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38.慟哭



 誰かが泣いている。


 寝ぼけた状態で子供の泣き声を聞いた私は、また患者が泣いているのかと眠たい目を擦った。


『どうした? どこか痛い?』


 目を開けた先に蹲った少女がいるのを見て声をかけると、ビクリと反応した少女は必死に泣き声を抑えようとした。


 様子がおかしいと思った私は注意深く少女の様子を観察する。


『その痣……』


 そして、少女の体にある痣に気づいて眉を寄せた。


 殴られたような痕は虐待が疑われた。


 怖がらせないようしゃがみ込んで目線を合わせようとした時だった。


『…………直美?』


『え?』


 顔を上げた少女と目が合うと、彼女はまん丸の瞳をさらに見開いて嬉しそうに手を叩く。


『直美よね? ああ! こんなに大きくなって!』


 ぎゅうっと手を握られて私は困惑するばかりだった。


『大人になったのね。この格好は、もしかしてお医者様になったの? すごいわ、さすが私の妹だわ!』


 〝妹〟という単語にあり得ない考えが浮かぶ。


 まさか、そんなはずはない。


 会いたすぎて頭がおかしくなったのだろうか。


 そう思っていても少女の愛らしい顔の中に面影を探してしまわずにはいられなかった。


『…………お姉ちゃん、なの?』


『そうよ。あなたのお姉ちゃんよ』


 ニコリと優しく微笑んだ少女は、傷だらけの腕を伸ばして私を抱き締めた。


『立派になったわね、直美』


 これが現実なはずがない。


 分かっていても、私は恋しくて堪らなかったお姉ちゃんの温もりに涙が出た。





『あなたは相変わらず泣き虫なのね』


 少女の姿のお姉ちゃんに慰められた気恥ずかしさと、袖から見え隠れする痛々しい痣が気になって私は口を開いた。


『……お姉ちゃんはどうして泣いていたの? その痣はなに?』


『私ね、生まれ変わったのよ。まったく違う世界に生まれたの』


 栗色の髪をふわりと靡かせて、お姉ちゃんは話してくれた。


『この世界には魔法があってね、胸に魔核がある人はそれぞれ違う魔力を持っていて、魔力があると貴族として認められるの。ファンタジーのような世界でしょう?』


 懐かしい絵本を読み聞かせるような語り口で。


『私は魔核を持って生まれたのだけれど、私を産んでくれたお母様は平民でね、貴族のお父様が私を引き取って育ててくれてるの。でも、私の魔力が役立たずだから……お父様は私が気に入らないみたい……。汚らわしい平民との間にできた私はお父様にとって恥なんですって』


 思わず拳に力が入る。


『それでお姉ちゃんのことを虐待しているの?』


『仕方ないの。この世界では、私はお父様にとって邪魔な存在でしかないから』


 諦めたように肩をすくめる姿は幼い見た目とあまりにも不釣り合いだった。


『……あなたとお父さんとお母さんと、家族みんなで幸せに過ごしていた日々が懐かしいわ』


『…………』


『元気になったあなたと、たくさんいろんなことがしたかった。……ごめんね、直美。あなたをおいていってしまって』


『そうだよ。ひどいよ。お姉ちゃんがいなくて、私がどれほど悲しんだか分かる?』


 むくれて見せるとお姉ちゃんは申し訳なさそうに眉を下げた。


『でもね、命を失う瞬間に聞こえたの。私の心臓があなたに移植されるって。それを聞いて本当に嬉しかった。これで直美は助かるんだって。こんなに立派に成長してくれてありがとう』


 綺麗に微笑むその顔は私の知っているお姉ちゃんとは全然違うのに、きゅっと上がった口角や優しく細まる目元にお姉ちゃんの面影が確かにある。


『…………お姉ちゃん、私が必ず助けてあげるから』


 決意を呟いた私はふと、そばに落ちているウサギのぬいぐるみに気がついた。


 退院した患者からお礼にもらったばかりのぬいぐるみ。


 ちゃうどお姉ちゃんが好きそうだと思っていたそのぬいぐるみを手に取り、お姉ちゃんに押し付けた。


『このぬいぐるみを持っていて。これが目印だよ。今度は私がお姉ちゃんを助ける。約束だからね?』


『……ありがとう、直美。待ってるわ』


 ウサギのぬいぐるみを見て嬉しそうに笑ったお姉ちゃんの顔を最後に、夢は終わった。






「…………夢?」


 目が醒めた私は全て夢だったのかと静かに絶望する。


 しかし、あることに気づいて愕然とした。


「ぬいぐるみが……ない」


 お礼カードはあるのに、もらったばかりのウサギのぬいぐるみがどこにも見当たらなかった。


「お姉ちゃん……」


 今見たものがただの夢ではなかったのだとしたら。


 異世界に転生したお姉ちゃんは、ひどい虐待を受けて苦しんでいることになる。


 そして私の助けを待っている……。


 なんとしても異世界に行く方法を見つけなければ。


 お姉ちゃんを救う方法がないか、常に考えていた私は意外なところからヒントを得た。


「ねぇ、倉内先生。異世界転生って知ってる?」


「……ん?」


 小児科病棟に入院中の患者から飛び出た〝異世界〟〝転生〟の言葉に、私の鼓動が早まった。


「最近はまってるんだぁ。この漫画の主人公がね、事故で死んで異世界に転生するの。そこは前世で読んでいた本の中の世界でね……」


「事故で死んで……?」


 貸してもらった漫画は所詮創作物でしかない。


 しかし、私にとっては唯一の希望に思えた。


「……どうせお姉ちゃんにもらった命だ」


 両親宛に残した『お姉ちゃんのところに行ってくる』とだけ書いたメモは、今頃遺書と捉えられているのだろうか。


 お姉ちゃんが事故に遭った車の行き交う交差点に、私は自ら身を投げた。







 ダメ元であまり期待していなかったが、目が醒めると私はこの世界にいた。


 外傷はないものの、一箇所だけ胸元に異変を感じ取る。


 自分の胸に突如現れた得体の知れない物体が、お姉ちゃんの言っていた魔核なるものだというのは本能的に理解できた。


 自分の中になにやら不思議な力があるのが感じられたからだ。


 奇妙なことに魔力の使い方まで自然と身についていた。


 夢や眠りに関与するチート能力。


 信じてもいない神様に感謝した。


 この魔力をお姉ちゃんに移植すれば、お姉ちゃんはもう二度と誰にも馬鹿にされないのではないか。


 心臓を移植してもらった代わりに魔核を移植する。それこそが私がこの世界に来た理由だと思った。


 まずはお姉ちゃんを探すところからだ。


 お姉ちゃんはこの国の貴族の私生児で、魔力は役に立たない属性で、幼い少女で、栗色の髪にウサギのぬいぐるみを持っている。


 あまりにも手がかりが少ない。


 私はまず、情報を集めるために医学の知識を用いて人々を助けた。


 私の腕に頼る人が増えるうちに、イルビリア侯爵家の使用人と繋がることができた。


 貴族のリアルな内情を聞くまたとない機会だった。


 この国の王族と貴族は魔力と血筋を誇示することでヒエラルキーの頂点に立っているようだ。


 だから貴族にとって魔力を持たない平民との間にできた私生児はとても恥ずべき存在で、貴族は私生児を世間から隠したがるという。


 力が弱い魔力しか持たない子供なら尚更、一家の汚点だと。


 王室が魔力を持つ魔核保有者リストを作成しているらしいと聞いた私は、お姉ちゃんを探し出すためには王族が鍵になると考えた。


 貴族の上に立つ王族は、尚更魔力を持つ魔核所有者の管理に必死らしい。


 魔核をちらつかせれば向こうから寄ってくるのではという私の推測は当たった。


「お前がナオミ・クラウチか?」


 風変わりな得体の知れない医者が魔核を持っていると聞いて、王太子自ら私に接触してきたのだ。


「王太子殿下。取引をしませんか?」


 私は仮面の代わりに最大級の笑顔で王太子に手を差し出した。


「どんな望みでも私が叶えて差し上げます。その代わり、王室の持つ魔核保有者のリストを私にください」


「お前のような者を簡単に信じられるとでも?」


「イルビリア侯爵家は王太子殿下の魔力についてとても懐疑的な態度を見せていますね。私が侯爵家を取り潰したら、殿下は私を信頼していただけますか?」


 夢の魔力を使って侯爵家の使用人から得た知識をもとに、イルビリア侯爵家を貶めるのは容易いことだった。


 この提案に興味を持った王太子の望みはシンプルだった。


「オルビアン公爵夫人ジュリエッタが欲しい」


「人妻ですか……」


 目をギラギラさせる王太子を見て、ただただ悪趣味な人だなと思う。


「ふん。ジュリエッタは俺と結ばれるべきだったんだ。それをレアンドロ・オルビアンが横から掻っ攫っていった。許しがたい奴だ」


 ぐちぐち言い出した王太子の話を聞く気になれず、遮るように話をつける。


「まあ、いいでしょう。あなた様の望み、私が叶えて差し上げます」


 そうして私は計画を立てた。


 予想以上に夫への愛が強かったジュリエッタを惑わせるには、どんな夢を見せればいいか。


 そこで思いついたのが、〝前世の記憶〟だ。


 あの日見せてもらった異世界転生を題材にした漫画のように、この世界を前世で見た物語の中にしてしまえばいい。


 自分が愛する夫をバッドエンドに追いやる悪妻だと思い込めば、ジュリエッタは自ら夫のもとを離れるはず。


 夢の精度を上げるため、そしてジュリエッタに夢を信じ込ませるため、より多くの人間に似たような夢を植え付けた。


 その過程でイルビリア侯爵家を断絶させ、賄賂のように王太子の功績にした。


 これは現実なのか、はたまた長い夢を見ているだけなのか。


 時々そんな疑問が頭をよぎったが、お姉ちゃんを助けるためならなにもかもがどうでもよかった。


 無関係の人間を貶めることも、利用することも、お姉ちゃんのためなら厭わない。


 それで私がどんな罰を受けようと、もう一度お姉ちゃんに会って命を与えてくれた恩を返せるのなら甘んじて受け入れる。


 考え尽くした夢を植え付けると、ジュリエッタは想像通りに動いてくれた。


 夫と別れることにおいて一つだけ懸念だという魔力については、移植手術をするよう誘導した。


 手っ取り早く二人を引き離すためと、私の魔核をお姉ちゃんに移植するための予行練習にもってこいだと思ったのだ。


 なにもかもが順調だった。


 ただ一つ、ジュリエッタにお姉ちゃんの面影を見つけてしまうまでは……。









 膝を突いたクラウチは、優しく微笑むジュリエッタを見上げて震えていた。


「……本当に、お姉ちゃんなの?」


「そうよ。直美、立派になったわね」


「…………どういう、こと?」


 信じられないクラウチの呟きに、ジュリエッタは眉を下げて説明をはじめる。


「どうやら池で溺れてウサギのぬいぐるみを失くした時に、前世の記憶も一緒に失くしてしまったみたいなの。あなたとの約束を忘れてしまっていてごめんなさい」


「だって、髪の色が……」


「あぁ、これも溺れて死にかけた時に魔力が覚醒してこの色になったのよ。池を枯らすほどの力を見せたからか、あれ以降お父様が私を殴ることもなくなったの。……空気みたいな扱いは変わらなかったけれど」


 悲しそうに伏せられた目が、あの日泣いていた少女と重なる。


「じゃあ、本当に……お姉ちゃんな、の……?」


「成長したあなたとこうしてまた会えて嬉しいわ」


 抱き締められ、クラウチの視界はジュリエッタの胸元でいっぱいになった。


「あ…………」


 服で隠れたその下にある醜い傷跡は、クラウチの手で作った一生消えない痕だ。


「わ、私……っ」


 顔を上げたクラウチの目から涙が溢れ出る。


「私が……お姉ちゃんを傷つけて、愛する夫から引き離して幸せを台無しにして、お姉ちゃんの体からまた大切なものを奪ってしまったの?」


 心臓だけでなく、今度は魔核まで。


「一生残る傷跡をつけて、あんなに苦しめてしまったの……?」


 夫との別れに悲しみ苦悩する姿も、胸の傷跡も、うす汚い言葉で王太子に傷つけられ牢に入れられる惨めな姿も、誰よりも間近で見ていたのはクラウチだ。


 愛する姉を助けるどころか姉の幸せを自らの手で奪い続け、深く傷つけてしまったのだと自覚したクラウチは耐えきれず慟哭した。


「うわああぁぁぁっ!」


 声を上げて泣くクラウチを優しく抱き締めるジュリエッタ。


「直美、大丈夫よ」


「ごめんなさい、お姉ちゃんっ! ……ごめんなさい」


 縋り付く妹の手を優しく握ったジュリエッタは、宥めるようにクラウチの背中を撫でた。


「いいのよ。私のために異世界にまで来てくれたあなただもの。私が怒るはずないでしょう?」


「でも……っ、私はお姉ちゃんを……」


「それにね、あなたには感謝しているの。私の魔力を移植したおかげでレアンドロはもう二度と、氷の魔力に命を奪われる心配がなくなったわ。ずっと危惧していたことだったから、あなたが解決してくれて本当によかった」


 体を離し、ジュリエッタはクラウチの顔を覗き込みながら微笑んだ。


「私の夫を助けてくれてありがとう、直美」


 その笑顔があまりに綺麗で純粋で、クラウチの知る優しい姉そのもので、余計にクラウチの心が引き裂かれる。


「お姉ちゃんは優しすぎるんだよ……っ。私はお姉ちゃんに、もっと自分勝手でいてほしかった! あの日、急いでお見舞いになんて来なきゃよかったのにっ! 意思表示カードなんて……どうして用意してたの、あんなの見たらお父さん達だって……っ」


「私の心臓があなたの役に立ったのなら、こんなに嬉しいことはないわ」


 両手を広げるジュリエッタは聖母のように柔らかな微笑みを浮かべる。


「頑張ったわね、直美」


「うぅ……っ」


 子供の頃に戻ったかのように、クラウチは大好きな姉の腕の中で泣き続けた。





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― 新着の感想 ―
潰された侯爵家の皆さんは、確かに、<いい迷惑>では済みませんね。 どう償うやらです。 しかし、自殺して異世界転生を試みるとは無茶をします。叶ったわけではありますが。 糸を引いている趣味の悪い神様など、…
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