20.露見
宣言通り、イレーネは自らが主導する氷狐の保護と普及活動のため、公爵家に通うようになっていた。
その目的は他でもない、レアンドロの氷の魔力だ。
「試しに以前いただいた公爵様の魔力でできた氷を北部に送りましたの。そうしましたら、弱っていた氷狐の個体がみるみる回復したと報告がきたのですわ! どうやら氷狐には、自然にできた氷よりも魔力でできた氷の方が体に合うようなのです!」
「これは大発見ですね、お嬢様!」
ウキウキと話すイレーネとその従者ルカ。
二人とは対照的に、レアンドロは据わった目で黙々と書類仕事をしている。
「というわけですから、公爵様にはもっともっとその魔力で氷を量産いただきたいのですわ! 本当でしたら今すぐにでも北部の保護施設に来てほしいところですけれど、それが難しいとおっしゃるのならば魔力石だけでもご用意いただけませんこと? あ、そうとなれば魔力を込めるための頑丈な石を用意しなければなりませんわね! いち早く北部に送る運送方法も考えませんと! ああ、忙しくなるわね、ルカ!」
「はい、お嬢様!」
レアンドロの返事など聞く気がないのか、相変わらず息ピッタリな従者と勝手に話を進めるイレーネにレアンドロは頭を抱える。
「おい、モラン。あのうるさい令嬢と従者を黙らせろ。それか、とっととつまみ出せ」
冷たい主人の言葉に、モランは小声で答えた。
「出入りを許可されたのは公爵様ではありませんか。協力するとおっしゃった以上、相応の扱いをされませんと」
「これ以上あのうるさい声に耐え続けろと言うのか?」
眉間に皺を寄せたレアンドロは、ハイテンションで従者と喋り続ける奇特な令嬢を見た。
よくもまあ、氷狐氷狐氷狐氷狐と。口を開けば氷狐の話しかしないイレーネに嫌気がさすレアンドロ。
そんな主人を見かねたモランは、とっておきの切り札を出した。
「イレーネ嬢に協力するのは奥様のためだとおっしゃっていたではありませんか。本当に追い出してよろしいのですか? 奥様への誠意を見せるのでは?」
「………………」
ピクリと反応したレアンドロは動きを止めた。
そう。なにもかも、ジュリエッタの喜ぶ顔を見るためだ。
レアンドロの協力で一定の成果が出れば、北部の氷狐を一匹譲ってもらえる。
寒さを好む氷狐に合わせて王都にある公爵邸に送られてくるのは真冬の予定だが、氷狐が公爵家にくる頃にはジュリエッタもきっと帰ってきているはず。
いや、必ずそれまでにジュリエッタを連れ戻すとレアンドロは心に決めていた。
「仕方ない。あの女は好きにさせといていいから、耳栓を持ってきてくれ」
主人の言葉を聞いてすぐにポケットから耳栓を取り出したモランの片耳には、同じ耳栓があった。
モランもまた、顔には出さずともイレーネの甲高い声で繰り広げられるマシンガントークには辟易していたのだ。
無言でそれを受け取ったレアンドロは両耳にしっかりと耳栓を入れた。
「はあ……。それにしても公爵様は本当にお忙しいのですわね。ここに来てもずっと怖い顔をして書類と睨めっこで。話しかけたってまったく返事も返ってこないし」
喋りたいだけ氷狐のことを喋り尽くしたイレーネは、黙々と書類を処理するレアンドロを見てため息を吐いた。
しかし、レアンドロの姿を見ているうちにあることを思いつく。
「あ! そうだわ!」
立ち上がったイレーネは、レアンドロの机の前にくるとバンっと両手で机を叩いた。
睨みを効かせたレアンドロが耳栓を取りイレーネを見上げる。
「なんだ」
短く冷たいレアンドロの問いに、イレーネは満面の笑みを見せた。
「公爵様の奥様はどちらにいらっしゃいますの? 私としたことが、ご挨拶もまだでしたわ! 動物がお好きとのことですから、奥様とはきっと話が合うと思うのです! ぜひ会わせていただきたいですわ!」
「…………ッ」
奥歯を噛み締めたレアンドロはなにも言えずに黙り込む。
気にした様子もないイレーネは従者のルカに目を向けた。
それだけでイレーネの意図を察知したルカは鞄からなにかを取り出す。
「ちょうど氷狐グッズの試作品を持ってまいりましたし、奥様への手土産としては上出来ですわね。氷狐の描かれたティーカップですのよ。これを奥様にお贈りして親交を深めてまいりますわ。いずれ氷狐を飼育されるのであれば詳しい飼育法をお教えせねばなりませんし、それから今後のオルビアン公爵家とメトリル伯爵家の良好な関係のために……」
話し続けるイレーネの隣でルカが掲げるカップには可愛らしい氷狐の絵が描かれていて、確かにジュリエッタが好みそうな品物だ。
カップを暗い目で見つめるレアンドロは、氷のような声で呟いた。
「妻は……ここにはいない」
「あら。なぜですの? お出かけ中なのですか? でしたら私も王都の見物がてら奥様を捜しに……」
「しばらく療養中で王都を離れている」
折れそうなほどペンを握り締めたレアンドロから飛び出した言葉に、イレーネは手で口を覆う。
「まあ! どこか体調がお悪いのですか? それは心配ですわね……」
流石のイレーネも声を潜めて眉を下げた。
「…………」
ジュリエッタの姿を思い浮かべて胸を痛めたレアンドロは、返事もせずに黙り込んで組んだ手に額を乗せ項垂れる。
その姿を見たイレーネは隙のなさそうな公爵の弱った姿に驚いていた。
(公爵様ったら本当に奥様が大好きなのねぇ……冷徹そうなのに愛妻家なんて意外だわ。人は見かけによらないのね)
イレーネは初めてレアンドロが人間に見えた気がした。しかし、そんなことを声に出して言うほど無神経ではない。
「………………」
「………………」
結局は二人とも黙り込み、妙な間ができてしまった。
(ヤダわこの空気……。どうやら公爵様の地雷を踏み抜いてしまったみたい。ルカ、なんとかしてちょうだい)
(無理です、お嬢様)
目と目で会話するイレーネとルカのことなど見えていないのか、レアンドロはジュリエッタに思いを馳せたまま何も言わなくなってしまった。
レアンドロとイレーネの間に漂う沈黙はとても気まずく居心地の悪いものであったのだが、ある人物の目にはこの雰囲気が違って見えたようだ。
「報告を聞いてまさかとは思ったけれど……。真摯に仕事に向き合って少しは誠実な姿を見せているかと思えば、ジュリエッタがいなくなった途端に他の女を連れ込むだなんて」
ドアの隙間からレアンドロとイレーネを見ていた母カルメラには、向かい合う二人の沈黙が恥じらい合っているように見えたのだ。
持っていた扇子を折る勢いで身を震わせる。
「口ではジュリエッタに会わせてくれとあんなに懇願していたくせに……。危うく騙されるところだったわ」
呟いたカルメラの瞳は怒りに燃えていた。
「二度と会うことがないようレアンドロの手が届かないところへジュリエッタを遠ざけないと」
一方その頃、クラウチは受け取ったばかりの手紙に目を通していた。
【クラウチ先生からいただいたアドバイスの通り、あの堅物なオルビアン公爵様のご助力を得ることができました!】
文字まで踊るような明るい文面と、便箋にあしらわれた氷狐の絵。
【これで氷狐の保護活動も軌道に乗りそうです! 弱っていた氷狐達も、公爵様の魔力でできた氷のおかげで回復いたしましたわ!】
手紙でも充分に伝わる喋りの圧と氷狐への愛情。
【氷狐を診ていただいただけでなく、的確なアドバイスまでしていただき先生には感謝しております! 本当にありがとうございました!】
イレーネの手紙を読み終えたクラウチは、手紙を折りたたみながら眼鏡の奥の瞳をスッと細めた。
「この人もブレないねぇ。まあ、扱いやすいからいいけれど」
氷狐のためならどんなことも厭わないイレーネに、レアンドロへ助力を乞うよう唆したのは他でもないクラウチだ。
タイミングよく手紙を送るよう仕向けたのも、頃合いを見て公爵邸を訪れるよう指示したのも、全てはクラウチが仕組んだことだった。
計画が順調に進んでいることに満足しつつ、窓の外に目を向ける。
「イレーネが突撃したということは、そろそろ動きがあるはず。この屋敷を出るタイミングでジュリエッタ様を丸め込むことができれば……」
トントンと机を叩いたクラウチは悪巧みをするような胡散臭い笑みを浮かべた。
そして部屋の片隅に追いやっていた水晶玉を手に取ると、途端に緑色の光を宿した玉から声が上がる。
『貴様……! 連絡が遅いではないかっ! いつになったらジュリエッタを連れてくるんだっ!?』
「そう慌てないでください、王太子殿下。もうすぐお連れできそうですよ。今はタイミングを見計らっていますので、いつでも出立できるようこの屋敷の近くに迎えを待機させておいてください」
『お前に言われずとも……っ!』
返事の途中で強制的に水晶玉を切ったクラウチは、大きく息を吐きながらソファにもたれた。
「やっとここまできたな。……あと少しだ」
そうして目を閉じ、自分の胸に手を当てる。
「もうすぐ行くから待っててね、お姉ちゃん」