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第六話

 ヤヒーアと親しくなってから更に数ヵ月、アリデットは少しずつランベールとの距離も近づいているように感じていた。

 しかし、アリデットにはある懸念が拭えなかった。いや、彼女と知り合い、近くて見ていたからこそ懸念は膨らんでしまったのだろう。


 ヤヒーアは美しい。

 南の出身であり、日で焼けた肌は蠱惑的な魅力を放っている。目鼻立ちも非常にハッキリとしており、歳の頃は同じでもアリデットにはない色気があった。

 そして外見の通り、常に冷静で仕事ができる。多忙なランベールのスケジュールを宮殿で最も把握できているのはヤヒーアだった。


 要するに嫉妬だ。

 自分の知らないランベールを知っている。

 自分にはない魅力を持っている。

 自分にはできない方法でランベールを支えている――女性。


 その嫉妬はアリデット自身も気づかぬまま静かに蝕んでいた。

 そして親しくなった慣れもあっただろう。ふとした拍子に、アリデットは胸に仕舞っていたいた気持ちを口にしてしまう。




「ヤヒーアは、ランベール様に抱かれたことがあるの?」




 その言葉を聞いたヤヒーアの瞳には、アリデットがこれまで誰にも向けられたことのない強烈な怒りと敵意が込められていた。


「ずっと……そんなくだらないことを考えていたのですか、あなたはッ!」

「ア、やめて……苦しい」


 ヤヒーアはアリデットの首を掴み、壁に叩きつけた。その細腕のどこにそんな力があるのか、アリデットの足が床から浮きそうなほどだ。引き離そうとする他の侍女達の声も彼女には届かない。


「お前達っ、何をしているッ!」


 まるで近くで聞き耳を立てていたかのような速さで騒ぎに駆けつけたのは、王弟のベルヌだった。ベルヌはヤヒーアを突き飛ばしてアリデットを救出した。


「……ベルヌ様、待って」


 ヤヒーアを連行するベルヌの私兵を引き留める。


「ヤヒーア……あなたも陛下に惹かれているのではないの?」

「ええ、陛下は私の全てと言っても過言ではありません」

「じゃあどうして……」

「私とあなたでは陛下に惹かれる理由が違う。私が陛下を慕うのは、あの男がこの世で最も惨めで憐れな生き物だからですよ」

「ランベール様が……憐れ?」

「やめろヤヒーア! お前達、早く連れて行け!」


 騒ぎを見ていた侍女に、今回の件を絶対に口外しない様に脅しつけて、ベルヌはアリデットを連れ去った。




「ベルヌ様、説明していただけるのですよね」


 柄にもなく凄もうとするアリデットを前にベルヌは両手を上げる。

 久しぶりに話すベルヌは、初めてあった時と違い少し小さく見えた。


「……兄上はプライドが高い上に勘もいいからな。まさか自分を救おうとする者がいるなどと知れば、その者を遠ざけてしまうだろう。だから、何も知らないままアリデットが兄上の呪いを解いてくれたら、それが最上の結果だったのだ」

「呪い……またその言葉……」


 その単語が真面目に使われるのを聞くのは人生で二度目だ。呪いや魔術などという言葉は御伽噺の中にしか存在しない。だからこの状況で、王弟たるベルヌの口からそんな言葉が出ることはアリデットにとって理解できない驚きだった。


「ランベール様とヤヒーアはどういう関係なのですか」

「兄上は彼女を何とも思っていないだろうが……そうだな、まずは彼女のことから話そうか」


 ベルヌはテーブルに出しっぱなしになっていた冷めた紅茶で唇を湿らせ、ゆっくりと口を開いた。




 ヤヒーア・カリフ・ハヴァロ。

 それが彼女の本当の名前である。

 三百人たらずの少数民族だが、かつては姫と呼ばれる立場にあった。


 ところがある日、彼女の一族は戦争に巻き込まれて滅ぶ。ただ一人生き延びたヤヒーアはランベールに拾われるも、その時既に彼女は、理不尽な戦争を、戦争のある世界を呪っていた。自分よりも幸福な人生を歩むあらゆる人間に、自分と同じ理不尽を教えてやりたいと考えていた。ランベールに救われるよりも先に壊れていたのだ。


 当然、ヤヒーアを助けたランベールも呪いの対象だった。


 しかし、人の負の面に堕ちたヤヒーアだからこそ気づいてしまった。

 一見恵まれた完璧な人間であるランベールの心の闇に。

 自分よりも、この世の誰よりも、世界を呪っている男がいることに。

 以降、ヤヒーアはどうしようもなくランベールに惹かれた。そしてランベールを見続けてきた。 


 いつしかヤヒーアはランベールに依存するようになる。彼女にとってランベールは、太陽と月、天国と地獄の象徴であり、人生の羅針盤となった。

 自分よりも不幸な人間がいる。そのことが彼女が世界を呪わずにいるための拠り所となったのだ。



「……義姉上のようなまっすぐな人間からすれば、この話を聞いて歪んでいると思うかもしれない。だがこれが全てだ」


 ベルヌがヤヒーアの忠誠心を信じている理由は知れた。

 依存という歪みだ。


 アリデットはヤヒーアから更に詳しい話を聞きたいという衝動に駆られる。しかし、目の前には、ようやく会えた男がいる。ランベールについて、自分の結婚について、最も深く知る男が。


「ランベール様が憐れで世界を呪っている――とは、どういう意味なんですか」

「実を言えば、それは俺にも分からない。ただ……兄上は俺達の犠牲となり怪物になった。その日だけは覚えている……」


 次いで語られるは、ベルヌやランベールがまだ王子と呼ばれていた時代の話だった。




 ランベール達の父は戦争で勝つ事に狂っていた。自分の国が戦争で勝ち続けるため、息子達にも覇者として必要な教育を行ったのだ。獅子が子を千尋の谷に落とすという表現があるが、まさにそれだった。


 そこで、兄弟の中でも飛びぬけて優秀だったランベールは、力を求めることに狂った父親から弟達を守るように才能を誇示し、先王の期待を自分だけに集める。

 しかし先王の期待は留まることを知らない。その才能を見せつけるほど、限界のない神の子を扱うように高みを求め、やがてランベールだけを執拗にしごき続けた。


 そして剣の訓練の最中、事故が起きた。

 その日は先王自ら剣を取りランベールを鍛えていた。いくら天才といえど、その時ランベールはまだ十にも満たなかった。才覚だけではどうしようもない力の差により、ランベールは先王の剣で頭を割られ生死をさ迷った。


 数週間眠り続けてからランベールは目を覚ました。容体が安定して兄弟が再会すると、そこにはそれまでと一線を画す、更なる才能に目覚めた怪物がいた。



「死の果てに兄が何を見たのか我らには分からなかった。弟の中には、兄上は神と邂逅したのだと崇める者さえいる。だが俺の目には……兄上は我々兄弟にも本音を話さぬ、たった一人で世界に奉仕する怪物にしか映らなくなった」

「世界に奉仕する……それなら聖人ではなくて?」

「……怪物だよ」

「つまりランベール様は…………壊れている?」

「その言い方はッ――そうだな……兄上は、あの時なにかがあって、完璧な王族でいることしかできなくなった……」


 アリデットの物言いにベルヌは激昂しかかった。しかし、話を聞きながら頬の濡らしていたアリデットを見て口をつぐんだ。アリデットはベルヌと同じくらいランベールのことを尊敬し、想っていると分かったから。



「…………二年ほど前か、ヤヒーアが俺に報告してきた」


 アリデットの涙が収まるの待ってから、再びベルヌが語り出す。


「とあるパーティーで初めて兄上が自然に笑う姿を見たと」


 王侯貴族の多くが、他者をコントロールし自身の真意を隠すため、感情を装うことに長けている。そんな人物達と比較してもランベールの表情は豊かだ。パーティーで笑みを絶やさぬなど造作もないことである。

 しかし、ベルヌとヤヒーアの間でランベールが笑ったと伝えられれば、その意味は変わる。演技以外でランベールが自然に笑うことなど数年に一度あるかないかの珍事だといえた。


「その相手が義姉上……アリデット、君だった」

「たったそれだけで、ベルヌ様は私を王妃にしようと?」

「兄上のためだけに生きるあの女が勧めたのだ、信じるさ。だが、これ以上を知りたいのなら、本人から聞いた方がいいだろう。そろそろ頭も冷えたはずだ」





 アリデットはランベールの過去を更に探るため、ヤヒーアの閉じ込められた部屋に向かった。

 冷静さを取り戻したヤヒーアは、アリデットに深く頭を下げる。短い付き合いながらもアリデットは感じていた。彼女こそが、この宮殿で最も自分を慕ってくれている相手だと。だからアリデットはすぐにヤヒーアを許した。


「ヤヒーアはどうしてあそこまで怒ったの。正直、あなたは魅力的だし、誰もが私と同じ疑いを抱いていると思うのだけど」

「……アリデット様は、陛下の仮面の厚さをどの程度の物と考えていますか」


 ヤヒーアはアリデットの質問に答えない。その瞳が答える価値もない質問だと語っていた。そしてベルヌから話を聞いてきたという前提で質問を返してきた。


 仮面の厚さ――それはランベールがどれだけ感情を隠しているか。どれだけ他者を偽っているかを問うていた。しかし、不意な質問にアリデットは答えられない。


「陛下にとって、ある意味では全てが真実であり、ある意味では全てが虚構です」

「どっちでもあるって……それだと意味が通らないでしょう」

「その理解が私達の限界であり、陛下という人間との間にある隔絶した壁なのです」


 つまり、まだアリデットにはランベールに辿り着く資格ない。ヤヒーアは暗にそう伝えてくる。


「この世界を呪っていた頃の私でさえ、少しは美味しい物は美味しいと感じたし、僅かですが楽しいと思えることはありました。しかし、陛下には何もありません」

「ランベール様は、感情が限りなく希薄だと言うこと?」

「それも違う……と私は感じています」


 またしてもアリデットの答えは否定されてしまう。

 しかし、ベルヌやヤヒーアの話を聞く内に、アリデットは少しずつランベールの核心に近づきつつあった。


「あの日…………」

「え?」

「あの日、あのパーティーで見かけたアリデット様は……私にはあり得ない存在に思えました。女を穴としか見てないと言われたルモア子爵の息子ですら、あなたの前では初恋に浮かれる少年のようでした。あの陛下が驚きに笑いを漏らすほどのことです」


 ヤヒーアもランベールと同様に、その日は酷く冷ややかな目で貴族達を見ていた。

 公爵が他国から譲られた奴隷同然の使用人を、展示品のように見せびらかしていた悪趣味なパーティー。それがアリデットが来てほんの少しすると様子が変わった。公爵のコレクションを見に来たはずの貴族達も、元々の目的を忘れてアリデットを中心にしてただ賑やかに談笑しはじめたのだ。

 見世物とされる辱めに遭い、昔のヤヒーアと同じ眼をした者達がアリデットに感謝と羨望の眼差しを送っていた。


「まるで魔法使い……太陽も月も関係なく咲き続ける夜の向日葵のようで……だから私はあなたに期待したのです。もしも、あの陛下が救われるようなことがあれば、私も陛下に依存せず、この世界を自分の足で歩けるようになるのでは、と……」


 改めてヤヒーアが頭を下げる。


「私に話せるのはここまでです。アリデット様、どうか陛下をお救いください」

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