27.法
北部の名家メトリル伯爵家の令嬢を巻き込んでしまった騒動は収拾がつかなくなり、強制的にユナを黙らせたカルメラはことの顛末をイレーネに説明した。
「……つまり、ジュリエッタはあなたとレアンドロの仲を誤解して自分から身を引き家を出て行ってしまったの」
レアンドロの妻であるジュリエッタが不在なことは知っていたが、その背景に隠されていた驚愕の事実にイレーネは困惑するばかりだった。
「ジュリエッタ様はどうしてそのようなおぞましい勘違いをされてしまったのですか!?」
レアンドロとの不倫を『おぞましい』とまで表現するイレーネには本当にレアンドロへの気持ちがないのだと改めて分かり、カルメラは嘆息するばかりだ。
「私もなにがなんだか分からないのよ……」
「とても迷惑ですわ! 私には既に心に決めた人がおりましてよ! 公爵様のような根暗で面白みもない朴念仁は死んでもお断りですわ!」
憤慨するイレーネは鼻息荒くレアンドロを酷評する。
ジュリエッタ一筋のレアンドロはイレーネになにを言われようとも気にならないが、願い下げなのはこっちだと口を突いて出そうになる言葉はなんとか呑み込んだ。
「本当に申し訳ないわ。ユナの無礼も、ジュリエッタを慕うあまりの暴挙なの。どうか許してやってちょうだい」
「……まあ、事情が事情ですからね……。慕っていた女主人が家を出て、その元凶となった愛人が屋敷に入り浸っていたら……、確かに先ほどのメイドの態度も頷けますわ」
理解を示してくれたイレーネにホッとしたカルメラは次に呆気に取られるユナへ目を向けた。
「というわけだから、ユナ。全ては誤解だったのよ。レアンドロは相変わらずジュリエッタのことしか頭にないし、不倫だなんて馬鹿なことはしていなかったの。根暗で面白みもない朴念仁だけれどジュリエッタに対する想いだけは本物なのよ」
一言余計じゃないかと思うレアンドロだが、ここで口を挟むような無粋なことはしなかった。
「……そ、そんな。じゃあ奥様は、どうしてっ」
ふらつくユナはモランに支えられてソファに座り込む。
目の前の世界が根底からひっくり返ったようなその気持ちがよく分かるカルメラは、ユナを労ってやるようモランに目配せして再びイレーネに向き直った。
「イレーネ嬢も巻き込んでしまって本当にごめんなさいね。お詫びと言ってはなんだけれど、あなたが推し進めている氷狐の保護活動、私も賛同させていただきますわ」
「ほ、本当ですの? 社交界の重鎮でいらっしゃる先代オルビアン公爵夫人に賛同していただけましたら、今後の活動も幅が広がりますわ!」
嬉しそうなイレーネはカルメラの手を取ると笑顔で握手を交わした。
これでメトリル伯爵家との関係に亀裂が入る事態は回避できたとカルメラは胸を撫で下ろす。
「あ、ひとつだけ」
和やかな握手の途中で声を上げるイレーネ。
「二度と誤解がないように言っておきますが、私は公爵様にほんの小指の爪の先の先の先ほどの興味もございませんからご安心を! なぜなら私はこのルカを婿にするつもりだからです!」
宣言したイレーネは、隣にいたルカの背中をバシバシと叩いた。
「あらま……!」
目を丸くするカルメラの前で、バシバシと叩かれ続けるルカは重いため息を吐いた。
「お嬢様……。何度も申し上げておりますが、魔力を持たぬ平民の僕がお嬢様と結婚することは不可能です」
やれやれと首を振るルカの様子から察するに、二人のこの会話は日常茶飯事のようだった。
むくれたイレーネが唇を尖らせる。
「魔力がなんだというの! 魔力を持つ貴族同士でしか婚姻できないだなんて古臭い法は撤廃されるべきだわ!」
お喋りなイレーネは聞き入れる気のないルカに向かって怒りをぶつけるように言葉を続けた。
「なにが魔力保有者である貴族の血筋を保護するための法よ! そもそも貴族の魔力なんて世代を重ねるごとに弱まっているじゃない。今の王家を見てごらんなさい。魔力保有者の純血中の純血であるはずの王太子殿下ときたら、微弱な魔力しか持っていないともっぱらの噂よ。持ってるのは平凡な風の魔力なうえに、そよ風を起こすのがやっとというじゃないの」
「お嬢様、その話はタブーですよ……っ」
同世代のレアンドロが突出した魔力を持つ一方で、次期国王である王太子の魔力量が乏しいことは有名な話だが、王家を憚って人前でこの話題を口にする者は少ない。
口や顔にこそ出していないが、そのことで王太子がレアンドロを敵視しているのではという通説もまた広く出回っている。
それをオルビアン公爵家の面々がいる前で堂々と口にするイレーネにルカは冷や汗を垂らした。
「ふん。王家が自分達の都合のいいように馬鹿げた法を行使し続けるからバチが当たったんだわ。魔核を持って生まれた子どもを調べ上げて魔力保有者のリストまで作っているっていうじゃない。そうまでして自分達が特別な存在であると誇示したいのだろうけれど、王太子をはじめ貴族の全体的な魔力量が弱まってきている今、魔力保有者が特別だなんて未来はなくなっていくのよ」
貴族令嬢とは思えぬ持論を展開するイレーネに、カルメラは開いた口が塞がらなかった。
魔力を持つ貴族が特別であるという概念が根深い貴族社会を生き抜いてきたカルメラにとって、イレーネの言葉は衝撃だった。
「本人と家が認めているなら魔力を持っていない者との婚姻だって認められるべきだわ! 私は私の活動を誰よりも理解してくれるあなたを一生そばに置いてこき使うって決めてるんだから!」
「お嬢様……」
言い方は散々ではあるものの、イレーネの言葉には熱が込もっていた。
一生懸命で熱いイレーネの志に妙な感動を覚えたカルメラは気づけばイレーネの手を取っていた。
「あの、イレーネ嬢。……よく分からないのだけれど、あなたの熱意だけは伝わってきたわ。私はあなた達のこと応援していますよ」
「カルメラ様! ありがとうございます!」
二人が熱く抱擁を交わす一方、当事者のルカはなんとも複雑な顔をしている。
その顔を見たイレーネはいつもの調子で声を荒げた。
「もう、ルカったらなんて顔をしているのよ! せっかくクラウチ先生が繋いでくださったオルビアン公爵家との絆なんだから素直に喜ぶべきでしょ!」
しかし、その言葉に反応したのはこれまで一言も口を挟まず成り行きを見ていたレアンドロだった。
「ちょっと待て。クラウチだと?」
顔を歪めたレアンドロの存在にやっと気づいたイレーネが首を傾げる。
「あら、先生をご存じですの? 氷狐を診察して私にオルビアン公爵様にご助力を乞うようアドバイスしてくださったのはクラウチ先生ですの。人間専門のお医者様ですのに、困っている私に手を差し伸べて氷狐を診てくださったのですわ。獣医でさえ氷狐のことはお手上げだというのに、とても腕の立つ素晴らしいお医者様ですわよね」
なんの曇りもなくクラウチを称賛するイレーネに、レアンドロは拳を震わせる。
「………………っ! いったいあの医者はどこまで計算していたんだっ!?」
苦々しく吐き捨てるレアンドロを見たイレーネは目を瞬かせた。
「あら、どうかなさいまして?」
不思議そうなイレーネへとレアンドロはぶっきらぼうに答えた。
「…………ジュリエッタを連れて逃げたのはあの医者だ」
再びイレーネの目が丸くなる。
「え? 先生が? ……あれだけ親身になってくださる先生ですもの、誤解して傷つかれたジュリエッタ様にも手を貸していらっしゃるのでしょうかしらね」
これまでの経緯をイレーネに説明している暇はないレアンドロは、イレーネの言葉を取り合うこともなく背を向けた。
「…………俺はジュリエッタの捜索に戻る。モラン、話があるから来てくれ」
「え? あ、はい。旦那様」
ユナの介抱をしていたモランは他の使用人にユナを任せ、カルメラとイレーネに一礼してレアンドロのあとを追った。
「旦那様、お話というのは……?」
執務室までレアンドロを追いかけてきたモランが声をかけると、難しい顔をしたレアンドロが重々しく口を開く。
「イレーネ嬢の話を聞いていて思ったのだが。俺に魔核を移植したジュリエッタには今、魔力がないだろう? もしジュリエッタに魔力がないことが王家に知られたらどうなる?」
レアンドロの問いにモランはハッとして眉を寄せた。
「それは……。これまで魔力保有者が後天的に魔力を失ったという事例はありませんでしたが、貴族が魔力を持たない者と婚姻することはできないというのが我が国の法。最悪の場合……旦那様と奥様の婚姻が無効になる可能性もございます」
「婚姻が無効になるだと? イレーネ嬢のいう通り、なんて馬鹿げた法なんだ。離婚届さえ出さなければ問題ないと思っていたのに。…………それだけは絶対に阻止しなければ。王家に知られる前に、なんとしてもジュリエッタを見つけるぞ」
「はっ」
胸にあるジュリエッタの魔核に手を当てたレアンドロは、寝る間を惜しんでジュリエッタを捜し続けた。