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17.変化



「えっ……?」


 目を見開いたジュリエッタは、恐ろしい話を聞いたかのように声を震わせた。


「レアンドロが離婚を渋っているとは、どういうことですの? だって、彼はもう私の魔力に頼る必要がないではありませんか! 私のことは不要なはずなのに、なぜ離婚しないのです?」


 衝撃を受けるジュリエッタとは対照的に、クラウチは軽い様子で肩をすくめた。


「知りませんが、公爵様はジュリエッタ様が残していった離婚届にサインをしていないそうです」


「そんな、どうして……」


 ジュリエッタの前世の記憶では、小説の中でレアンドロとヒロインは強く惹かれ合っていた。


 レアンドロの命の危機が去り、邪魔者である悪妻ジュリエッタが消えた今、二人は一刻も早く結婚したいはずなのだ。


 真のヒロイン、北部の令嬢イレーネ・メトリル。


 心優しく美しい彼女は、悪妻との関係に疲れ切ったレアンドロを癒す唯一の存在だった。


 ジュリエッタと離婚したあと、レアンドロが彼女と再婚できるようカルメラには頼み込んである。


 ジュリエッタが去り、カルメラが了承したのであれば、レアンドロは今すぐにでもイレーネを公爵家に迎え入れるべきである。


 そうならなければ、レアンドロのハッピーエンドはどこにあるというのか。


 ジュリエッタがしたことはいったいなんだったのか。


 呆然とするジュリエッタを見やったクラウチは、頭を掻きながら慰めの言葉をかけた。


「……まあ、焦る必要はありません。公爵様もジュリエッタ様に後ろめたい気持ちがあるのでしょう。ほとぼりが冷めたら愛する人と再婚されると思いますよ」


「そう、なのでしょうか……。私のことなど気にしなくてよいというのに。彼は誤解されがちですが、根はとても優しい人なのです」


 レアンドロの優しさを誰よりも理解しているジュリエッタは、傷跡の残る胸に手を当てて目を閉じた。


「彼はいつだって、私のような女を優先してくれたのです。彼には絶対に、幸せになってもらわなければ困りますわ」


 初対面の時からまったくブレないジュリエッタの言葉に、クラウチは感心さえしていた。


「ジュリエッタ様は本当に公爵様一筋ですよね。公爵様以外の男を好ましいと思ったことはないのですか?」


「ありません」


 言い切ったジュリエッタの瞳はどこまでも真っ直ぐだった。


 目を細めたクラウチは、茶化すように声音を上げる。


「えー? 本当にないんですか? 公爵様もかなりの美形ですが、他にもいい男はたくさんいるでしょう。例えば王太子殿下とか。まだ独身ですし、ジュリエッタ様とお似合いだと思いますけどね」


「うふふ。やだわ、先生ったら。冗談はおよしくださいな」


 珍しく声を上げて笑ったジュリエッタは、クラウチの軽口を砂の粒ほども本気にしていない。


「なぜです? 王太子殿下だって相当な美形でしょう。タイプではないとかですか?」


 興味深そうなクラウチの問いに、ジュリエッタは小さく首を振る。


「考えたこともありませんわ。王太子殿下とは公式的な場でご挨拶するくらいしか面識がありませんし、なにより私の心はレアンドロにしかときめかないのですわ。生まれてから今この瞬間までずっと。他の男性を見ても本当になにも感じたことがありませんの。そもそも彼以外は目にすら入りませんわ」


 清々しく言い切ったジュリエッタだが、彼女の言葉を聞いたクラウチは珍しく目を見開いた。


「……ちょっと待ってください。王太子殿下とは、私的な場で会ったことがないと?」


「はい。レアンドロと一緒に出席する夜会などでお見かけするくらいですわね。いつも私にも気さくに話しかけてくださる方なので、令嬢達にはさぞ人気なのではないかしら」


 微笑を浮かべて話すジュリエッタが冗談を言っているわけではないと分かり、クラウチは思わず苦笑してしまった。


「……いったいどれだけ独りよがりなんだ? ここまで脈なしだと憐れだな……」


 口の中で呟いたクラウチの言葉には気づかず、窓の外を見たジュリエッタは再びレアンドロのことを思い浮かべていた。


 二人で出席する夜会は二度とないのだと思うと心が沈む。


「レアンドロに会いたいわ」


 自分の口から出た本心。


 胸の傷をなぞったジュリエッタは、静かに見守るクラウチへ目を向けた。


「ねぇ、先生。一度だけでいいのです。遠目で結構です。一方的に眺めるだけにしますから、元気なレアンドロの姿を見ることはできませんこと?」


「ジュリエッタ様……」


 クラウチが発言する前に、ジュリエッタは言い訳のように言葉を重ねた。


「魔力を失ったことに悔いはありません。彼に別れを告げたことも。もちろん彼を邪魔するつもりなど毛頭ございませんわ。ですけれど、ずっと胸のうちにあるモヤモヤが消えないのです。嘆き悲しむ彼の夢を見ていると余計に」


「…………」


 黙り込むクラウチに、ジュリエッタは真剣な顔でたたみかける。


「彼が魔力に苦しむことなく健康で、好きな人と幸せにしている姿を見れば……この気持ちも晴れると思いますの。ですからどうか、許可をいただけませんか?」


「ふむ……」


 顎に手を当てたクラウチはスッと目を細める。


(目的達成のためなら誰がどうなろうと構わない、が……)


 普段のクラウチであれば、適当なことを言ってジュリエッタを丸め込んでいたはずだ。


 しかし、小動物のように丸い瞳を必死に向けてくるジュリエッタを見ていると、協力してやってもいいのではと思えてくる。


 どうしようもなく純粋でお人好しで一途なジュリエッタの想いを、ほんの少しくらいは汲んでやりたいと。


(私がこんなことを考えるなんてね……)


 苦笑したクラウチは脳内で様々なことを考えた。


 間近で見てきたジュリエッタという興味深い女、水晶玉で見た嘆くレアンドロ、今後動きがあるであろう公爵家の様子、密かな計画。


 一番肝心なクラウチの最終目標、どこまでも身勝手な王太子。


 そして、北部のイレーネの動き……。


 全てを加味して結論を出したクラウチは、ジュリエッタを見て優しく微笑んだ。


「うん。まあ、いいでしょう」


 頷いたクラウチを見て信じられない思いのジュリエッタは、おそるおそる尋ねた。


「ほ、本当ですか?」


「ええ。一度だけ、ジュリエッタ様が公爵様と会える機会を作ります。ただし、タイミングや方法は私が指示しますので、絶対に従ってくださいね」


「もちろんですわ!」


 興奮するジュリエッタに釘を刺すように、クラウチは彼女へ指先を向ける。


「約束する代わりに、その時は必ず私のいう通りに動いてもらいますよ」


 どんな条件も気にしないジュリエッタは、浮かれるまま満面の笑みで頷いた。


「全ていう通りにいたしますわ。ありがとうございます、クラウチ先生!」


 クラウチの手を取りギュッと握るジュリエッタの細い指先。


 貴族の夫人らしく白く滑らかで、今にも折れてしまいそうなその指を見下ろしたクラウチは、遠い日に交わした最愛の人との指切りを思い出していた。











「旦那様。少しはお休みになられては?」


 モランは紅茶を注ぎながら心配そうに主人の方を見た。


 ジュリエッタが姿を消してから数日。


 カルメラと話をしてからというもの、レアンドロは一心不乱に仕事に打ち込んでいる。


 度重なる遠征と、ジュリエッタのことで悩んで放置していた分の仕事は溜まりに溜まっていた。


 ジュリエッタが仕分けてくれた急ぎの書類は既に処理したが、山積みの書類はまだ半数以上残っている。


 寝る間も惜しみ仕事を進めるレアンドロの姿は数日でやつれており、見ていて痛ましかった。


「……休みたくてもどうせ眠れないんだ。それに俺は必ずジュリエッタを取り戻す。ジュリエッタが帰ってきた時、公爵家が傾いていたら堂々と迎えられないだろう」


「旦那様……」


「本当は今すぐにでもジュリエッタを捜しに行きたい。……しかし、母上の口ぶりからするとジュリエッタは母上の保護下にいるようだ。ユナの姿も見えない。きっとユナがジュリエッタのそばについているはず」


 ジュリエッタがいなくなってあれだけ取り乱していたレアンドロは現状を分析し、今自分にできる最善の方法でジュリエッタを取り戻そうとしていた。


「であれば今は無闇に捜し回るよりも、母上の誤解を解きジュリエッタに会う機会を得ることが先決だ。そのために俺の気持ちが本物であると誠意を示さなければ」


 結局は全てジュリエッタを取り戻すためのレアンドロの行動に、モランの胸も締めつけられる。


(旦那様はこんなにも奥様を求めておられるのに……。本当に、いったいどうしてこんなことになったのか)


「……ジュリエッタは母上が用意した安全な場所にいるはず。誠実にやるべきことをやり、身の潔白を証明することがジュリエッタに会う近道だと自分に言い聞かせて耐えているが、このままジュリエッタに会えなければ俺は……っ」


 目の下にくっきりとクマを作ったレアンドロは、折れそうなほど強く羽ペンを握り締めた。


 レアンドロの気持ちを汲んで止めることを諦めようとしていたモランだったが、ノックが鳴り響き別の使用人がなにかを伝えにやってくる。


 言伝を聞いたモランは、頭痛を覚えながら主人を見た。


「旦那様、ご来客だそうです」


 報告を聞いたレアンドロは顔も上げず億劫そうな声を返す。


「なんだ突然。来客だと? そんな話は聞いていない。俺は忙しいんだ。追い返せ」


 しかし、普段はレアンドロに従順なモランが躊躇うように言葉を付け加えた。


「それが……その来客というのが北部のメトリル伯爵家のご令嬢、イレーネ様なのだそうです」




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