第三話
宮殿に来てから幾日か経つも、ランベールとはろくに会話もできないままアリデットは振り回されていた。急遽決まった国王の婚姻の報せを受け、王都で滞在していた貴族や他国の使者がこぞって挨拶に来るのだ。
王妃としての心構えなど出来ていないアリデットには、いつも通りにこやかに笑ってやり過ごすしかない――と分かっているものの、その重圧は計り知れない。国内の社交界では顔を見る機会さえない他国の重鎮まで来られては、名も知らぬ相手に失礼のないように振る舞うだけで精一杯だ。
名だたる人物達から祝福を受けた後には、ようやく準備を終えた豪華絢爛な結婚式、国民に向けたパレードが待ち受けていた。まさに息をつく暇もない忙しさだった。
婚姻に係わる全ての催しが終わったのは、アリデットが経過した日にちを数えることも忘れた頃。宮殿に移り住んでからは一ヵ月も経っていた。
「あーやっと終わったぁ……こんなにたくさんの人からお祝いされるなんて、やっぱりランベール様の人徳ですね」
「ハハッ、私はそのようなモノではないのだがな」
「そんなことありません! 陛下はみんなから愛されてます!」
アリデットの言葉にランベールが笑う。どこか蔑むような仕草も見えたが、稀代の英雄であるランベールが自嘲などする理由もないかと、アリデットも笑って否定し返した。
「確かに疲れましたけど、楽しかったなぁ」
「……平気か、そう言う割には疲れているようだ。なんなら日を改めるが」
「お気遣いありがとうございます。でも私なら大丈夫です」
頬を赤く染めたままアリデットは首を振った。体調が悪いわけではない。今日は宮殿に来て初めてランベールと褥を共にする夜だ。大人の女性に、正式にランベールの妻となる儀式の日とも言える。まだ乙女であるアリデットの頭は、期待と興奮で知恵熱のようになっていた。
アリデットは目をぎゅっと瞑りランベールを待つ。しかし、いつまでも待ってもランベールはなかなか手を伸ばしてこない。
じらしているのだろうか。実は堅物という噂は真っ赤なウソで、女の扱いにも長けた好色王なのだろうか。アリデットは不安に駆られて顔を上げる。すると窓から差し込む月光で、自身を見下ろすランベールの瞳がいつもの慈愛と力強さに溢れたものと違うことに気づいた。
「アリデット……すまない。やはり私には君を愛することはできない。私にはその資格がない」
「…………陛下?」
謝罪するランベールの瞳には、アリデットが読み取れる如何なる感情とも違うものが映っていた。
並々ならぬ頭脳を持った賢王と呼ばれる男だ。元々アリデットにはランベールの考えなど読めなかった。しかし、今のランベールはそうした賢人とも違う。その瞳はまるで底のない井戸を覗いているようだった。
「子爵の息子から救った。その恩と引き換えということで納得して欲しい」
「あの……それはどういう意味でしょうか」
「本来、私は結婚などするつもりはなかったのだ。おそらくベルヌ一人ではないだろうが……いつまでも畏怖の眼でしか私を見られない未熟者かと思えば、私の裏をかけるほど成長していたとは……」
その言葉は、ランベールがアリデットを望んだという情報が嘘だと示していた。ランベールとアリデットの結婚を望んだ者は別にいる。その者がランベールにすら悟られず、覆せぬまでに外堀を埋め、二人の結婚を仕組んだのだ。
「こうなってしまった以上、私の子を生んでもらうしかない。だが君が私を愛する必要はないという意味だ」
「だからそれだけでは訳がわかりま――あッ」
これ以上語る言葉はない。ランベールはアリデットを押し倒す。
アリデットの初めての記憶は、月明りに照らされた美しい天蓋の模様と痛みだけが残った。