12.同意
「私は公爵様にこの手術のことをお話しするのは得策ではないと思います」
キッパリと言い切ったクラウチに、カルメラは怪訝な目を向ける。
「あら。部外者であるあなたがどうしてそう断言できるのかしら?」
黒い瞳で真っ直ぐにカルメラを見返したクラウチは、次にその瞳で不安そうなジュリエッタを見つめながら話し出した。
「お話を聞いた限りですと、オルビアン公爵様は他に想い人がいながらジュリエッタ様をとても気遣っておいでのようですね。根は優しく義理堅いお方なのでしょう。そんなお方がこの話を聞いて手術をお受けになると思いますか?」
「………………」
カルメラは唇を引き結び黙り込んだ。
「…………いいえ、彼はきっと断るでしょう」
なにも言わないカルメラに変わり、ジュリエッタが答える。
「ええ。公爵様が想像通りのお人柄ならば、きっと遠慮されることでしょう。また、ジュリエッタ様への罪悪感からより一層ご自分の気持ちを押し殺されるでしょうね。そうなれば公爵様は永遠に不幸なままです」
「そんな……っ」
息を呑んだジュリエッタは、確かにクラウチのいう通りだと唇を引き結んだ。
ジュリエッタの様子に気づいたカルメラが慌てて口を挟む。
「まだレアンドロの気持ちを本人から聞いたわけではないわ。それに、たとえあなたのいう通りだとしても、それで全てが丸く収まるのであればよろしいのではなくて?」
クラウチの黒い瞳が再びカルメラに向けられる。
「それはつまり、不貞を知りながらジュリエッタ様に我慢し続けろということですか? そして公爵様には永遠に本当の気持ちを押し殺して生きろと? それでいったい、誰が得をするのです?」
「…………っ」
言い返そうとしたカルメラは、クラウチの黒い瞳を見ているうちにまたもや思考が回らなくなり、返す言葉を失って黙り込んでしまう。
「ジュリエッタ様は公爵様のお気持ちを汲んで、全てを失う覚悟で別れを決意されているのです。その想いを無下にしないためにも、公爵様には秘密裏に動くべきでは?」
うまく働かない頭をなんとか回転させて、カルメラは言葉を絞り出した。
「ですけれど、レアンドロの言い分も聞いてあげるべきでは……」
「そもそも浮気したのは公爵様ではないですか。ジュリエッタ様が公爵様の言い分を聞いてさらに苦しむ必要はないかと」
被せるようにピシャリと言い切ったクラウチは、たたみかけるようにカルメラの目を覗き込んだ。
「よくよくお考えください。このままではジュリエッタ様があまりにも惨めです。公爵様が他の女に想いを寄せていることを知りながら、その姿をずっと間近で見続けろと? そんな人生はただただ不憫ではありませんか」
「それは……っ! …………そうなのかしら?」
クラウチの虚な黒い瞳を見ながら話を聞いているうちに、頭が混乱するカルメラ。
なにか大事なことを見落としている気がするのに、クラウチの言葉が正しいのではと思えてきてしまう。
「ジュリエッタ様のためにも、公爵家は過ちを認め彼女を解放すべきです。そのためになんとしても公爵様には内密にことを進める必要があります」
「で、でも……」
「お二人がそれぞれの人生を歩み、幸せになるにはそれしかないのです。真のハッピーエンドを迎えるために」
〝ハッピーエンド〟という単語に反応したのはジュリエッタだった。
「私は全て先生のおっしゃる通りにいたしますわ!」
まるで催眠術にでもかかったかのように、ジュリエッタは少しの疑問も持たず大きな声で宣言する。
そしてカルメラもまた、頭の片隅がモヤモヤしつつも二人の意見に同意した。
「…………分かりました。レアンドロが戻る前に、内密に話を進めましょう」
「それでは公爵様が遠征からお戻りになった際に私の術で眠らせて手術を行います。その後公爵様が目覚める前にジュリエッタ様は屋敷を出るということで」
計画の内容を取りまとめたクラウチがそう言うと、ジュリエッタは真面目な顔で何度も頷いた。
「承知いたしましたわ。先生、どうか夫をよろしくお願いいたします」
「ええ、もちろんです」
頷き返したクラウチは次に、ジュリエッタを気遣うカルメラへと目を向ける。
「カルメラ様には屋敷内で手術を決行する準備のお手伝いと使用人への口止めをお願いします。事前に公爵様に計画が漏れれば失敗に終わる可能性が高いので」
扇子を閉じたカルメラはクラウチから目を逸らし、ジュリエッタに体ごと向き直った。
「協力する代わりに条件があります。ジュリエッタ、あなたの今後については私が全面的にサポートさせていただくわ」
「そんな、お義母様。どうか私のことはお気になさらず……」
遠慮するジュリエッタを厳しい目で見つめたカルメラは、頑として譲らなかった。
「いいえ。そういうわけにはいきません。言ったでしょう、あなたは既に私の家族なの。行く当てもないあなたを放り出すなんて非道なこと、私は絶対にできません」
二人のやり取りを聞いていたクラウチが横から口を挟む。
「確かに、ジュリエッタ様は術後しばらく安静にする必要があります。傷跡の処置も重要ですし、経過を観察するため私が近くにいた方がよいかと」
「ほら、先生もこうおっしゃっているじゃない。私があなた達二人分の当面の滞在先と生活費を用意します。そこで安全に暮らしてくれることが協力の条件よ。いいわね、ジュリエッタ」
義母から向けられる優しさに感激したジュリエッタは、目に涙を溜めて頷いた。
「ありがとうございます、お義母様……。こんな悪女のためにそこまでしていただいて」
「悪女だなんてなにを馬鹿げたことを言っているの! あなたは誰よりも心優しい私の自慢の嫁なのよ。あの愚息をこんなにも愛してくれるあなたに、これくらいさせてちょうだい」
「お義母様っ!」
抱擁し合う嫁と姑の感動のやり取りを側から見ていたクラウチは、ここは入り込むべきではなさそうだと黙ってお茶を啜った。
ひとしきり抱き合って満足したのか、ジュリエッタを離したカルメラは気難しい顔をして呟いた。
「そうとなったら準備を進めましょう。使用人の大部分は私とジュリエッタの命令に従うでしょうけれど、一人だけレアンドロの味方をしそうな者がいるわね」
「モランですか?」
思い当たる人物の名前を挙げたジュリエッタにカルメラは大きく頷く。
「ええ、そうよ。彼には悪いけれど、王都外に使いに出てもらいましょう」
一度味方になれば頼もしいカルメラは、あれこれと今回の計画に必要な事項をまとめはじめた。
「クラウチ先生、本当にレアンドロに気づかれず手術を行うことは可能なのですか?」
張り切るカルメラに感謝しつつも、ジュリエッタは不安になっていたことをクラウチに確認した。
「問題ありません。私の術をもってすれば、公爵様であろうと何も気づかずに一瞬で眠りに落ちますよ。そして目が覚めた時には全て終わっているでしょう」
ニンマリと笑うクラウチは、全てが順調であることに大いに満足していた。
遠征中、脇目も降らず魔物を討伐し続けたレアンドロは、帰還した際ジュリエッタにどう接するかをずっと考え続けていた。
また避けられでもしたら、今度こそレアンドロは気が狂ってしまうかもしれない。
慎重かつ丁寧に、ジュリエッタの悩みを聞き出して解決し、また前のような関係に戻る。
そんなシミュレーションばかりしているレアンドロの思考は、部下達にバレバレだった。
「主君は相変わらず上の空だな。どうせ奥様のことばかり考えているんだろうけど」
無心で魔物を屠っていくレアンドロを見ながら一人がそう呟けば、次から次へと賛同の声が上がる。
「昨日も遅くまで奥様宛の手紙の練習をしてたぞ」
「太陽を見ても月を見ても星を見ても、『ジュリエッタ……』と呟いてるもんな」
「奥様からもらった魔力石を肌身離さず持ち歩いてるし……」
「あれだけ想い合っているなんて羨ましいよな。とても政略結婚だったなんて信じられない」
一刻も早く帰りたいのか、力を思う存分発揮してものすごいスピードでレアンドロが討伐をするおかげで、部下達は手持ち無沙汰だった。
その分レアンドロとジュリエッタ夫妻の噂話ばかりが加速していく。
「けど、遠征前は険悪な雰囲気だったよな」
「メイド達が結婚生活始まって以来の危機だとか騒いでたよ」
まさか公爵夫婦に本当に離婚の危機が迫っていることなど露ほども思わず、冗談話のように言い合う騎士達はこの先に待ち受ける未来を想像すらしていなかった。
数日後、凄まじいレアンドロの活躍により、一行は早々に帰路についた。
そうして勇足で公爵邸に帰還したレアンドロは、悲しげな微笑を浮かべるジュリエッタに出迎えられた途端、目の前が真っ暗になったのだった。