23.駆ける
こうなれば自棄だと、レアンドロはモランに命じて金庫から書きかけの手紙を持って来させ震える手で母に差し出した。
【愛する君へ】で始まるその手紙を読んだカルメラは、熱烈な愛の言葉のオンパレードを流し読みしてすぐに目を逸らした。
とてもではないが、成人した息子の激重ラブレターを読むのはかなりの精神的苦痛を伴う苦行だ。
薄目で流し読みしただけでもジュリエッタ宛だとよく分かる内容だが、当のジュリエッタには誰宛か分からなかったのだろう。
それもそのはず、ジュリエッタはレアンドロへ長年手紙を書き続けていたが、十年間一度も返事をもらえていなかった。
まさかこの手紙が自分宛などと、夢にも思いはしなかったに違いない。
そこへ運悪く別の令嬢の手紙が近くにあったら……。
「……手紙の返事を書くのに十年も……。情けなくて涙が出そう……」
頭を抱えたカルメラは、半分も目を通さなかった手紙をそっとレアンドロに返して見なかったことにすると、仕切り直すように背筋を伸ばした。
「お前の気持ちは分かりました。つまり全ては誤解だったということね。でも、なぜイレーネ嬢を屋敷に出入りさせているの?」
「それは……氷狐を譲り受けるためです」
「氷狐? 北部に棲息するあの銀狐のこと?」
首を傾げた母に、レアンドロは羞恥を押し殺して説明した。
「はい。氷狐の姿絵を見たところ、ジュリエッタが好きそうな見た目だったので……。ジュリエッタが帰ってきた時に贈れば喜ぶかと……。どうしてもジュリエッタの喜ぶ顔が見たくて……」
「はあ……」
目頭を押さえたカルメラは、心底疲れ果てていた。
レアンドロもレアンドロだが、ジュリエッタもジュリエッタだ。
ここまでジュリエッタのことしか頭にない男のどこに、浮気する要素があるというのか。
口を開けばジュリエッタジュリエッタジュリエッタジュリエッタと。
思えば昔からそうだった。
もともと口数の少ない子だったが、ジュリエッタの話題に関してはいつも饒舌だった。
やはりジュリエッタ一筋のレアンドロが不貞など働くはずなかったのだ。
「……それなのにどうして私もジュリエッタも、使用人達までレアンドロを疑ってしまったのかしら。判断力が鈍っていたとしか思えないわ」
これではジュリエッタは、あれほどつらい思いをしてまで魔力を失い損ではないか。
沈痛な面持ちのカルメラが言葉を探していると、二人の会話を聞いていたモランが青い顔で膝を突いた。
「申し訳ございません。全て私の責任ですっ」
「モラン?」
「突然どうしたの?」
深く頭を下げる執事に驚くレアンドロとカルメラ。
「実は……旦那様が南部へ遠征に行かれた際、様子のおかしい奥様に旦那様の想いを少しでも分かっていただこうと思いそのお手紙を見える位置に置いたのは私なのです……!」
懺悔するモランは震えていた。
「なっ、なんて余計なことを……!」
顔を真っ赤にして怒るレアンドロだが、すかさずカルメラが鋭い声を上げる。
「そもそもあなたが十年も手紙の返事を出さないのが悪いのじゃないのっ!」
「うっ……」
言い返せないレアンドロが気まずそうに目を逸らすとカルメラは大きなため息を吐いた。
「我が息子ながらなんて情けない……」
頭を抱える母に、レアンドロはおずおずと問いかける。
「母上……、これで俺の潔白を信じてもらえましたか?」
「ちょっと待ってちょうだい。私も混乱しているのよ。……ああ、なんてことなの」
ズキズキと痛む頭を押さえたカルメラは状況を改めて整理するためジュリエッタや自分の行動を一つずつ思い返していた。
突然のジュリエッタからの離婚宣言、レアンドロの不貞話、魔核を移植するあり得ない手術に怪しい医者……。
「……そうよ。思えば私はジュリエッタの計画に反対するつもりだった。移植手術だなんて……あんな恐ろしいこと、絶対に許可するつもりはなかったのに。あの医者の話を聞いているうちに気づいたら賛同してしまって……。とにかくジュリエッタの望む通りにしてあげなきゃと思い込んでいたわ」
ジュリエッタが連れてきたクラウチとの会話を思い出しながら、カルメラは徐々に違和感を覚えた。
「あなたの不貞だって、よくよく考えれば分かる話よ。昔から感情表現が下手だけれどあなたがバカみたいにジュリエッタ一筋なことは屋敷中の人間が知っているのに。仮に浮気を疑ったとしても、真っ先にあなたに問いただすべきだったというのにどうして私は……」
振り返ってみれば何もかもがおかしいと分かるのに、そう気づくまで自分の思考や行動を少しも疑わなかったカルメラは、この状況が何かに似ていると気づく。
「……まるで夢から醒めた時みたいだわ」
母の言葉を聞いたレアンドロはハッとして口を開いた。
「母上。実は……屋敷内から出所不明の魔力石が見つかったのです」
「魔力石が?」
驚くカルメラに頷いたレアンドロは、モランに目配せをして先日見つけた魔力石を持って来させた。
色とりどりの魔力石が怪しく暗い光を放ってカルメラの前に差し出される。
「ジュリエッタのドレスルームに紛れ込んでいました。この中に込められた魔力についてはまだ調査中ですが、ジュリエッタの態度がある日突然おかしくなったのも、もしかしたらこの魔力石が関係しているかもしれません。母上や使用人達にも影響を与えていた可能性があります」
「いったい誰がそんなことを……」
驚愕するカルメラは怯えたような目で魔力石を見下ろした。
レアンドロが目配せをすると、モランが頭を下げて口を開く。
「旦那様のご命令で調べたところ、メアリーというメイドが短期間で暇乞いをし田舎に戻っていました。ちょうど奥様が家を出られた直後のことです。奥様にかかりきりになっていたユナに代わり、ドレスルームにも出入りしていたメイドです」
「メアリー……まだ新人だったメイドよね? ユナが珍しく仕事ができると褒めていたわ」
記憶を辿り呆然と呟くカルメラに頷いたモランは、重苦しい空気の中で言葉を続けた。
「奥様がDr.クラウチに会いに行かれたのは、そのメイドの助言があったからだと二人の会話を聞いていた別のメイドが証言しています」
「…………ジュリエッタや母上を言葉巧みに誘導した怪しい医者、その医者に会いに行くようジュリエッタを唆したメイド、ジュリエッタのドレスルームに仕組まれた魔力石……。これらが偶然であるはずがない」
顎に手を当てたレアンドロの言葉の先を察し、モランは大きく頷いた。
「メアリーとDr.クラウチが繋がっていて、オルビアン公爵家を陥れるために奥様をなんらかの方法で利用した可能性が高いかと……」
ドサリ、とカルメラがソファに座り込む。
「我が家になにが起こっているの……」
震える母を支えながら、レアンドロはギリリと奥歯を噛み締めた。
「ジュリエッタを利用するなんて絶対に許せない。あの医者の経歴は?」
「王都に現れて半年ほど、ということしか。その前の経歴が一切不明です」
「メアリーの行方は? そもそもどこからの紹介でうちに来たんだ?」
「行方は捜索中です。雇用時はコルマン男爵家からの紹介状を持参していました」
「行方が分かったらすぐに知らせてくれ。それと、コルマン男爵にも話を聞きたい」
「すぐに手配いたします」
矢継ぎ早に交わされる息子と執事の会話を聞きながら疲れ果てて頭痛しかしないカルメラは、メモになにかを走り書きした。
「……レアンドロ、これを」
「これは?」
受け取ったメモを見たレアンドロは、住所らしき番号に首を傾げる。
「その屋敷にジュリエッタがいます。今後のことを考えて他の場所に移すつもりだったけれど、今ならまだそこにいるはず。早く迎えに行って、誤解を解いてあげなさい」
「母上……!」
レアンドロは思わず感激して顔を上げ、母を見た。
苦笑を漏らすカルメラは、息子の背中を押すように言葉を付け加える。
「私は疲れたわ。ジュリエッタとゆっくりお茶がしたいから、すぐにでも連れ帰ってきてちょうだいね」
「はい。今すぐ行ってまいります」
やっとジュリエッタに会える。
逸る気持ちを抑えることなどできるはずもなく、レアンドロはすぐさま馬を駆って最愛のジュリエッタがいるという郊外の屋敷へ向かった。