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第二話

「なんでこうなったかなぁ……」


 アリデットは紅茶をかき混ぜながらひとりごちる。貧しくなったブラン伯爵領では使えない砂糖をふんだんに溶かして。


 彼女が今いるのは、伯爵家の自室ではなく国王の住まう宮殿の一室だ。子爵のドラ息子と縁が切れた後、実家でゆっくり過ごせたのはたったの三日だけだった。伯爵家にお金はないはずなのに、更に豪勢にされた嫁入り道具を積み直すと、アリデットはまたすぐ馬車に乗せられた。そして辿り着いたのが宮殿である。王都までの道中いくつか父親に質問するも、


「お前は国王陛下と結婚する」

「あああ、あの陛下がついに結婚!? えッしかも私とって……どうしたらそんな話が湧いてくるの!?」

「知らぬ、私も宮殿の使者殿から知らされただけだ。陛下の気の変わらぬ内に、急ぎ娘を連れてこいとだけ言われている。だがよいではないか、あの陛下に選ばれたのだぞ。お前も嬉しかろう」

「それは嬉しいですけど……お父様、誰かに騙されているんじゃ……」

「手紙には王家の印もあった、間違いない。お前は素直に喜んでおけばよいのだ」


 と、父親からは要領の得ない言葉しか返ってこなかった。


 これからアリデットが嫁ぐ相手、ランベール一世はこの国の絶対者にして誰もが知る傑物である。

 容姿端麗、頭脳明晰、聖人君子であるのはもちろんのこと。十代の頃から戦場を駆けた武勇伝は大陸中に轟いている。先代国王亡き後は、ほんの数年で戦の絶えなかった近隣諸国を平定した。その後は、若くして五つの国をまとめる同盟の盟主として君臨している。


 ただ稀代の傑物にも欠点がひとつだけあった。

 唯一の欠点、それは女性に興味を示さない堅物であること。王としての政務一筋。国民だけでなく周辺各国からもランベールの子が望まれているにも関わらず、誰に何と言われようと世継ぎを作ろうとしないことだった。


 ランベールの輝かしい功績は物語に出てくる英雄そのものだ。多少年齢は離れていようと、アリデットにとっても憧れの人であり、そのような人間の相手に望まれたことは名誉である。

 しかし、アリデットは王都のパーティーで一度だけ、それもほんの一瞬交差するように挨拶をした程度の面識しかない。ひとり残された待合室、そして出所のわからない国王と自身の結婚話がアリデットを心細くさせていた。

 ランベールが望めば、大陸一の美姫だろうと誰をも虜にする魔性の歌姫だろうと己の物にできるのに、なぜ自分が選ばれたのかアリデットには不思議で仕方なかった。




「あっ、お父さま……と、ベルヌ殿下?」


 父親が緊張に汗を滲ませながら男と部屋へ入ってきた。共にいるのは目を合わせるだけで身体が震えてしまいそうな鋭い三白眼。獰猛な肉食獣を想起させる男、ランベール一世の弟ベルヌだ。

 ソファーに腰を下ろした後も、ベルヌは無言のまま動かない。静寂が圧力となり、アリデットの隣に座ったブランが脂汗を拭う。


 多くの国民が待ち焦がれた待望の王妃に娘が選ばれたことは、ブランを有頂天にさせたが――全ての人間が国王の婚姻を望んでいたかと聞かれたら、容易に首を縦に振れる問題ではない。

 独り身のまま政務に殉ずると思われたランベールが結婚する。これはつまり、最も優先されるべき世継ぎの誕生を意味する。ベルヌや他の王弟、その子供達が持つ王位継承権が繰り下げられることに他ならない。


「む、娘は…………」

「どうした伯爵、顔色が悪いぞ」

「娘は未熟です。陛下に釣り合うとは言えませぬ。礼節には疎い上、庶民とは身分の垣根を越えて親しくする。興味を持つと好奇心を抑えられず、農家や工房の職人の仕事を覗こうとする始末……ですがッ、アリデットはどんな時も周囲に笑顔を絶やさぬ自慢の娘です。必ずや陛下に、そして国家の母に相応しい妃となりましょう!」


 王弟の反感を買ったままでは、娘の身に危険が及ぶかもしれない。または娘が権力闘争の渦中で罠に嵌まれば、自分にまで火の粉が飛んで来るかもしれない――伯爵の真意はその場にいた二人には分らなかったが、自身を遥かに上回る有力者である王弟を牽制しようという気概と娘を本気で信じているという心は伝わった。


 その父親の姿に、娘も「一度は売ろうとしたくせに」とは口にしなかった。アリデットは腹芸が苦手なため、含みがあることはベルヌにも見え透いていたが。信頼があるのか無いのか、そんな父娘の関係を見てベルヌは小さく笑みを漏らす。


「伯爵、少し外してくれるか」

「しかし……」

「頼む」


 部屋にはアリデットとベルヌだけが残される。宮中では、急に決められた王の婚姻に慌てふためくメイドや警備を厳しくした衛兵がいるはずなのに足音すら聞こえてこない。静謐な空間には奇妙な緊張感が漂う。


「あの……どうして私なのでしょう。父が言っていたように私なんていつも笑っていられるくらいしか取り柄はありませんけど……」


 簡素な自己紹介を終えた後、ベルヌは何も言わずアリデットの瞳をじっと見つめていた。アリデットもただじっと微笑みを返す。


「ほう、この俺をその様な眼で見るか。俺が怖くないのか?」

「外見だけで判断できるほど、私はベルヌ様を知りませんから」

「……なるほど、ヤヒーアの言った通りのようだ」


 そしてしばらくしてから、何かに納得したように頷いた。


「この者なら……の呪いを……」

「呪い?」

「何でもない。兄上を頼む」


 アリデットもブランと同じく、ベルヌは自分を宮殿から追放するために動いているものと思っていた。他の王族の地位を脅かす敵に見られていると。

 なのに、求められたのはごく普通の家族としての言葉だった。健康な赤子を産めという意味だろう。ランベールは妻の助けや支えを必要とするような人間ではない。完成された英雄だと評判だ。しかし、それでは「頼む」という表現はおかしい。

 アリデットは自分が何を託されたのか確認することも許されず、部屋を出るベルヌの背を見送るしかなかった。




 ベルヌと別れた後は、父ブランと共に国王ランベールへの挨拶となる。大貴族たる伯爵家の令嬢といえど、相手が国王となれば、満足に会話すらできないほど身分に差がある。実際、アリデットがランベールの顔をきちんと正面から見るのは今回が初めてだ。


 ドレスの裾を摘み、上品にこうべを垂れる。ランベールから近くに寄るように言われ、目の前に立つとアリデットは改めて自己紹介をせねばならないのに言葉が出なかった。ひと目で心を奪われていたのだ。

 勇壮、賢哲、慈悲、美貌――神が人に与える才能は気まぐれで平等ではない。だが確かに、そこには全てを併せ持った男がいた。

 ランベールは、緊張に言葉を出せないアリデットを見て微笑むと、旅の疲れを労い挨拶は軽く済ませて下がらせた。



「はぁ~疲れた~……でも、噂通り優しそうな人でよかったぁ」


 新たに与えられた自室のベッドに飛び込んだ。信じられないほど柔らかなベッドはアリデットを安らかな眠りへと誘う。

 望まぬ政略結婚が破談となり理想の男と結婚する。まるで全てが夢物語のようで、極度の緊張から解放されたアリデットの中にはもう、嫌悪していたルモア子爵のドラ息子の顔もベルヌとの会話も残ってはいなかった。

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