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37.意思表示カード



 幼い頃、私の世界の中心はお姉ちゃんだった。


「それでね、ご近所の加科さんのところにいるベルちゃんがとっても可愛くて! 見てるだけで癒やされるのよ」


「だったらウチでも犬を飼おうよ」


「うーん……。じゃあ、直美が元気になったらお父さんにお願いしてみましょ。一緒に散歩に行ったり、お昼寝したりするの。楽しそうでしょう?」


「うん、そうだね」


 優しくて明るくて、いつもニコニコ笑うお姉ちゃんは私にとって太陽みたいな存在だった。


 病弱な私の暗くて退屈な入院生活を明るく照らしてくれる、眩しい太陽。


 お姉ちゃんの口から語られる外の世界はキラキラしていて、お姉ちゃんの話を聞くたびに私は未来に希望を持った。


「約束よ。だから早く元気になってね、直美」


 お姉ちゃんが笑うと、無機質な病室も花が咲いたみたいに明るくなった気がした。


「あ、今日は美味しい和菓子をいただいたの。直美はあんこが好きでしょう? 緑茶を淹れてくるから待っていて」


「うん……!」


 くるくるとよく動くお姉ちゃんを見ているだけで、私もお姉ちゃんのように元気になれると本気で思っていた。


 私を見るたびに腫れ物に触るような目をするお父さんやお母さんより、お姉ちゃんといる時間が楽しくて大好きだった。





「直美、そんなに悲しまなくても大丈夫よ」


 十ニ歳の秋、医者と両親の会話を盗み聞きして泣いていた私に気づいてくれたのもお姉ちゃんだった。


 優しい声と同じくらい優しい手が、ゆっくりと頭を撫でていく。


「私ね、頑張ってたくさん勉強して、お医者様になるわ。医者になって私が絶対あなたの心臓を治してみせるから」


 もともと十五歳まで生きられないと言われていた私の心臓はもうボロボロで、移植手術をしなければあと数ヶ月ももたないだろうと言われていた。


 その話を聞いてしまった後でも、お姉ちゃんの目に翳りはなかった。


「約束するわ。だからその時まで、もう少しだけ頑張るのよ、直美」


 大人になったあと思い返してみれば、あの時のお姉ちゃんはまだまだ子供だったはずなのに。


 私にとっては誰よりも頼もしい大人で、だからあの時も私はお姉ちゃんの言葉を本気で信じて頷いたんだ。





 それから程なくして私は危篤状態に陥った。


「お、姉ちゃんは……?」


 苦しみの中、酸素マスクの隙間から問いかけると母が私の手を握った。


「お姉ちゃんはもうすぐ来るから。だから頑張るのよ、直美!」


「そうだぞ、優里恵が来るまで耐えるんだ……!」


 手を握り涙を流す両親を見て、私はもう死ぬのだと思った。


 どうせ死ぬのなら最期にお姉ちゃんに会いたい。


 そんなことを思いながら私は意識を手放した。





 次に目が覚めた時、私は集中治療室にいた。


「……お姉ちゃん……」


「直美! 目が覚めたのか?」


「……お父さん、お母さん」


「もう大丈夫よ、移植手術を受けてあなたは助かったのよ」


 母の言葉で奇跡的に自分が生きているのだと実感するうちに私は違和感を覚えた。


「……お姉ちゃんは?」


 大好きなお姉ちゃんの姿が、どこを探しても見当たらなかったのだ。


「……優里恵は……今は、家にいてもらっているんだ。お前のことをすごく心配していたよ」


「お姉ちゃんに会いたい」


「大丈夫よ。すぐ会えるからね」


 その時の私には、両親が泣き腫らした目をしている本当の意味が分かっていなかった。






「お姉ちゃんはどうして来てくれないの?」


 病状が安定して一般病棟に移っても、お姉ちゃんはお見舞いに来てくれなかった。


「優里恵は受験生だから、勉強が忙しいんだ」


「退院したらお姉ちゃんに会えるわ、だから早く元気になるのよ」


 目を逸らす父と母に私は不信感を募らせていった。





「直美。退院する前に、お前に話さなきゃならないことがある」


 移植された心臓が驚くほど体に適応して順調に回復し、いよいよ退院が差し迫ったある日のこと。


 暗い顔をした父は、涙を拭う母の手を握りながら私に告げた。


「心臓を移植したばかりのお前に負担をかけたくなくて黙っていたんだが……。優里恵は……お前のお姉ちゃんは、事故で亡くなったんだ」


「……なに言ってるの?」


 父の話は信じられないものだった。


 あの日危篤になった私を見舞うため、学校を早退して駆けつけようとしたお姉ちゃんが事故に遭って死んだというのだ。


「そんなの嘘だよっ!!」


 泣き叫んで暴れる私に両親も医者も手を焼いていた。


「頼むから落ち着いてくれ、直美! お前の心臓はまだ大きな負担に耐えられない……!」


「……っ! うぅ……っ!」


「直美……!」






 私が退院しても、私と両親の間には重苦しい空気が漂っていた。


 真新しい仏壇に飾られたお姉ちゃんの写真を直視できなくて自分の部屋に引きこもることが多くなる。


 あんなに夢見ていた退院後の生活は、お姉ちゃんがいないだけで地獄みたいだった。





「本当のことを話して」


 お姉ちゃんが亡くなった歳と同じ、生きられないと言われた十五歳の誕生日に私は両親に詰め寄った。


「私に心臓をくれたのは誰?」


「何度も言っただろう。ドナーのことは教えてもらえない決まりなんだよ。だから俺達も知らないんだ」


「これ以上、隠し事をしないで」


 なにもかも隠そうとする両親に私は我慢の限界だった。


「私はお姉ちゃんが亡くなった歳と同じ、十五歳になったんだよ。もう病弱でなにも知らない子供じゃない。自分の意思でいろんなことを学んで考えることができるの。心臓移植を受けられる確率がどれくらい低いかも知ってる。ドナーの問題や血液型とか、いろいろな条件が揃わないと難しいことだって」


「……ッ」


「直美……」


 顔面蒼白になる二人へ向けて、私は鋭い目を向けた。


「……姉妹なら適合する確率が他人よりずっと高いんでしょ? それにお姉ちゃんと私は同じ血液型だもん。お姉ちゃんが死んだ時期にこの心臓が移植された。これが偶然なわけないよね?」


 自分の胸に手を当てて、私は黙り込む両親を睨みつけた。


「私の中で動いているこの心臓は、誰のもの?」


 観念したように唸った父は、目頭を押さえて白状した。


「……優里恵のものだ。優里恵がお前にその心臓を遺してくれたんだ」


 その隣で母は鼻を啜っている。


「じゃあお姉ちゃんは、事故で脳死判定されたの?」


「…………そうだ」


「脳死は死んだわけじゃないんでしょ? 心臓は動いてる状態だって本で読んだ。お姉ちゃんはまだ生きてたのに、私のせいで殺されたの?」


「直美、頼むからそんな言い方をしないでくれ!」


「お父さんとお母さんが私を生かすためにお姉ちゃんを見捨てて、お姉ちゃんの心臓を私に移したんでしょ!」


「やめなさい!」


「二人のこと、私は絶対許さないから……!」


「父さん達だって悩んだんだ。たくさん悩んで、最後は優里恵の意思に従うことにした」


 父が見せてきた臓器提供の意思表示カードにはお姉ちゃんの字で署名がしてあった。


「……このメモが添えられていたのよ」


【直美のような病で苦しむ子供達の役に立てますように】


 母が持つメモを見て、お姉ちゃんがしてくれた約束を思い出した。


『私が絶対あなたの心臓を治してみせるから』


 カードの署名を見下ろした私は、こんな形で約束を守ってくれたお姉ちゃんのことが大好きで誇らしくて、恨めしくて憎らしかった。


「…………こんな心臓だけ残していったって、お姉ちゃんがいなきゃ意味ないじゃない……っ」






 私が医者になったのは、お姉ちゃんの夢を代わりに叶えてあげたかったからだ。


 病気で学校に通えなかった分も必死に勉強して、小児科医になり忙しく働いた。


 忙しさを理由に両親とも疎遠になり、病院で寝泊まりする日が続いたある日のことだった。


 病気を完治させて退院する患者から、お礼だと渡されたウサギのぬいぐるみ。


【くらうち先生、ありがとう!】


 ぬいぐるみが持つカードには拙い字でそう書かれていて、私は思わず笑ってしまった。


「このぬいぐるみ、お姉ちゃんが好きそうだな」


 可愛いものが好きだったお姉ちゃん。


「近所の犬が可愛いとか言って、犬を飼おうって約束したっけ。……忘れてた」


 お姉ちゃんとの思い出は薄れていくばかりで増えることはないのだと、妙に実感してしまう。


「私がいなかったら……今頃このぬいぐるみをもらっていたのはお姉ちゃんだったのかねぇ」


 独り言を呟きながら飲んだ緑茶は苦かった。


「……まずい」


 お姉ちゃんが淹れてくれた緑茶はあんなに美味しかったのに。


「お姉ちゃんに会いたいな……」


 激務の疲れもあって、私はそのままウサギのぬいぐるみを片手に寝てしまった。



 そして夢を見た。




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― 新着の感想 ―
ナオミさんは、色々とやらかしちゃいましたが。 色々とやらかした結果、お姉さんと再会できたとも言えませんか。 神は導き給うとでも言うのでしょうか。 偽の記憶を植え付けられた方々は、いい迷惑と言うものでは…
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