15.奔走
「母上、どうか話を聞いてください」
ジュリエッタを取り戻すと決意したレアンドロは、ジュリエッタの行方を知る母への説得にあたっていた。
「なにを言われようとも、私は口を割りませんよ。ジュリエッタがどんな思いをしたことか」
しかし、母の答えは変わらなかった。
一度こうと決めたら梃子でも動かない母の性格を知っているレアンドロは、それでも諦めずに頭を下げ続ける。
「本当に俺には身に覚えがありません。ジュリエッタ以外の女を女として見たことなど一度もない。どうか弁明する機会をください」
「…………」
普段無愛想な息子が、こんなに必死に懇願する姿に思うところはあるものの、ジュリエッタの覚悟を知っているカルメラは簡単に頷くことができなかった。
「いいですか、レアンドロ。よくお聞きなさい」
持っていた扇子を閉じて背筋を伸ばした母に、レアンドロも顔を上げて姿勢を正す。
「あなたのその胸に煌めく魔核。それが今そこにあるということがどういうことか、あなたは真の意味で理解しているのかしら?」
胸に手を当て服の下にある魔核を感じながら、レアンドロは母を見た。
「……どういう意味ですか?」
しばらく息子の顔をジッと見ていたカルメラは、痛ましさを隠すように眉を寄せた。
「その魔核を取り出すために、ジュリエッタは一生残る傷を胸に作ったのよ」
「な……っ!」
「相当な覚悟だったことでしょう。あの白く美しい肌に、醜い傷跡が残るだなんて」
言葉を失ったレアンドロから顔を背け、カルメラは淡々と語った。
「手術をしてくれた医者の話だと、その魔核こそが魔力の源なのだそうよ。つまり、それを失ったジュリエッタは魔力を完全に失ってしまった。お前もよくよく知っているでしょう? この国で魔力を持たぬ者は貴族として認められない。あの子は力も身分も失ったの。文字通りお前のために全てを捧げて出て行ったのよ」
「………………」
言葉が見つからないレアンドロは、母の話を聞きながら拳を握り締める。
ジュリエッタはきっと、レアンドロにこの話をしてほしくなかったのだろうと思いつつ、カルメラは息子の前で黙っていることがどうしてもできなかった。
情けなさと怒りとやるせなさと、なによりも息子にこれ以上間違いを犯してほしくないという思いからだった。
「そこまでの覚悟を見せられて、私がそう易々とお前にジュリエッタの居場所を教えると思うの? 少なくともお前にはジュリエッタを追い詰めた自分の行いを悔い改める時間を与えるべきでしょう」
絶望したように顔を青くする息子を見下ろし、カルメラは立ち上がった。
「今の私はお前の言葉を信じることができないのよ。お前が本気でジュリエッタを取り戻したいのならば、私が話を聞いてあげてもいいと思えるような、それなりの誠意を見せなさい」
そのまま去ろうとしたカルメラの手を掴んだレアンドロは、感情を失ったような虚な瞳で母を見上げた。
「母上……、一つだけ教えてください。ジュリエッタは無事なのですよね?」
「…………安静が必要だと聞いているけれど、命に別状はないそうよ。ただ、胸の傷跡は魔傷となって一生癒えることはないのだとか」
カルメラが部屋を出て行くと、一人になったレアンドロは両手で顔を覆う。
自分の胸にジュリエッタの魔核があるのは、相当なことであると分かっていた。
ジュリエッタがつらい思いをしたであろうとこも。
しかし、改めてその決意の重さを聞くとレアンドロの心は壊れてしまいそうだった。
「……頭がおかしくなりそうだ……」
自分の身を切り裂かれるよりもつらい事実に打ちひしがれるレアンドロは立ち上がると、覚束ない足取りでふらふらと執務室へと向かった。
王太子の突然の出征要請により乱雑なまま出て行ったはずの執務室は綺麗に片づけられている。
モランによると、出征後すぐにジュリエッタが片づけてくれたという。
書類は項目ごとに整理され、急ぎの書類はジュリエッタが代わりに処理してくれたのかすぐに手をつけなければいけないものは一つもなかった。
机の引き出しを開けると、疲れた時にレアンドロが好んで食べるミントキャンディが補充されている。
こんな時でも自分を気遣ってくれたであろう彼女を思うと、レアンドロの心は切なさに壊れてしまいそうだった。
「俺はいつも、ジュリエッタからもらってばかりだな」
思えば昔からそうだった。
魔力を分け与えてくれただけではない。
レアンドロはいつも受け身で、ジュリエッタが向けてくれる想いを受け取るばかりだった。
大切な手紙を保管している金庫を開けたレアンドロは、婚約後に初めてもらった手紙を手に取った。
【あなたと婚約できてとても嬉しいわ。これから仲良くしてね】
簡素だが文字まで踊っているような楽しげな文面に、人知れず頰を染めたのを覚えている。
あの時照れてしまいすぐに返事を出せなかったことが、何年も自分を苦しめるとは思っていなかった。
年代順に並んだ手紙をレアンドロは愛おしげに指で辿る。
手紙の数が増え出したのは、結婚後一緒に住み始めてからだった。
当時、十代半ばで籍を入れはしたものの、政略結婚であることが分かっていたレアンドロは思春期も相まってジュリエッタへの接し方が分からなくなっていた。
もちろんジュリエッタのことは好きだったし、命の危機から自分を救ってくれた彼女に感謝し、心から信頼もしていた。
しかし、自分にとって特別な存在であると自覚すればするほど、どう接していいか分からない。
触れたくとも素直にそうできず、自分から手を繋ぐことすらできないまま、入籍直後は気まずい日々が続いたものだった。
それでも定期的に魔力供給を受けなければならず身体的接触は必要不可欠だったことで、余計に恥じらいが増してしまい、レアンドロはジュリエッタに自分から声をかける機会を失ってしまっていた。
大切にしたいのに素っ気ない態度をとってしまったり、そのせいで使用人達の間に自分達の不仲説が出たりと、焦れば焦るほどどうするべきか分からなくなっていったレアンドロ。
そんなレアンドロに救いの手を差し伸べてくれたのは、毎日のように手紙で気持ちを伝えてくれるジュリエッタだった。
【私ね、家族ができて本当に嬉しいの。だからどんなことがあっても、あなたのことを宝物のように大切にすると誓うわ。大好きよ、レアンドロ】
【この先なにがあっても私はあなたの味方でいます】
【私達、これからずっと人生を共にするのですもの。今すぐは無理でも、ゆっくり夫婦になっていきましょうね】
ジュリエッタからもらう言葉はどれも照れくさく、けれど嬉しいものばかりだった。
急がなくていい、焦らなくていい、と言われた気がしたレアンドロは、それから素直な気持ちでジュリエッタと接することができるようになり、次第に仲睦まじい夫婦となっていった。
「いつだって歩み寄ってくれるのはジュリエッタだった。初めて会った時からずっと……」
最後に抱き合った夜に渡された【愛してる】と綴られた手紙を握りながら、レアンドロはその身を震わせる。
なによりも大切だと思っていた。
かけがえのないレアンドロの妻、ジュリエッタ。
ただでさえレアンドロの心の大部分を占めていた彼女だというのに、失ってしまったことでレアンドロの心は張り裂けるほど切なくジュリエッタを求めていた。
「君に会いたい、ジュリエッタ……。なにがあっても君を取り戻してみせる」
レアンドロは決意を新たに顔を上げた。




