19.魔力石
その夜、レアンドロはジュリエッタの部屋に引きこもっていた。
連日連夜仕事漬けの中で訪れた妻の部屋は相変わらず静まり返っている。
「ジュリエッタ。君の好きそうな愛らしい生き物を見つけた。君のために北部から一匹譲り受けるつもりだ」
まるで今にもジュリエッタが帰ってきそうな室内にジュリエッタの肖像画を持ち込んだレアンドロは、絵の中で微笑む妻に向けて話しかけていた。
「見たらきっと喜ぶだろう。すぐにでも見せたいくらいだというのに、君は今どこでなにをしているのだろうか……」
しかし、切ない瞳で問いかけるレアンドロに応える声はない。
「体調を崩したりはしていないだろうか。魔力を失くしたことで、不都合なことが起こっていたりはしないだろうか。困りごとや、理不尽な思いはしていないだろうか」
尋ねても尋ねても返答のない現実に、レアンドロは声を震わせた。
「……君のためならなんでもする。だからどうか、戻ってきてくれ。……君に会いたいんだ」
レアンドロの指先が絵の中のジュリエッタに触れる。
愛する妻の輪郭をなぞったレアンドロの指は自然とジュリエッタの手にたどり着いた。
「懐かしいな……」
そこにあったものを見て、レアンドロは目を細める。
レアンドロが持ち込んだ肖像画はジュリエッタが成人を迎えた時のものだ。
成人前に結婚したレアンドロとジュリエッタは、互いに成人を迎えた際に贈り物を交換し合った。
肖像画の中に描かれたジュリエッタが身につけている指輪は、その時レアンドロが贈ったものだった。
『あなた、素敵な贈り物をありがとうございます。一生大切にしますね』
当時のジュリエッタの声も笑顔も、昨日のことのように鮮明にレアンドロの心に残っているというのに……。
ジュリエッタのことを想うと胸が締めつけられるレアンドロは、ふと思い立ち部屋の奥にあるドレスルームを開けた。
あふれ返る宝飾品の中から迷うことなく肖像画に描かれたのと同じ指輪を探し出して手に取る。
「………本当に全部、置いていってしまったんだな」
一生大切にする、と言ってくれた指輪でさえこうして置いていってしまったのだ。
指輪と一緒に自分自身も捨て置かれた気がして、レアンドロの心は再び傷ついた。
レアンドロの心境に呼応するかのように体が凍っていくが、冷たい氷はすぐに熱で溶けて蒸発してしまう。
自分の体の中から湧き上がる温かなジュリエッタの魔力が、レアンドロは愛おしくも恨めしくてどうにかなりそうだった。
ジュリエッタの痕跡が残る場所で彼女のために贈ったドレスや宝石に囲まれながら途方に暮れる。
「………………ん?」
その時。レアンドロの視界に不可思議なものが映り込んだ。
「これはなんだ?」
たくさんある宝飾品の中から一つの髪飾りを手に取ったレアンドロは、徐々に表情を険しくしていく。
「モラン! いるか?」
レアンドロが部屋の外に呼びかけると、廊下で待機していたモランがすぐに顔を出した。
「旦那様、どうされました?」
突然呼ばれて慌てるモランへ手の中の髪飾りを突きつけるレアンドロ。
「この髪飾りだが。妙だと思わないか?」
「はて……? 私には分かりませんが……」
髪飾りを見て首を傾げるモランに、レアンドロは語気を強める。
「俺はこんなものをジュリエッタに贈った覚えがない!」
「………………はい?」
モランは主人の言葉の意味が分からず目を瞬かせた。
そんな執事の様子など気にも留めず、レアンドロはゴミを見下ろすような目で髪飾りを睨みつける。
「なんだこの髪飾りについている暗い紫色の石は。どう考えてもジュリエッタの髪に似合わないだろう。こんなものを買った覚えはない!」
眉間に皺を寄せる主人に呆気に取られるモラン。
「……お、奥様がご自身で購入されたのでは?」
自分に見覚えがないからと騒ぐレアンドロに至極真っ当なことを言ったモランだが、レアンドロの主張は止まらなかった。
「お前もジュリエッタの性格はよく知っているだろう。ジュリエッタはいつも俺からの贈り物に満足するばかりで、自分から宝石類を欲しがったことなど一度もないじゃないか!」
ハッとしたモランは目を見開いた。
「…………言われてみれば、旦那様のおっしゃる通りです。奥様がご自身で宝飾品をお買い求めになることはありませんでしたね」
「しかもこの色。どう考えたってジュリエッタ向きではない。明るく優しい彼女にこんな暗い色が似合うはずないだろうがっ」
憤慨するレアンドロは、興奮したままドレスルームの中を見回してさらなる異変に気づいた。
「待て。これだけじゃない。これも、そっちも。それからあれも。俺が贈った覚えのない宝石があちこちにある!」
ジュリエッタのドレスルームを漁ったレアンドロは、数ある宝飾品の中から少しの迷いもなく数個だけを取り出してモランの前に置いた。
「…………旦那様。まさかとは思っておりましたが、奥様に贈られた品を全て覚えておいでなのですか?」
レアンドロの行動を見ていたモランがおそるおそる問うと、レアンドロはなにを当たり前のことをとでも言いたげに声を荒げる。
「当然だろう! 全部この目で吟味した上で、ジュリエッタに似合うものを見繕っているんだ! ジュリエッタが身につけてくれたものは一つ一つ、細かい部分まで寸分の違いもなく記憶に刻み込んでいるに決まっているだろう!」
長年仕えてきたモランでさえ想像のはるか上をいくレアンドロのジュリエッタ愛に顔を引き攣らせながらも、モランはドン引きしている場合ではないと思考を目の前の宝飾品に戻す。
「……それにしても奇妙です。購入した覚えのない宝飾品が、奥様の部屋に紛れ込んでいるなんて……」
そこまで口にして、モランは嫌な想像をしてしまった。
「あの、旦那様……。まさか他の殿方からの贈り物ということは……」
「それだけは絶対にない」
言い切ったレアンドロの目には少しの疑念もなかった。
「ジュリエッタは昔から、俺からの贈り物しか受け取らない。王太子殿下が誕生日にわざわざ送って寄越したエメラルドのネックレスでさえ丁重に送り返していたほどだからな」
自信満々なレアンドロを見て嫌な想像をかき消したモランは、改めて謎の宝飾品を見下ろす。
「では、これらはいったい…………」
戸惑うモランの目の前で怪しい宝飾品を手に取ったレアンドロは、その中の一つに乳白色の石が混じっているのを見てあることに思い至った。
「待て。よく見ろ、これは……魔力が抜けた魔力石じゃないか?」
魔力を蓄えることのできる魔力石は、魔力が充填されている間は宝石と見紛うほどに美しい石だが、普段は透明度が低い乳白色をしている。
独特の滑らかな手触りに覚えのあるモランは、怪しい宝飾品に使われている石に一つずつ触れて確信を持って頷いた。
「間違いありません。これらは全て魔力石です。まさか奥様の宝飾品の中に魔力石が混ざっていたなんて……」
言葉を失うモランにレアンドロは鋭い目を向ける。
「ドレスルームの管理はどうなっていた?」
「主にメイド長のユナが管理をしておりました。が、旦那様もご存じの通りユナは今この屋敷におりません。おそらく奥様のお世話をするため屋敷を出たのでしょう。それだけでなく奥様のご様子がおかしくなられてからしばらくは、ユナも奥様のお世話にかかりきりでしたので、管理が行き届いていなかった可能性があります」
考え込んだレアンドロは顎に手を当てた。
「……ユナがジュリエッタにかかりきりになっている間、宝飾品が減っているのならばいざ知らず増えていることに気づく者はいなかったということか」
レアンドロが見つけた宝飾品に使われている石は紫色や緑色に紺色、茶色など、どれも濃くて暗いが色は多彩だった。
「普通であれば魔力石は注入した魔力の色を反映するはず。しかし、複数の色がある上にどの色の魔力石も初めて見る色ばかりです」
「どんな魔力が込められている? 誰がこんなことを……。なぜジュリエッタの部屋に……」
自分のあずかり知らぬところで起こっていた不可思議な事象に唇を噛み締めるレアンドロ。
同じく眉を顰めたモランはハッとしたように顔を上げた。
「そういえば……。今思うと奥様の態度が急変したことも、使用人達が突然旦那様の不貞を信じ出したことも不自然でした。まさかとは思いますが、この魔力石が関係しているというようなことは……」
「あり得るな。この中に精神操作系の魔力が込められているとしたら、ジュリエッタの行動も含めて今のこの馬鹿げた状況が故意に作り出されたものである可能性も出てくる」
ジュリエッタのもとに紛れ込んでいた魔力石を見下ろし、レアンドロは拳を握りしめた。
純粋で心優しいジュリエッタが、こんな石のせいで悪い影響を受けていたとしたら。
考えただけでもはらわたが煮えくりかえってしまう。
「モラン、この魔力石に込められた魔力の正体を突き止めろ」
「はい」
険しい顔をしたレアンドロは、愛する妻の部屋をもう一度見回した。
「ジュリエッタの部屋に魔力石を紛れ込ませた者がいる。最も怪しいのは使用人だ。ここ最近の使用人達の動きを探れ。怪しい動きをした者がいないか、徹底的に調べて報告するように」
「承知いたしました」