32.夢の真相
ドレスや豪華な食事を与えられ至れり尽くせりだった生活が一変し、薄暗く寒い牢屋の中に押し込まれたジュリエッタはさめざめと泣いていた。
「ジュリエッタ様。寒くないですか? ブランケットをお持ちしましたよ」
そこへやってきたクラウチは檻の間からジュリエッタにブランケットを差し出す。
「…………クラウチ先生」
顔を上げたジュリエッタは手を伸ばすことなく濡れた瞳でクラウチを見上げた。
「教えてください。……どこまでが本当の話ですの?」
ジュリエッタの前にブランケットを置いたクラウチは、檻の前の椅子に腰掛けて静かに答える。
「あなたが聞いたことは全て事実です」
手のひらで涙を拭ったジュリエッタは、沈んだ表情で地面を見下ろした。
「…………先生が夢の魔力をお持ちだとおっしゃった時、考えなかったわけではありません。私が見た前世の夢が、もしかしたら先生のお力で操られたものだったのでは、と」
「……!」
クラウチはジュリエッタの言葉に少しだけ舌を巻く。
純粋でか弱いだけの存在だと思ったいたジュリエッタが、思いの外鋭い思考をしていたことが意外だったのだ。
「ですけれど、私は先生を信じていました」
再び顔を上げたジュリエッタの瞳には悲しみが浮かんでいた。
「……間違った者を信頼しましたね。私はジュリエッタ様に一緒に逃げてほしいと言われた時、あなたを言いくるめる手間が省けると内心ほくそ笑んでいたんですよ」
いつもの胡散臭い笑みを浮かべることなく、クラウチは真顔でジュリエッタにそう告げた。
「先生のおっしゃる通りですわ。私が間違っていたのです。なぜか分からないのですけれど、初めてお会いした時から先生のことは信頼できると思っていましたの。本当に愚かでしたわ」
泣き腫らした目のジュリエッタを見下ろすクラウチは、とっくに捨てたはずの良心がチクチクと痛み出すのを感じて目を逸らした。
「……先生。私は本当に〝悪妻ジュリエッタ〟ではないのですか?」
鼻をすするジュリエッタに問われたクラウチは、改めて真実を告げる。
「もちろん違いますよ。あなたは悪妻なんかじゃありません。そして公爵様は不倫なんかしていません。イレーネ嬢の手紙はタイミングよく公爵様のもとに届くよう私が仕向けたものです。公爵様があなたを疎ましく思っていたことなどただの一度もないはずです」
目を閉じて、ジュリエッタは自分の愚かな行動一つ一つを思い返した。
「では……先生のところに行くよう助言してくれたメアリーも、先生の差し金でしたの?」
「私というより、彼女は王太子殿下の手先で私とは協力関係にあったという感じですね。メアリーが私の魔力石をジュリエッタ様の私物に紛れ込ませ、魔力石を通して私はあなたの夢に介入したんです」
ここまでくれば隠す必要もないと、クラウチは正直に全てを語った。
「……確かにあの夢を見た日、たまたまユナが不在でメアリーが私の世話をしてくれたのでしたわ。……関係ない人々に前世の夢を植え付けたというのも本当ですの?」
大きく頷いたクラウチは悪びれもせずに淡々と自分のしたことを告白する。
「あなたを信じ込ませるためにやったことです。夢の精度を上げる意味合いもありました。人体実験のようなものですね。新聞記事を見て、あなたは夢の内容がただの夢ではないと思わざるを得なかったでしょう。違いますか?」
「左様ですわ。あの新聞記事を読んで私は…………。最初から、全て仕組まれていたことだったのですわね」
いつも温かく輝いていた瞳を翳らせて、ジュリエッタは途方に暮れたように呟いた。
自分が愚かにも騙されてしまったせいで、いったいどれだけの人に迷惑をかけてしまったのだろうか。
巻き込まれて前世の夢を植え付けられた人々は自分と同じように苦悩したはず。
カルメラやユナにまで多大な迷惑をかけてこんな騒動を起こしてしまったことも申し訳なくて仕方ない。
なによりも、愛する夫のことを疑っていた自分が信じられなかった。
「………………先生はどうしてこんなことをなさったのですか?」
今さら聞いても無駄だと分かりながら、聞かずにはいられない。
どうせなにも答えてくれないのだろうと思っていたジュリエッタだが、意外にもクラウチは素直に口を開いた。
「私にはどうしても助けたい人がいるんです。その人を救うためなら、悪魔にだっていくらでも魂を売りますよ」
「助けたい人?」
自分の胸に手を当てたクラウチは、目を伏せてジュリエッタの疑問に答える。
「……この心臓を私にくれた人です」
「ッ!? まさか、先生のその心臓は……」
息を呑むジュリエッタに、クラウチは頷いてみせた。
「これは移植された心臓です」
信じられないものを見るようなジュリエッタへと、クラウチは言葉を続ける。
「あなたが見た前世の世界は、ただの空想の世界ではありません。私がもともと暮らしていた世界で、確かに実在している異世界なのです」
「……先生が転移者というお話だけは真実だったということですか?」
「はい。私は幼い頃心臓が悪く、十五歳まで生きられないと言われていました。それが……心臓の移植手術を受けて新しい未来を与えられたのです。心臓が移植されるということは、私にこの心臓をくれた人は死んでしまったということを意味します」
「あ……」
植え付けられた記憶の中の知識ではあるものの、ジュリエッタはクラウチの言葉を正しく理解して口を押さえた。
「ある日偶然私は、その人がこの世界の貴族として転生していたことを知りました」
言葉を失うジュリエッタに向かって、クラウチは懺悔するように話を続ける。
「彼女は泣いて助けを求めていた。人目につかないよう隠されて育ち、ひどい虐待を受けて悲惨な生活を送っていました。つらい境遇にあるその人を一刻も早く助け出したくて、私はこの世界に来たんです」
「異世界に来るなんて……そんなことが本当に可能なのですか?」
驚きを隠せないジュリエッタが問うと、クラウチは肩をすくめた。
「自分でも無茶をした自覚はあります。……この世界に来て、その人を捜すのは簡単ではありませんでした。彼女は世間から隠されているようで……。だからなんとしても王室が保管している、魔核を持つ者のリストが欲しかった。そこで王太子に取引を提案し、あなたを差し出す代わりに報酬としてリストをもらう約束をしたのです」
全てを話したクラウチは、改めて薄暗い牢の中に閉じ込められているジュリエッタを見下ろした。
「ジュリエッタ様には悪いことをしたと思っていますが、後悔はしていません。私は私の目的を必ず果たしますよ。誰にどんな犠牲を強ようとも構うものですか。……いつか私がその報いを受けることになろうともね」
いつもの胡散臭い笑みを浮かべたクラウチを見たジュリエッタは、軽薄なその笑顔の裏に隠された彼女の意志が鋼のように硬いことを知る。
しかし、それでも諦めるわけにはいかなかった。
「先生、どうかお願いします。私はこれ以上、レアンドロの足を引っ張りたくないのです。助けていただけないのなら、せめて私を殺していただけませんか?」
ジュリエッタのこの発言に、さすがのクラウチもギョッとした。
「なんてことを言い出すんですかねぇ、この人は」
呆れるクラウチを前に、ジュリエッタは本気だった。
「王太子殿下の策略通り、この傷が晒されて私の身に起きたことが歪曲して伝えられたら……オルビアン公爵家は多大な非難を浴びることになります。私がなにを証言しようと聞く耳を持つ人はいないでしょう。だから私がここで死ねば……」
「そうしたら今度は公爵様があなたを捨てた上に殺したのだと、王太子殿下は吹聴して回りますよ」
ジュリエッタの考えを一刀両断したクラウチは、どうにも自己犠牲を惜しまない彼女が誰かと重なってしまって頭を掻く。
「…………オルビアン公爵様は今もあなたを必死に捜しています」
「え…………?」
「公爵家の騎士を総動員してあなたを捜索させています。まともな睡眠も取らずあちこちを駆けずり回っているようですし、よっぽどあなたのことが大事なんでしょうね」
「そんな、でも……」
ジュリエッタは困惑した。
「彼が必要としていたのは私の魔力で、魔力のない私はもう役立たずですわ。公爵家をかき乱してしまった私のことなど、わざわざ捜す必要もないでしょうに……」
本気で言っているらしいジュリエッタに、クラウチは呆れ返るばかりだ。
「…………根深いですねぇ」
どうしたものか、とクラウチは頭を悩ませる。
夢の中でジュリエッタの深層心理を見たことのあるクラウチは知っていた。
ずっと昔からジュリエッタの中に根を張っていた恐怖。
レアンドロやオルビアン公爵家の人間達が必要としているのは、ジュリエッタが持つ熱の魔力だけなのではないか、という思想。
普段は心の奥底に隠し込んでいるその恐怖を知っていたからこそ、クラウチは『熱の魔力を利用してレアンドロを意のままに操ろうとする〝悪妻ジュリエッタ〟』の物語を創作したのだ。
ジュリエッタの自己評価が低いのも、この思いが根底にあるからだ。
もともとジュリエッタのことなどどうなろうと知ったことではないはずだった。
にもかかわらずどうにかしてやりたいとあれこれ無駄な世話を焼いてしまうのも、こうして話さなくていいことまで話してしまったのも。
無自覚に自らを傷つけ続ける彼女を止めてやりたいと思うのも……。
全てはジュリエッタがクラウチの大切な人に似ているせいだ。
「公爵様が離婚届をずっと出していないのは、罪悪感からではないはずですよ。単純にあなたと離婚したくないだけでしょう」
「…………え?」
クラウチの言葉をよく分かっていないジュリエッタに向けて、クラウチはいつもの笑みとは違う微笑を向けた。
「一度だけ機会を差し上げます」
(……公爵様と会う機会を作ると約束してしまったのは私ですからね)
「先生……?」
どういうことかと不思議そうなジュリエッタに背を向けて、クラウチは歩き出した。
「約束は約束。ちゃんと守りますよ」
その日、ジュリエッタや王太子に関する資料と魔力石を前に、数日ぶりに仮眠をとっていたレアンドロは夢を見た。
レアンドロが求めてやまない愛する妻ジュリエッタが、牢に閉じ込められて泣いている。
『ジュリエッタ……ッ!』
駆け寄って声をかけるも、夢の中のジュリエッタはレアンドロに気づかない。
氷の魔力で檻を壊そうとしてみても、夢の中の檻はびくともしなかった。
泣き続けるジュリエッタに切なく呼びかけるレアンドロへ影が近づいてくる。
『こうしてお話しするのは初めてですね、オルビアン公爵様』
声のほうをチラリと見たレアンドロはすぐに分かった。
長い白衣と短髪の風変わりな風貌に、眼鏡と黒い瞳。資料で嫌というほど確認したその姿。
『お前は……ナオミ・クラウチだな?』
合点がいったレアンドロは、泣き続けるジュリエッタに再び目を向けた。
『これはお前が見せている夢か?』




