39.帰り
「ああ、ジュリエッタ……! 無事だったのね!」
レアンドロと共に公爵邸に戻ったジュリエッタは、玄関先で出迎えたカルメラに抱き締められていた。
「逃げ出すだなんて、なにを考えているの……! どれほど心配したことか……!」
涙声のカルメラにジュリエッタも声を震わせる。
「お義母様、申し訳ありませんでした」
「……いいのよ。こうして帰ってきてくれたのだから、それだけで……」
カルメラがハンカチで目元を拭っていると、飛び出してきたユナがジュリエッタの前に立った。
「奥様……!」
「ユナ、あなたにも悪いことをしてしまったわね。ごめんなさい」
目に涙を溜めるユナを見たジュリエッタがそう言うと、ユナは口元を押さえて頭を下げる。
「……ご無事でなによりです。奥様になにかあったらと思うと、私……っ」
「ユナ……!」
泣き出したユナの肩を優しく抱き寄せて慰めるジュリエッタの姿を、モランも影ながら微笑ましく見つめていた。
「ど、どうしてあの医者がここにいるの!?」
ジュリエッタの帰りに屋敷全体が歓喜する中、戸口に佇むクラウチを目にしたカルメラが驚愕の声を上げて息子に詰め寄る。
「レアンドロ、あなた! ジュリエッタを連れ去った不届者を屋敷に上げるだなんて、いったいどういうつもり?」
「これには事情がありまして……」
レアンドロが母に返す言葉を探している間、クラウチはジュリエッタを見て涙ぐんでいた。
「うぅ……っ、お姉ちゃんが幸せそうでよかったよぉ……っ」
ジュリエッタを一心に見つめて涙を拭う姿は、胡散臭い笑みを浮かべていた得体の知れない医者の姿とは程遠い。
数日で別人のように変貌したクラウチを不気味そうに眺めながら、カルメラは眉を寄せて息子に話しかける。
「いったいなにがあったというの?」
「それが……なんと説明したものか……。とにかくあの医者はもう大丈夫です。ジュリエッタに対しては二度と悪さをしないので」
苦笑するレアンドロを訝しげに見やるも、カルメラは息子や嫁が決めたことならと口出しは控えることにした。
「あなたがそう言うのなら……。まあ、あれはメアリー!?」
次に公爵家の騎士に拘束されてやってきたのは姿を消していたメアリーだった。
騎士の一人がレアンドロの前に立って頭を下げる。
「クラウチの情報通りの場所に潜伏していました」
「そうか。抵抗する様子は?」
「ありません」
レアンドロが大人しく拘束されているメアリーに目を向けていると、そばにきたクラウチが涙を引っ込めていつもの調子で話し出した。
「王太子に始末されるところを私が助けて匿ってあげていたんです。いい証人になるので利用価値はあるでしょう?」
「お前は本当に計算高いな……」
呆れるレアンドロにクラウチは肩をすくめるだけだった。
「旦那様……。奥様……。申し訳ありませんでした。全て王太子殿下の命令で……」
謝罪するメアリーにレアンドロは鋭い目を向ける。
「お前のしたことは許しがたいが、王太子の所業について証言するのなら命だけは助けてやろう」
「命を助けていただけるのなら、なんでもいたします!」
涙を浮かべ必死に懇願するメアリーが逃げることはないだろうと判断したレアンドロは、心配そうに見つめるジュリエッタへと歩み寄って手を取った。
「ジュリエッタ、君はここで休んでいてくれ。俺は王室と話をつけてくる」
「ええ。……お気をつけて」
「もう二度といなくならないでくれ」
「分かっておりますわ。ここでみんなとあなたの帰りをお待ちしております」
公爵家の屋敷で微笑むジュリエッタを見て、やっと愛する妻を取り戻したと実感したレアンドロは感慨に浸りながら王宮に向かう準備をはじめた。
「ティボルトが本当にこのようなことを……? それも、オルビアン公爵夫人を手に入れるために……?」
王太子ティボルトの罪は、クラウチが残していた証拠とメアリーの証言により疑いようがないものだった。
「昔から魔力のことで公爵に劣等感を抱いているのは知っていたが、まさかこのようなことをしでかすとは……」
レアンドロからティボルトの身柄と共に証拠を突きつけられた国王は深い深いため息を吐く。
「オルビアン公爵、どうかティボルトの罪を内密にしてくれないか……。ただでさえ王室の権威が弱まっている今、私利私欲のために国民を利用しようとしたあやつの愚行が広まればどうなるか」
王室の威信は地に落ちるだろう、と嘆く国王を心底どうでもいいと思いながらレアンドロは重い口を開いた。
「……代わりにこちらの条件を呑んでくださるのなら考えましょう」
レアンドロの言葉に安堵した国王は弾んだ声で答える。
「おお、本当か! 分かった、どんなことでも君のいう通りにしよう。なにが望みだ? 金か? 権力か?」
前のめりになる国王をジッと見つめながら、レアンドロは静かに告げた。
「…………今回の件で魔核を失った私の妻を、この先も貴族として認めていただきたいのです」
身構えていた国王は目を瞬かせる。
「そ、それだけか?」
「私達の婚姻が無効になるようなことは絶対にないと誓ってください。それともう一つ。王太子殿下の処遇についてですが、二度と妻の前に現れないよう厳重に管理してください」
「分かっている。このようなことをしでかした者を王位に就かせることはできない。表向きは不治の病に侵されたこととして王太子の地位を廃し、療養の名目で生涯離塔に幽閉しよう」
深刻な顔で提案する国王だが、レアンドロは簡単には頷かなかった。
「それだけでは足りませんね。未来永劫復権できないよう、彼の魔核を切除してください」
「なっ! 魔核を切除だと? そんなことできるわけが……」
「可能ですよ。そういった術が得意な医者を知っていますので」
今回の騒動が王太子と結託した謎の医者により引き起こされたものだと聞いたばかりの国王は、グッと声を詰まらせる。
「し、しかし……。いくらなんでも王族として魔力を失うのは……」
「でしたら殿下が犯した蛮行を世間に公表するまでです」
なんとしても王室の威信を守りたい国王はレアンドロの言葉を受け入れる他なかった。
「……分かった。この件については公爵に任せよう」
これで無事話がついたと国王が安堵したのも束の間、まだ話の終わっていないレアンドロは銀色の瞳を光らせた。
「もう一つ。殿下が断罪したイルビリア侯爵家が横領していたのは事実ですが、彼らは実際よりも重い罪を着せられ爵位も財産も全て没収し尽くされました。没収した財産を私物化した殿下は自分の支持者に分け与えて勢力を維持しようとしていたようですが、この件についてはどう対処を?」
頭の痛い話を追及されて国王は顔を顰めた。
「ぐっ……。これまた痛いところを。……投獄中のイルビリア元侯爵とその子息は釈放する。横領が事実な以上、爵位や財産を元に戻すことはできないが生活は保障しよう」
「……まあ、妥当でしょうか」
胸を撫で下ろした国王はレアンドロに不思議そうな目を向けた。
「それにしても、なぜ君がイルビリア家を気にする? 特に交流などなかっただろう?」
問われたレアンドロは大真面目な顔で答えた。
「殿下の所業は私の妻を手に入れるためという不純極まりないものからの行動でしたから。イルビリア家をはじめ無関係の人を自分のせいで苦しめてしまったと、私の妻が気に病むことのないようにするためです」
「は…………?」
唖然とする国王に一礼し、レアンドロは愛する妻が待つ家に帰るためその場を辞した。
「では、魔核を切除したあとの王太子殿下のことは陛下にお任せするのですわね」
レアンドロから話を聞き呟くジュリエッタ。
「君が王太子を亡き者にしてほしいと言うなら、俺は喜んで実行するが」
「そんなことは望みませんわ」
苦笑したジュリエッタは改めて夫を見上げる。
「……私のためですの? 私が魔力を失ったことや王太子殿下から酷い扱いを受けたことを隠すために、そのような条件を?」
「俺にとって重要なのは、この先もずっと君と生きていくことだ。君がなんの憂いもなく俺のそばにいてくれるためなら、なんだってするさ」
「あなた……」
ジュリエッタの瞳を見つめてくるレアンドロの表情は愛情に溢れていて、ジュリエッタはどうして彼の愛を疑っていたのかと胸が痛くなった。
迷惑をかけてしまった申し訳なさと愛されていることを実感できる喜びとで打ち震える心を持て余したジュリエッタは、レアンドロにそっと身を寄せる。
「ありがとうございます。……本当にごめんなさい」
愛する妻を抱き締めながら、レアンドロは首を横に振った。
「いいんだ。君がこうして俺の腕の中に戻ってきてくれたのだから」
そうして二人はしばらくの間、離れていた時間を埋めるように互いの温もりを感じ合った。
「あの、直美はどうなるのです……?」
メアリーと公爵邸に軟禁されている妹の姿を思い浮かべたジュリエッタは、体を離して夫に問いかけた。
「ティボルトの罪が闇に葬られれば、クラウチがやったことも明るみになることはないだろう。彼女も俺に処遇を任せると言っていた。君はどうするのがいいと思う?」
問われたジュリエッタは少しの間考え込む。
「……当然私はあの子の味方です。ですけれど、私にしたことはともかく、関係ない人々まで巻き込んだことは反省させるべきだと思いますわ。なにかしらの罰を与えてあげてください。それがあの子のためになると思いますの」
思慮深いジュリエッタの言葉に頷いたレアンドロは、もとから提案しようと思っていた考えを口にした。
「この国の医療の発展に尽力してもらうのはどうだろうか。夢を植え付けられた者達のケアをしながら、オルビアン公爵家が設立する病院で日夜その医術を国民に広めてもらおう」
「……それはつまり、これからもあの子のそばにいてよろしいということですか?」
大きな夕陽色の瞳を震わせる妻に、ニコリと微笑むレアンドロ。
「君の大事な妹なのだろう? だったら俺にとっても庇護すべき対象だ。……さんざんな目に遭わせられたうえに、年齢は十二歳も歳上だが」
「……あなたっ」
ジュリエッタは感激したように声を上げてレアンドロの手を握った。
自分だけでなく、ジュリエッタの大事な人のことまで考えてくれるレアンドロのことが心の底から愛おしくてありがたかった。
妻の手の温もりが嬉しくて仕方ないレアンドロは、握り合う手とは別の手でジュリエッタの頬に触れる。
「君が望むなら、俺の魔力を全て君に捧げるのに」
囁くレアンドロを見上げて手を重ねながらジュリエッタは幸せそうに微笑んだ。
「その魔力はあなたが持つべきですわ。それに……私には必要ありませんの。だって、魔力のない私でも愛してくれる最高の旦那様がおりますもの」
更新が止まってしまい、申し訳ありませんでした。
あと1話で完結です。
あまり間を開けず更新する予定です。
最後までお付き合いいただけますと幸いです!




