恐れぬ悪魔のような行為だ。
しかし、夢の中の世界ではそれで救われた命が数多くあった。
頭がクラクラするのを感じながら、ジュリエッタはなにが夫のためになるのかを考える。
「奥様次第です。公爵様の幸福を願い、魔力を移植して身を引くか。このまま小説の通りの悪役として、公爵様の人生を破滅に導くか」
追い討ちをかけるようなクラウチの言葉はジュリエッタの胸に突き刺さり、痛みさえ感じさせた。
ジュリエッタの前に座ったクラウチは、視線を誘導するように一本の指を立てる。
「このまま奥様が公爵様のそばにいれば、公爵様はいずれ悲惨な最期を遂げることになるでしょう。全ては公爵様の幸せのためです。私はこう考えています。転生者とは、悲惨な未来を変えるためにこの世界に生を受けた異世界の使者であると」
「悲惨な未来を変える……」
揺れるクラウチの人差し指を見ながら、ジュリエッタは言葉を反芻した。
「そうです、奥様。奥様が前世の記憶を持って物語の悪役に生まれ変わったのは、オルビアン公爵の未来を変えるためなのです。ですから悲惨な未来の元凶となる欲も未練も捨てるべきなのです」
パチン、と鳴らされた指に我に返ったジュリエッタはとうとう目元を覆った。
絶望の中で自分の進むべき道が一つしかないということを悟ってしまう。
「公爵様の未来のために奥様がすべきことは……もうお分かりですね?」
ねっとりと絡みつくようなクラウチの問いに、ジュリエッタは青白い顔を上げた。
「夫への欲を捨てて、彼にこの魔力を移植し……身を引きますわ」
かくしてレアンドロと別れることを決意したジュリエッタは、彼への想いを断ち切るためにレアンドロを避けていた。
それでもどうしても夫の顔を見たくて、夜中にこっそり彼の執務室の近くを歩いていた際うっかり見つかってしまったが、縋りつきたくなる前に逃げてきた。
「これでいいのよ。彼は私のことを煩わしいと思っているのですもの。このまま近づくことなく、彼と離婚する手立てを考えないと」
自分に言い聞かせながら密かに涙を流すジュリエッタの姿は痛々しいが、いつも彼女の涙を拭うレアンドロはおらず、静かな室内には嗚咽のみが響き渡っているのだった。