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4.オルビアン公爵



「まったく。奥様を寝室に置き去りにして、こんなに朝早くからお仕事をされていたのですか」


 オルビアン公爵家の執事モランは、執務机の上で項垂れている主人をジトリと見やりながら小言を口にした。


 久々の再会で盛り上がり、夜通し妻に無理をさせてしまった自覚のあるオルビアン公爵レアンドロは、猛省しながら低い声で言い訳する。


「仕方ないだろう。抑えが利かず一晩中求めたせいで、ジュリエッタは俺の魔力であんなにも凍えていたんだ。俺がそばにいたらもっと悪化してしまうではないか」


 我に返った時にはレアンドロの妻ジュリエッタはグッタリとしており、普段温かい体は冷え切ってしまっていた。


 氷そのもののような自分が近づけば、余計に妻を凍えさせてしまう。


 レアンドロは反省の意も込めて、断腸の思いで愛する妻を寝室に残し執務室に閉じこもっていたのだ。


「ですけどね、遠征から久しぶりに戻られたのです。奥様だって朝目覚めた時に公爵様のお顔を見たかったと思いますよ」


「…………」


 机に肘をつき組んだ手に額を寄せていたレアンドロは、自分だってそうしたかったと声に出さず毒づいて沈黙する。


 主人の葛藤が手に取るように分かり息を吐いたモランは、気を取り直して執務机の上に置かれた手紙を指差した。


「それはなんです?」


 モランの視線の先をチラリと見たレアンドロはパッと顔を上げる。


 そしてその手紙を手に取り、愛おしそうに撫でた。


「ジュリエッタから昨日もらった手紙だ。俺の帰還をずっと待ち焦がれていたと」


 普段は冷徹な無表情でいることが圧倒的に多いレアンドロが、愛妻からの手紙を見下ろして口元を緩めている。


 美しすぎて目が焼き切れるからと、まともに目を合わせられないほどジュリエッタのことを愛しているレアンドロ。


 彼がどれほど妻を愛しているか、嫌というほど見てきたモランはやれやれと首を振った。


「いつもの金庫に入れておくのですか?」


「当然だろう。厳重に保管しなければ」


 レアンドロの執務室の奥にある、厳つい錠のかけられた金庫。


 その中にはジュリエッタからレアンドロに送られた手紙が、日付け順に完璧に保管されている。


「はあ……。どうしてジュリエッタはこんなに愛おしいんだ。彼女を妻にできて、俺は本当に世界一の幸せ者だ」


「…………何度も申しておりますが、それほどまでに喜ばれているのであれば、一度くらいお返事をお出しすればよろしいじゃないですか」


 毎日のようにレアンドロへの愛をしたためるジュリエッタからの手紙は、なかなかの量だ。


 それに対してレアンドロが返事を書いたことはただの一度もない。


「俺だって返事を書きたい。しかし、溜まってしまった分の返事を書くにはそれ相応の手紙でなければ釣り合わないだろう」


 真面目な顔で重々しく話すレアンドロは、書いては直し、書いては直し、を繰り返している手紙に目を向けた。


 溢れるほどの愛情を向けてくれる愛おしい妻ジュリエッタへ、それに見合うだけの想いを綴ろうと書きかけているその手紙は一向に完成の目処が見えない。


 というのも、レアンドロがじれじれと書き迷っている間にジュリエッタから追加の手紙が次から次へと送られてくるからだ。


 これでは足りない、この言葉では自分の想いの数百分の一も伝わらない、あの手紙への返事ならこう書かなくては、と書き直している間に、レアンドロはジュリエッタへの返事を一度も出せないまま時が過ぎてしまった。


 手紙の返事を出せない代わりといってはなんだが、その分レアンドロはドレスや宝石をジュリエッタに贈って自分の気持ちを表現してきたつもりだ。


 しかし、やはりジュリエッタの想いに見合うような素晴らしい手紙を書き上げて彼女に惚れ直してほしいとも思う。


「今日こそは、この手紙を完成させてみせる」


 ペンを取ったレアンドロは、もはや日課となっている手紙を書いては直し、書いては直し、を繰り返すのだった。








 レアンドロが愛してやまない妻に向けて手紙の返事を書こうと奮闘している間、絶望に打ちひしがれたジュリエッタはメイドを呼んでいた。


「奥様、お呼びでしょうか」


 新人メイドのメアリーが顔を見せると、ジュリエッタは硬い表情で口を開いた。


「メアリー、悪いのだけどユナをお願いできるかしら?」


 ジュリエッタの言葉にメアリーは申し訳なさそうに頭を下げた。


「えっと……メイド長でしたら昨晩から大奥様のところにいらっしゃいますが、呼び戻しますか?」


「あ……。そうだったわね。ユナが戻ったら私のもとにくるよう伝えてくれる? それと、ここ一ヶ月分の新聞を持ってきてちょうだい」


「かしこまりました」


 数分後、メアリーが持ってきた新聞をジュリエッタは片っ端から読み返す。


 自分と同じように前世の記憶を持つという者達のことを調べれば、今後の身の振り方について考える手掛かりになると思ったからだ。


 そのままジュリエッタが時を忘れてここ最近の新聞を読み漁っていると、メアリーが横からそっと声をかけた。


「あの……奥様。これらの記事のことが気になるのであれば、Dr.クラウチにご相談してみては?」


「Dr.クラウチ?」


 メアリーの言葉にジュリエッタが顔を上げると、目の前に数日前の新聞記事が差し出される。


【社会問題になりつつある『前世の記憶持ち』を診察するDr.クラウチは、自身も前世の記憶を持つと公言している。】


 指と目で何度も記事の内容を辿ったジュリエッタは決意を胸に顔を上げた。


「そうよ。前世の記憶を持つ医者……。今すぐこの人に会いに行きましょう」


 もともと行動力のあるジュリエッタは、すぐさま外出の用意をさせた。




「奥様、本当にあの怪しげな医者のところに行くのですか? 前世の記憶を持っているだなんて、変わり者に違いありません。どこかお体の具合が悪いのであれば、公爵家お抱えの医者を呼んだ方がよろしいのではないですか?」


 戻ってすぐに同行を申し出たメイドのユナが、馬車の中で心配そうにジュリエッタを見る。


「大丈夫よ。レアンドロの魔力が残っていてまだ少し寒いだけで、体の方はなんともないの。それよりもどうしてもDr.クラウチにお話を聞きたいことがあるのよ」


 いつもより厚着のジュリエッタは、毅然とした態度でそう言い切ると口を閉ざしたきりユナに目も向けない。


 ユナはジュリエッタが最も信頼を置くメイドだ。


 常であればこういった移動時もユナと穏やかに談笑してくれるジュリエッタが、黙り込んで深刻そうな顔をしている。


 異変に気づいたユナは、その様子を見て不安になりながら唇を噛み締めた。




「これはこれは、オルビアン公爵夫人。このようなむさ苦しいところによくおいで下さいました」


 ジュリエッタを出迎えた医者のクラウチは、ジュリエッタの想像とは全く違う人物だった。


 珍しい黒い髪と黒い瞳、異国人のような顔立ちに膝まである長い白衣。それだけでも人目を引く変わった風貌だが、ジュリエッタとユナが驚いたのはその見た目だけではなかった。


 一見男と見紛うほどに髪を短く切っているが、その声は明らかに若い女性だった。


 風変わりなクラウチに警戒を強くしたユナが前に出るも、クラウチを見てより一層深刻な顔をしたジュリエッタがユナを手で制した。


「ユナ。悪いけれど、先生と二人でお話ししたいの。あなたは下がっていてちょうだい」


「そんな、奥様……」


 怪しげな者と大事な奥様を二人きりになんてできませんとでも言いたげなユナに、ジュリエッタは強く命じる。


「いいから。これは命令よ」


 女主人にそう言われてしまっては、ユナも引き下がるしかない。


 しぶしぶ後ろに下がったユナをニヤリと見たクラウチは、ジュリエッタを奥の個室に案内した。


 路地裏にあるクラウチの小さな医院は綺麗に整頓されているが、怪しげな薬草やらなにか分からない干からびた生き物の肉片やらが天井からぶら下がっており、不気味な雰囲気を漂わせている。


 ジュリエッタはなるべく気味の悪いものには目を向けないようにして、促されるまま腰を下ろした。


「それで。わざわざ私を訪ねてきたということは、私に相談したい特殊なお困りごとがあるのでは?」


 これまた奇妙な緑色をした茶を差し出しながら、クラウチの黒い目が興味深げに細まりジュリエッタを見る。


 小さく呼吸をしたジュリエッタは、真っ直ぐに答えた。


「はい。実は詳しくお話を伺いたくて。……前世の記憶について」


 ジュリエッタの真剣な目を見たクラウチは、ニンマリと口角を上げたのだった。




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