11.インフォームド・コンセント
「お義母様、こちらがクラウチ先生です」
ジュリエッタは早速、今回の作戦の協力者であるクラウチを屋敷に招いてカルメラと引き合わせた。
「はじめまして、先代公爵夫人カルメラ様。医者のナオミ・クラウチです」
短く切り揃えられた黒い髪に、吸い込まれそうな黒い瞳。
長い白衣を身にまとい頭を下げたクラウチの奇妙な風貌に、扇子で口元を隠すカルメラ。
「Dr.クラウチ、はじめまして。この度は世話をかけるわね」
カルメラの目は鋭くクラウチの爪先から頭の先までを行ったり来たりし、この怪しげな医者が本当に大事な嫁と息子の体を任せるに足る医者かどうかを見極めようとしているようだった。
ニヤリと片方の口角を上げたクラウチは、カルメラの視線をものともせずに口を開く。
「早速ですが、今回の移植手術についてご説明させていただいてもよろしいですか?」
「ええ。お願いするわ」
席に着き資料を差し出したクラウチは、学者然とした堅苦しい口調で喋り出した。
「そもそもの前提として、魔力の仕組みからお話しさせていただきます。私の研究の結果、魔力保有者が持つ魔核には魔力を生み出す特別な機能があることが分かりました」
クラウチは資料の人体図を指差すと、胸の中央辺りに丸をつける。
「この魔核をジュリエッタ様から取り外し、公爵様の胸に移植します。そうすれば公爵様はジュリエッタ様の熱の魔力を自らの体内で生み出し扱うことが可能となるのです」
二人の人間が描かれた図を取り出すと、クラウチはそのうちの片方の胸部にバツをつけ、もう一方の人間まで矢印を引いた。
説明を理解したカルメラは、不快そうに眉を寄せる。
「概要は分かりましたわ。ですけれど、ジュリエッタの体から魔核をどのように取り外しますの?」
おぞましいとでもいうかのように図を見下ろしたカルメラは、不信そうな目をクラウチに向けた。
これに対しクラウチは、なんでもないことのように答える。
「それはもちろん、胸部から直接切り離して抉り取ります」
「………………」
途端にソファの上でふらついたカルメラを、ジュリエッタが慌てて支える。
「お義母様、大丈夫ですかっ?」
貧血を起こしでもしたかのように青ざめたカルメラは、自分を支えるジュリエッタに向き直った。
「どうしてあなたは平気なの、ジュリエッタ。このヤブ医者はあなたの胸を抉ると言っているのよ!?」
とうとう声を荒げたカルメラは、ジュリエッタの腕を掴んで金切り声を上げる。
「やっぱり考え直した方がいいわ!!」
「ですが……私にはこの術式が、そこまで突飛なものとは思えないのです」
夢で見た前世の世界で、移植手術についての一般的なイメージを持っていたジュリエッタにとっては、クラウチの話は充分に受け入れられるものだった。
「なんですって? どう考えてもこんなことは普通ではないでしょう! 胸から魔核を切り取るのよ!? そしてそれをレアンドロに植えつけるですって? こんなことは異常よ!」
しかし、カルメラにとってはすぐに受け入れられる内容では到底なかった。
ジュリエッタも夢の中で見たものをどう説明していいか分からない。
「とにかく、先生のおっしゃる通りにすればレアンドロはこの先ずっと、氷の魔力に苦しむことがなくなるのです。それに、先生に以前うかがったところ、成功率も高い手術だとおっしゃっておりましたわ」
必死に訴えるジュリエッタの態度があまりにも熱心で、カルメラは戸惑うばかりだった。
「だからって……」
カルメラが戸惑いから迷いを見せた隙にクラウチはすかさずベラベラと語りかける。
「ジュリエッタ様のおっしゃる通り、この手術はそこまで難しいものではありません。むしろ他の臓器を移植するよりもはるかに楽な手術です。魔核は独立した臓器ですから。心臓や腎臓を移植する際は体内の他の臓器や血管との結合が必要不可欠ですが、魔核はただ胸部に縫いつけるだけで機能するのです」
「縫いつけるだけって……」
もはや理解が追いつかないカルメラはさらに目眩がした。
そんなカルメラと目を合わせたクラウチは、闇のように黒い瞳でカルメラを覗き込みながら早口に説明を続ける。
「ジュリエッタ様から取り外す際も他の臓器に異常をきたす可能性は限りなく低いです。また、拒絶反応の心配もない臓器です。適合検査すら必要ありませんのでご安心を」
クラウチの瞳を見ているうちにより一層理解力が弱まり、難しい言葉を使うクラウチの説明の半分も分からないカルメラは、隣でしっかりと頷くジュリエッタを見ると、理解できない自分がおかしいのかとさえ思いはじめてしまう。
カルメラが言葉を失っている間に、真剣な目をしたジュリエッタがクラウチに問いかけた。
「クラウチ先生、レアンドロの体に支障はないのですわよね?」
「はい。公爵様には私の特別な術で深い眠りに就いていただきます。痛みすら感じないほど深い眠りなので、眠っている間に手術を終え魔核が定着すれば、目が覚めた際の痛みはほとんどないでしょう。ですから公爵様には大きなダメージが残りません」
「それであれば問題ありませんわ」
ホッと胸を撫で下ろすジュリエッタを見て、痛む頭を押さえながらカルメラはクラウチを目で射抜いた。
「……ならジュリエッタはどうなのです?」
「…………」
一瞬黙り込んだクラウチに、カルメラは語気を強めて再度問いかける。
「うちのジュリエッタの体にも、支障はないのですわね?」
間を置いて、クラウチは静かに答えはじめた。
「……ジュリエッタ様にも深い眠りに入っていただくので痛みを感じることはないかと。ただし、魔核を切り取った傷跡は魔傷となるので癒えることはないでしょう」
「ッ!? そ、それは……、ジュリエッタの胸に、一生傷跡が残ると……?」
再び倒れかけたカルメラは、自分を支えてくれる嫁に震える手で縋りついた。
「ねぇ、どうか考え直してちょうだい、ジュリエッタ。こんなことをしなくても、あなたがこれまで通りレアンドロのそばにいてくれたらそれでいいのよ。あのバカ息子の浮気については、私がきっちりケジメをつけさせますから」
いつも気丈な義母の震える声を聞くのが心苦しく思いながらも、ジュリエッタは首を横に振る。
「いいえ、お義母様。何度も申し上げておりますが、私はレアンドロの幸せだけを願っているのです。そのためのどんな犠牲も厭いません。これまでずっとレアンドロに耐え難い思いをさせてきたことに比べたら、傷跡が残るくらいは享受すべきですわ」
ジュリエッタの決意はあまりにも固く、カルメラにはその想いを覆すことができそうになかった。
考え込んだカルメラは、冷静になろうと深呼吸をして口を開く。
「あなたの想いはよく分かりました。けれどジュリエッタ。もう一度だけ、レアンドロと話をしてみてはどう? 全てが誤解だという可能性もあるわ。それに、魔力を移すにしてもあの子の意見を聞くべきではないかしら?」
ジュリエッタの手を取りカルメラは掠れる声で囁いた。
「私にとってはね、あなたも大切な家族なのよ。傷ついてほしくはないし、辛い思いもしてほしくはないわ。あなたの肌に醜い傷跡を残すなんて耐えられないの。だから少しだけ結論を待ってちょうだい」
「お義母様……」
両手を握り締めて懇願するカルメラに、頑なだったジュリエッタの態度も軟化する。
「少しよろしいですか」
ジュリエッタが頷きかけたところで声を上げたのは、二人の会話を見守っていたクラウチだった。