14.熱意と思惑
愛する妻ジュリエッタが魔力を自分に移植して消えたことを知ったレアンドロは、絶望の中で嘆き続ける。
「なぜだ、ジュリエッタ……ッ」
主人の姿だけがないジュリエッタの部屋でさめざめと泣くレアンドロのもとに、重い足取りの足音が近づいてきた。
「旦那様」
顔を上げたレアンドロは、怒りに奥歯を噛み締める。
「モラン、お前! なにをしていた! どうしてこんなことになったんだ!?」
レアンドロに怒鳴りつけられたモランは、崩れるように両膝を突いた。
「申し訳もございません。実は私も、つい先ほど全てを知らされたのです」
「なんだと……?」
沈痛な面持ちのモランは懺悔するように語りはじめた。
「私は大奥様に命じられ、ここ数日領地まで使いに出ていたのです。旦那様の命令通り奥様のもとでお仕えするつもりでしたが、緊急だと命じられ仕方なく……。いかなる処分もお受けする所存です」
レアンドロが不在の屋敷で、モランはカルメラやジュリエッタの指示に従う他ない。
頭では理解できても感情が追いつかないレアンドロは、モランの襟首を掴んで揺さぶった。
「ジュリエッタはどこだ? 居場所くらい分からないのか!?」
「私には……。知っているのは大奥様とごく一部の使用人だけです」
顔を歪めたモランが申し訳なさそうに下を向く。
「誰でもいい。とにかくジュリエッタの居場所を吐かせろっ!」
怒鳴るレアンドロは、それが八つ当たりであると分かっていても怒りを抑えられない。
レアンドロの気持ちが痛いほど分かるモランは言いづらそうに言葉を探した。
「それが……不思議なことに他の使用人達は旦那様の不貞を信じています」
「なっ……!」
「以前はみんな旦那様がどれほど奥様を想っておいでか存じていたはずなのに。まるで奇妙な魔術にでもかかったかのように、旦那様が奥様を裏切ったと信じ込んでいるのです」
意味が分からないこの状況に、レアンドロはただただ呆然とするしかなかった。
「いったいなにが起きているんだ……?」
「分かりません。旦那様と遠征に出ていた騎士達を除き、屋敷に残っていた使用人は全て旦那様の敵です。もちろん私は、ずっとおそばで見てきた旦那様のお心を信じておりますが……。この事態をすぐに収拾し情報を得るのは難しい状況です」
「…………ッ!」
拳を地面に振り下ろしたレアンドロは、歯痒さにどうにかなりそうだった。
なにもかもが誤解だというのに、いったいどうしてこんなことになっているのか。
絶望に暴走した魔力で体が凍えそうになるたびに、ジュリエッタからもらった熱の魔力がレアンドロの体を温める。
自分の胸で煌めくオレンジ色の魔核を見下ろしたレアンドロは虚しさに気が狂いそうだった。
妻の胸に煌めいていたものが自分の胸にある。
それはどう考えても異常な現象だ。
『あの子がお前のためにどれほど献身的だったことか!』
母の言葉を思い出したレアンドロは、一瞬にして青ざめた。
混乱してうまく思考がまとまらなかったが、レアンドロの胸にジュリエッタの魔核があるとしたら……ジュリエッタの体は今、いったいどうなっているのか。
「こんなことをして、ジュリエッタは大丈夫なのか……?」
本当に母のいう通りジュリエッタが魔力を失う覚悟で魔核をレアンドロにくれたのなら、ジュリエッタは無事では済まないはずだ。
レアンドロの胸にあるオレンジ色の魔核が本来煌めいていたジュリエッタの胸は今……。
考えるだけで吐き気がしてきたレアンドロは、この世の終わりのような顔で立ち上がる。
その時、ふとズボンのポケットに重みを感じて中身を取り出したレアンドロはハッと息を呑んだ。
そこにあったのは、出征前にジュリエッタからもらったオレンジ色の魔力石だった。
空の状態だと乳白色の魔力石は魔力を込めた者の力に反応して色を変える。
一時的に魔力を保管し使用できる、とても高価な石だ。
温かな光を宿す石には、レアンドロに対するジュリエッタの愛が確かに込められている。
「……ダメだ。このままジュリエッタを手放すことなんてできない」
顔を上げたレアンドロは、心配そうな顔をしていたモランの肩を掴んだ。
「モラン、頼む。今の俺にはお前しか頼れる者がいない。ジュリエッタを見つけるため、俺に手を貸してくれ」
たとえ疎まれて嫌われていたとしても、このままジュリエッタと別れることなど到底できるはずがない。
せめて健やかな姿をひと目だけでも見たい。
そうしてできることなら誤解を解いて、彼女を取り戻す。
レアンドロの切実な想いを汲み取ったモランは、心を込めて深く頭を下げた。
「…………全力を尽くします」
『こんな魔力だけ残していっても……君がいなければ生きている意味がないじゃないか』
郊外にあるひっそりとした屋敷内に与えられた個室でくつろいでいたクラウチは、送られてきた映像を水晶玉で確認していた。
絶望するレアンドロを水晶玉越しに見下ろすクラウチは無表情だ。
「魔力だけ残していっても……か」
普段のニヤけた笑みを浮かべることもなく、窓の外に目を向ける。
「…………同じだねぇ」
自分の胸に手を当てたクラウチがやれやれと首を振っていると、水晶玉が緑色に光り聞き慣れた声が響いた。
『報告しろ』
「これはこれは、王太子殿下。計画はとても順調ですよ」
途端に楽しそうな胡散臭い笑みを浮かべたクラウチは、真っ赤なワインを片手にくすくすと笑う。
「殿下がタイミングよく公爵に出征を命じてくださったおかげで、早々にことを進めることができました」
『それで、オルビアン公爵夫妻の離婚はいつ成立する?』
水晶玉の向こうから聞こえてくる王太子の苛立ったような声さえも可笑しいのか、クラウチはニヤニヤと口角を吊り上げ続けていた。
「さあ。ジュリエッタ様は既に離婚届を公爵に渡していますが、公爵の方がそう簡単に引かない可能性もあります。いずれにせよ時間の問題だとは思いますが」
グラスを回しながら喋るクラウチの声には真剣さがなく、その態度に王太子は怒りをあらわにした。
『なんだと? なんのために大金を叩いて大量の魔力石を準備してやったと思ってる!? お前のくだらない研究とやらに投資してやった恩を忘れたのか!? 今すぐ二人を別れさせてジュリエッタを俺のもとに連れて来い!』
水晶玉から聞こえる怒鳴り声に面倒くさそうな目を向けたクラウチは肩をすくめる。
「すぐには無理ですよ。この屋敷は先代公爵夫人カルメラ様に見張られています。下手に動けば黒幕が殿下であることが露見します」
『……話が違うだろう、貴様。いったいどういうつもりだ?』
水晶玉の向こうでワナワナと怒りに震えているであろう王太子の姿を想像して鼻で笑うクラウチ。
「私は誠実に自分の使命を全うしようとしているだけです。どんな手を使ってでも公爵夫妻を別れさせ、公爵夫人をあなた様のもとに連れていく。それがお望みだったはず。そのお言葉通り、私は私なりの方法でジュリエッタ様をオルビアン公爵から引き離しました」
不気味に笑うクラウチは悪びれた様子が一切なく、堂々と脚を組んでいる。
『だったら今すぐジュリエッタを……』
「前にも言いましたが、私が介入できるのはあくまでも〝夢〟なのです。夢を通して無意識下に不和の種を植え付けることはできても、その人間の根深い感情まではコントロールできません。オルビアン公爵を想うジュリエッタ様の情は簡単には打ち壊すことができないでしょう」
『ハッ! 公爵への情だと? そんなものジュリエッタにあるはずがないだろう。あの憎らしい公爵との政略結婚から解放されたジュリエッタはどれほど喜んでいることか』
「…………」
王太子の物言いに黙り込んだクラウチは、黒い瞳を細めて憐れむように水晶玉を見下ろした。
『あの時、オルビアン公爵家がジュリエッタを連れ去りさえしなければ、俺とジュリエッタが引き離されることはなかった。ジュリエッタが好きでもない男のもとに嫁がされることはなかったのだっ!』
何度も聞かされた王太子の世迷言を、クラウチは呆れたように聞き流す。
(好きでもない男のもとに、ねぇ……)
あれは手術の直前のことだ。
自分の身に起きることなど少しも気にせず、ジュリエッタはひたすらにレアンドロのことだけを心配していた。
『クラウチ先生、私のことはどうなってもいいですから、どうかレアンドロのことをお願いいたします。彼がもう二度と、魔力の強大さに苦しむことがないように』
これから手術のための深い眠りに就くというのに、ジュリエッタの口から出るのはレアンドロのことばかり。
『大丈夫ですよ、私に全てお任せください』
自分のことなど二の次で夫を想うあの真っ直ぐな瞳が、どうにもクラウチの脳裏に焼きついている。
それだけではない。
この計画を完璧に進めるため、事前にジュリエッタの〝夢〟を通して深層心理を見たクラウチは、彼女がどれほど深くレアンドロを愛しているのかよく知っていた。
しかし、目的があるクラウチには王太子の独りよがりな勘違いをあえて指摘する道理はない。
王太子の言葉には触れないまま話題を変える。
「ああ、そうそう。公爵邸に送り込んでいたメイドのメアリーはそろそろ引き下げたほうがよろしいかと。屋敷内に私の魔力石をばら撒いていたのが見つかれば厄介ですから」
『貴様に言われなくとも既に手配済みだ』
舌打ちした王太子は不機嫌そうに水晶玉の向こうから声を荒げた。
そんな彼の様子には少しも動じず、クラウチは蝋燭の灯りにワインをかざす。
「彼女もなかなか役に立ってくれましたね。ジュリエッタ様が私のもとに来るよう誘導してくれたのも、公爵家の使用人達へ公爵の不貞を信じ込ませることができたのも、メアリーが暗躍してくれたおかげです。先ほども公爵邸の様子を映した映像を送ってくれました」
『ふん。どれだけ役に立とうと、知りすぎた駒は処分すべきだ』
「殿下も悪いお人ですねぇ」
くすくすと笑うクラウチは、少しも笑っていない目を水晶玉に向ける。
「王太子殿下、約束ですよ。どんな状態であっても、ジュリエッタ様をお連れすれば例のものを私にくださると。約束は果たしていただきますから」
『お前もしつこい奴だな。分かっている。あれが欲しいのならすぐにジュリエッタを連れて来い』
「じきにジュリエッタ様はあなた様のものになるのです。私を信じてもうしばらくお待ちください」
王太子の返事を聞く前に水晶玉の光を消したクラウチは、日が沈んだ薄暗い空を眺めながらワインに口をつけないままグラスを置いた。
「知りすぎた駒は処分すべき……それを私に言ってどうするんだろうねぇ。頭の悪いお人だな」
クラウチが愚痴をこぼしていると、廊下からけたたましい足音が聞こえてきた。
「クラウチ先生! 奥様が目を覚まされました!」
ジュリエッタの療養先として用意されたこの屋敷に仕えることとなったユナが、クラウチを呼びに来たのだ。
すぐさまジュリエッタの部屋に向かったクラウチは、移植手術を終えてから眠り続けていたジュリエッタに近づくとぼうっとした視界に入り込んだ。
「ジュリエッタ様、私が分かりますか?」
ゆっくりと瞬きしたジュリエッタは、クラウチを見ると億劫そうに頷いた。
「はい、先生。……あの、レアンドロはどうなりましたか?」
すぐにレアンドロの心配をするジュリエッタを見下ろして、どこまでもブレない彼女に苦笑を漏らしながらクラウチはハッキリと答えた。
「手術は無事に成功しました。公爵様は熱の魔力を手に入れ、今後命の危険に晒されることはないでしょう」
「ああ、本当によかった……! ありがとうございます、クラウチ先生」
クラウチに感謝し涙するジュリエッタの胸には、魔核を切除した醜い傷跡ができていた。