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先輩とびっくり箱

 先輩が口を結んでおすまししている時の、見ているだけで涙がこぼれ落ちそうになるほどの儚げな空気感は詐欺である。


 実際は、健康とか元気とかよりも、頑丈や使い減りしないという言葉の方が適切な、長期保証オプションを付ける必要もない故障とは無縁の高耐久ボディである。


 また、声も大っきくてべらべら非常に多弁だし、感情も豊か、心の内がそっくりそのまま顔に出る人である。


 もともとの美貌が素直な喜怒哀楽によってさらに彩りを増すため、まあそれはそれで悪いことではないんだけど。ころころ目まぐるしく移り変わってゆく顔色の華やかさも、彼女とのおしゃべりにおける楽しみの一つではあるので。


 だけど、あたしはふと気づいた。


 そういえば先輩のあの表情だけは見たことないな、ということを。


 その顔というのは、『驚き』の顔である。


 幾多の死線を掻いくぐってきた剛の者だけあって、ちょっとやそっとのことでは動じることがない。悪魔化したり光るキノコが頭に生えたぐらいじゃ眉一つ動かさない。豪胆が過ぎている。というか、彼女のちょっとやそっとの基準がおかしい。そんなの鏡見た瞬間心臓止まってショック死する人がいてもおかしくはないレベルだし。

 とにかくもうびっくりするほどびっくりしない人なのだ。


 なので、びっくり仰天、驚きで目をまん丸くした彼女の顔をぜひ見てみたい。


 いついかなるときでも決して揺らぐことない美貌だもん、そんな一面もさぞかしかわいらしいことだろう。それを見たい。


 あたしがいつもビビらされているその仕返しをしたいとかいうわけでは断じてない。


 ということで、今日あたしはとある作戦を決行することにした。


 用意したのはびっくり箱。


 名前の通り、人をびっくりさせること、それ以外の用途を持たない箱である。

 なぜだかあたしはそんなはた迷惑な箱を所有していたので、これを試してみることにした。


 で、その準備なんだけど、罠を設置してその様子を観察するのなら、部室にはあたしの方が先に来ておかなければならないのは絶対である。部室からの距離はあたしのクラスの方が遠いため、急がねばならない。


 幸いにして、今日は担任のお話が短かったので、それが終わるや否や全力ダッシュ、いつもとは違う挨拶が返ってこない部屋の戸を開けることができた。


『ちょっと遅れるので先にお菓子食べててください』との事前に用意しておいた書き置きと、『チョコレートの絵が描かれている四角い缶』を大体いつも使っている机の上に置くと、あたしは教室後方の掃除用具入れの中で先輩の到着を待った。


 ここで問題は先輩がどの向きで座るかである。ちゃんと数えたわけではないけど、概ね五分五分ぐらいの確率なんじゃないかなと思われる。


 教室の前側を向かれたら、計画は台無しである。なので、箱と紙は微妙に教壇側に寄せておき、椅子も始めから後ろ向きにセッティングしておいた。さらに、あたしの荷物もその対面の前向き側の椅子の上に置いておいた。そうしておけば、それらを見るついでの流れでこちら向きに座りやすいんじゃないかなと、うまくいくかは分からないけど、一応の小細工はしておいた。


 と、やがてすぐ、ゴロゴロとドアが開く音がした。


 そのまたすぐ、狭い横長の視界にモッズコート姿の小柄な美少女が入ってきた。


 彼女はあたしが用意したそれらの前まで来ると、どちらも手に取ることはなく、視線だけをやった。

 それから三秒ほど、彼女は鞄を隣の机に置き、コートを脱いでそれも置くと、あたしが用意したその椅子に座った。


 ここが今回の計画における最大の懸念点だったけど、まんまとあたしのもくろみ通りに事は進んだ。いくら先輩の勘と感覚が人ならざる域に達しているとはいえ、この細いスリットからの視線には気付いていないようだ。しめしめ。


『チョコレートの箱』はキューブ型のチョコの絵とポップな英文でデザインされた約十センチ四方の金属缶で、不用意に中身が飛び出さないよう、キツめの蓋によってがっちり閉じられている。

 手に持つと、これは一口サイズの四角いチョコレートがみっちり隙間なく詰められている感じ、というそれはそれは絶妙な質量感を一つの違和感もなく感じとることができる感じである。


 さっそく先輩はその缶をちっちゃいお手てに取った。


 一人なので表情はないけど、好物であるチョコの絵ということで、なんとなく動作も軽やか、嬉しげな様子である。


 なので、彼女に一切の躊躇はない。


 右手の指全部で蓋を引っ張った。


 瞬間、黄色と黒の蛇状のものが先輩の目の前に弾け飛んだ。






 無。






 無だった。


 池に投げ込まれた石は岩と呼んでも差し支えないぐらいの大きさだったはずなんだけど、しぶきどころか波紋すらも立つことはなく、水鏡の模様はわずかも揺らめくことはなかった。


 一切の無。彼女は微動だにしなかった。動けなかったというより、動かなかったという感じだった。


 一瞬の出来事で反応する間がなかったからというわけではなく、別に動けないわけではないんだけどこんなの大したことでもないし特に動く必要も無かったので何もしなかったという、遠くの地で起こった凄惨なニュースをスマホの小さな画面でさらさら流し読みでもしているかのような、まるで他人事みたいな限りなく虚無の反応だったように思えた。


 そうして、薄気味悪いまだら模様の蛇を思わせる柄の布袋の中にバネが仕込まれたそれを手に取ったところで、ようやくほんの少しだけ口角を上げた。


 これにはさすがのあたしも物申さずにはいられなかった。


「ちょっと!!!!!! なんなんすかそれ!!!!!!」


 バーンとあたしがいきなり変なところからすごい勢いで飛び出してきても、相変わらず先輩は視線をこっちにやった以外はびくとも平常なままだった。


「いやお前こそなんだよこれ」


 先輩は余裕しゃくしゃく、箱の中身をぐにゃぐにゃ振った。


「びっくり箱ですよびっくり箱! 分かるでしょ! なんでびっくりしないんですか!」

「いやだって別にびっくりしなかったんだもん」


 やっぱり先輩は驚きの感情というものが欠落しているらしい。


 でも、案の定というかびっくり顔は拝むことはできなかったんだけど、


「てかそれよりもお前これチョコじゃないじゃん……」


 一転、絶望のどん底みたいな顔。


 まあこの表情も先輩にしてはかなりレアなのでよし。


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