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35.ウサギのぬいぐるみ



「来い!」


「きゃっ!」


 乱暴にジュリエッタを牢から引きずり出したティボルトは、嫌がる彼女を無理矢理馬車に押し込んだ。


「これから王都に向かうんだ。余計な手間をかけさせるな」


 冷たく見下ろすティボルトに、両手を拘束されたジュリエッタは涙ながらに訴えた。


「王太子殿下、どうかお許しください……! 私はどうなっても構いませんから、公爵家の評判を落とすようなことだけは……っ」


「うるさい! 俺からなにもかも奪った公爵家を許すはずがないだろう? 卑しい私生児の分際で俺に指図するな!」


 暴言を返すティボルトを見かねたクラウチが、ジュリエッタを庇うように間に入る。


「まあまあ、殿下。あんまり彼女を乱暴に扱っている姿を他人に見られるのはよくないと思いますよ」


「チッ」


 舌打ちをしたティボルトはジュリエッタとクラウチの向かい側に座り、嫌悪感のこもった目でジュリエッタを見た。


「こんな混血女と王都まで共にしなきゃいけないなんて、実に不快だ」


 つい先日までジュリエッタにご執心だったくせに。


 魔力を失ったと分かった途端豹変したティボルトのあまりの変わりように、クラウチは呆れてものも言えない。


 この馬鹿げた状況にクラウチがやれやれと内心肩をすくめていることなど知らず、ティボルトは怯えるジュリエッタを勝ち誇ったように見下した。


「言っておくが、お前のような女に救いはないぞ」


 馬車が動き出すと、ジュリエッタを見つめるティボルトの執拗な視線は妙な高揚を宿していた。


「その醜い傷が晒されたら、誰もがお前から目を背け後ろ指を指すだろうな。貴族社会からは抹消されオルビアン公爵家からもペルラー伯爵家からも縁を切られるだろう」


 憂さ晴らしなのか、怯えるジュリエッタを見て楽しんでいるのか、ジュリエッタが傷ついた顔をするたびにティボルトはくつくつと笑い出す。


「まさかレアンドロが助けに来るだなんて愚かな期待を持っていたりしないよな? アイツが来るわけないだろうが。アイツも俺と同じだ! 魔力のないお前になど少しの興味もない! ゴミ同然だと思っているさ。ああ、だから浮気なんてされたのか?」


「…………!」


 ティボルトから一方的に罵倒されるジュリエッタは、噴水での出来事も相まった混乱続きの中で、傷つき続ける心がさらに抉られるようだった。


「あれがただの夢だとでも? 別の女に目を向けるのが自然だろう。アイツだって本心では卑しい私生児なんぞお断りだっただろうからな。別れられてせいせいしているだろうさ。お前は誰からも見向きもされないような女なんだ」


 ただただ自分よりも惨めな存在のジュリエッタを傷つけたいだけのティボルトは、さらに罵倒を続ける。


「お前のような無価値な女は生まれてきたのが間違いなんだよ……!」


『お前みたいな価値のない存在は、生まれてきたことが間違いなんだ!』


「………………っ!」


 その言葉を聞いた瞬間、心が限界を迎えたジュリエッタは忘れていた記憶がフラッシュバックしたように脳裏に浮かんだ。







『我が家の恥晒しが! いいか、今日は大切なお客様がいらっしゃるんだ。お前は人目のつかないところで大人しくしていろ!』


 その日幼いジュリエッタは、実父であるペルラー伯爵からキツく言い渡されていた。


 時に暴力までふるう父は肉親でありながら恐怖の対象でしかなく、逆らうことなどあり得なかった。


 屋敷の中に入ることを許されず寒空の下で客人が帰るのを待つ時間は、幼い少女にとってつらく心許ないものだった。


 唯一の慰めはジュリエッタが大事に抱えているウサギのぬいぐるみ。


 ジュリエッタの私物と言えるものは、このぬいぐるみただ一つだけだった。


 そんな中、伯爵邸の奥にある侘しい池の前でぬいぐるみを手に膝を抱えて蹲っていたジュリエッタの上から声が降ってくる。


『やっと見つけだぞ! お前が出来損ないの私生児か?』


『あ、あなたは誰?』


 驚いて見上げたジュリエッタに、幼いティボルトは自分が王太子であると自慢げに明かした。


『今日はわざわざお前を見に来てやったんだ。伯爵はお前の存在を世間から必死に隠したがっているが、僕よりずっと惨めな存在がいるなんてとても気分がいいな』


 見すぼらしい服装で体のあちこちに痣を作ったジュリエッタを、ティボルトはニヤニヤしながら見下ろしている。


『魔核保有者のリストを目にしてからずっと見てみたかった。熱の魔力なんて聞いたこともない、役立たずな魔力の無価値な卑しい私生児を』


 王太子ティボルトの魔力量が壊滅的に少ないことは、この時既に国内に広まっていた。


 魔力のことでレアンドロと比較され鬱憤を溜めてきたティボルトにとって、自分よりずっと弱く惨めなジュリエッタを追い詰めるのは快感だった。


『お前みたいな価値のない存在は、生まれてきたことが間違いなんだ!』


『…………っ!』


 父からさんざん言われてきた言葉を他人の口から言われ、ぬいぐるみを抱き抱えたジュリエッタは震える足で逃げようとする。


『どこに行く気だ? まだ話は終わっていない!』


 ジュリエッタを掴もうとしたティボルトは、ジュリエッタが避けた拍子に彼女の持つウサギのぬいぐるみを掴んで剥ぎ取っていた。


『いや! か、返してください!』


『うるさい! 私生児が!』


『お願いです、それだけは……! その子は私の希望なの!』


『あはは、こんなオモチャが? そうか! だったらこうしてやる』


『やめて……!』


 ジュリエッタの目の前でティボルトはぬいぐるみを池に投げ捨てる。


『ダメ!!!』


 躊躇なくぬいぐるみを追いかけたジュリエッタも、そのまま池に落ちた。


『た、助けて……っ!』


 足の着かない水の中でぬいぐるみを掴み寄せながら、ジュリエッタは必死に足掻く。


『くそ! なんでお前まで落ちるんだよ! お前が死んだら僕のせいにされちゃうだろ! 面倒なことすんなよ』


 声を荒げるティボルトは風の魔力を発動させるが、そよ風が起こるだけで沈んでいくジュリエッタの体を引き上げることなど到底できなかった。


『うぅ……っ』


 このまま死んでしまうんだ、とぬいぐるみを抱き寄せながら思った時だった。


 ジュリエッタの周囲の水が次々と音を立てて蒸発していく。


 熱の魔力がジュリエッタの限界を超えて発動し、池を干上がらせる勢いで放出され続けた。


 熱で蒸発した水はもくもくと立ち上がり、ティボルトのそよ風を巻き込んでぐるぐると大きな渦になっていった。


 あっという間に発達し台風となった風は周囲を圧倒し、木を薙ぎ倒してジュリエッタごと池をひっくり返す勢いだった。


『今のはいったいなんだ!? これが僕の本当の力か!? どうやってやったんだ!?」


 信じられないものを見たティボルトは、なにが起こったのか分からないながらもジュリエッタの魔力が今の現象を引き起こしたのだと察してグッタリと倒れるジュリエッタを揺さぶる。


『おい、いいか、僕がお前をもらってやる! 役立たずな魔力にこんな使い道があるなんて! これで僕は二度とバカにされない! 準備を整えて迎えに来てやるから感謝しろ!』


 偉そうに叫ぶティボルトの言葉は、魔力を使い切って意識が薄れゆくジュリエッタには届いていなかった。


 この事件がキッカケとなり、ジュリエッタは当分の間寝込んで前後の記憶を失った。


 池を干上がらせるほどの魔力を見せたジュリエッタに父が手を上げることこそなくなったが、相変わらず空気のように無視される日々は続く。


 そうしてある日、運命のようにレアンドロと出会い、己が生まれてきた意味を知ったのだ。






 当時のことを思い出したジュリエッタは、胸に広がる絶望と恐怖の中から感じたことのない怒りが湧き上がるのを感じていた。


「…………本当に私が間違っておりました」


 突然呟かれたジュリエッタの一言に、まだなにか言おうとしていたティボルトの動きが止まる。


「なんだ? なにか言ったか?」


 クラウチが横目で見守る中、ジュリエッタは間抜け顔の王太子へ真っ直ぐに夕陽色の目を向けた。


「私の夫は、初対面の私に不器用な気遣いを見せてくれた優しい人です。あなたとは違いますわ」


「……なに?」


 これまで怯えて声すら上げられなかったジュリエッタが毅然とした態度で言い返してくるのを見て困惑するティボルト。


「あの人もあなたと同じように私の魔力を必要としておりましたけれど、だからといって彼は私自身に価値がないなどと、そんなことを言うような器の小さい人間ではございません」


 自分よりも弱い存在を踏み躙ることでしか虚勢を張れない目の前の男に敬意など不要だと判断したジュリエッタは、堂々と声を上げた。


「殿下が他人から尊重されないのは、殿下が他人を尊重しないからですわ。周囲を貶める発言ばかりで、他者を敬おうとしない。その態度がなによりも殿下ご自身を卑しくしているのです」


「なっ……! 俺を愚弄するのかっ! 魔力も失くした私生児の分際で……っ! 夫に浮気されて捨てられた惨めな女のくせに!」


 顔を真っ赤にして怒りを露わにするティボルトに、ジュリエッタは首を横に振る。


「たとえ私を愛していなくとも、レアンドロは私を蔑ろにするような人では絶対にありません。いつだって私を尊重してくれた彼だからこそ、私は彼を心から愛していた。そんな彼が不貞を働くだなんてあり得ないわ。クラウチ先生のおっしゃる通り、あれは作られた夢にすぎません。…………ずっとそばで彼を見てきたはずなのに、どうして疑ってしまったのかしら」


 呪縛から逃れたように晴れ晴れとした表情のジュリエッタの目には、既に王太子など映っていなかった。


「この……卑しい混血めが! この俺をバカにするとは絶対に許さん! 王都までなど我慢できるか! 二度とその口をきけないようにしてやるっ」

 

 怒り狂ったティボルトがジュリエッタに殴りかかろうとした時だった。


 順調に走っていたはずの馬車が大きく揺れ、ピタリと止まる。


「おい、なにがあった!?」


 馬車の揺れでこけそうになったティボルトが声を荒げると、外から返ってきたのは護衛の慌てた声だった。


「馬車の車輪が急に凍りついて動かなくなりましたっ! 地面も周囲も、どんどん凍りついていきます!」


「こ、凍りついて……?」


 そんな芸当ができるのは、この国に一人しかいない。全員の脳裏にある人物の顔が浮かぶ。


 ティボルトの顔が嫌な予感で引き攣る間に馬車の外が騒がしくなり、そして……。


「ジュリエッタ!!」


 ジュリエッタが誰よりも会いたかった人が、馬車の扉を押し開けて侵入してきた。



「あなた……!」







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