先輩と黒板
「先輩。なんかおもしろい話してよ」
海苔あられを一つつまみながら先輩に言ってみたら、
「お前鬼みたいなこと言うんじゃないよ」
彼女は呆れ笑いで、左手にスマホを持ったまま、右手の緑茶の湯飲みを傾けた。
「それはそうなんですけど、あたし今日別に眠くもないのになんか目がしょぼしょぼするんでスマホもいじりたくないんですよね。だからヒマなんで先輩なんかちょっとおもしろい話してくださいよ」
今日はあたしも先輩も宿題はないし、他に特にやることもない。なので、先輩はスマホで時間潰せるけど、あたしは先輩が構ってくれないとつまらない。
「そんならお前が話せよ。私が聞いてやるから」
「いやあたしもできるならそうしたいんですけど、今日目が死んでるせいかマジ話なんも思い付かないんすよ。だから先輩なんか話してくださいよ。今回はあたしがお願いしたことですし、別におもしろくなくても全然いいですから」
「それはそれでなんか腹立つ言い方だな」
「いやそうじゃなくてほんとにマジで心の底からなんでもいいんすよ。ほんとにただ時間潰すだけのやつでほんとマジクソみたいな話でいんです」
「いやでもそんなこと急に言われてもなあ……」
そうは言いつつも、先輩は左手のスマホを置いた。
「おもしろい話なぁ……」
眉間にしわを寄せ、首をちょっと右に傾ける先輩。なんだかんだで結局お願い聞いてくれるのだ。
そうして、周りをゆっくりサーチしていた視線がお茶とあられのあたりでしばらく止まると、
「あ~……、じゃあほんとにおもしろくないかもしれんがいいか?」
なんか思い付いたらしいけど、それにしては冴えない、相変わらずの微妙な表情のままだ。
でも別にいい。考えてくれただけでいい。
「もちろんですよ! ほんとマジでなんでもいいです!」
とは言いながらも、ちょっとの期待はしてるということは否定できないんだけども。
「そうか。んじゃあ嘘をついてやるよ」
そう先輩はちょっと口角を上げた。
「ほう。嘘」
おや? なんか良さそうな雰囲気? やっぱりさすが先輩?
「うん」
と、先輩はあたしの後方を指さして、
「黒板ってちょっと緑色じゃん」
「はい」
あたしはその方向を振り返って答えた。
「あれってなんか真っ黒よりも見やすくなるとかそういう理由で緑なんだってな」
すぐまた先輩の方へ顔を戻し、
「ほう…………。……で、それ嘘なんですか? あたしもそう聞いたことありますけど」
「いや違え。これはまだほんと。で、ここから嘘」
「はあ」
先輩はまたにやりと、口角をさっきより多めに持ち上げた。
「その緑色を出すためにね、材料に昆布が練りこまれてんのよ」
「そんなわけねえ!」
そんなわけなさすぎるので、吹いてしまった。
なるほど。緑茶と海苔巻きのあられと、色と海藻でそこから連想したのかな?
そうしてさらに先輩は大嘘をこき続ける。
「まあ嘘だしな。で、なんで黒板に昆布が使われるようになったかっていうと色が緑色ってのもあるけど、あのねばねばの成分でチョークの乗りがよくなるっていうのもあるんだよ」
「へー。…………。でも嘘なんですよね?」
「うん。嘘だ」
全くひるむことなく悪びれもせず堂々と言い放った。
「だから海苔とかワカメとかも使われたことがあったんだけど、そういうねばねばが少ないのは書き心地が悪いって教師から文句が出て、今は昆布しか使われなくなったってわけ」
「うわーすごい嘘っぽい」
「まあその通り嘘なんだけど、あと昔ちょっと昆布が増えすぎた時期があってさ、それが船のスクリューに絡み付いて故障するってことが多発したんで、海の除草みたいなことして昆布獲りまくって黒板用の無加工のやつはタダみたいな値段になってたっていうのも大きかったね」
「へー。でもそれもやっぱり嘘と?」
「まあそうなんだけど、そうして昆布獲りまくってたら今度は足りなくなっちゃったんだよ。学校ってめちゃくちゃいっぱいあるし、黒板って学校以外でも使うしな。それにやっぱり黒板の材料として売るよりかはちゃんと加工して食用で売る方が儲かるわけだしさ、それで黒板用のもすごい値上がりしちゃってね、だから他になんかいい材料ないかなってなったんだよ。で、緑色のねばねばするやつだったら陸にもあるじゃんてなって、オクラとかモロヘイヤに白羽の矢が立ったわけ」
「へえ。でも嘘なんでしょ?」
「うん。まあ嘘じゃないということは全くないんだけど、やっぱりそのあたりの野菜じゃいまいち色が薄くてさ、ほうれん草とかの色の濃いのを混ぜてみたりしたんだけどそれも駄目でね。結局高くなっても昆布使い続けるしかねえなってことになったんだよ」
これでもかとうんちくを語ってご満悦な先輩。当然、
「でも嘘じゃんっ!!!!!!」
しかし、あたしもそうノリノリで叫んだところ、ここで先輩の様子が微妙に変わった。
「うん嘘だな。でもまあ嘘なんだけど実は黒板ね、やっぱ昆布が練りこまれてるだけあって舐めるとちょっとおいしいんだぞ」
そう大嘘をこいた先輩。でもなんか今までにやにやだったのがにまにまになったというか、雰囲気がちょっと小悪魔感を増したような。
「嘘だっ!!!!!!」
「いやほんとほんと。ほんとに嘘だけどほんのりしょっぱくてほのかに磯の香りとダシを感じるんだよ」
「んなわけあるか! 嘘つき!!!!!」
「いやまあ確かに嘘だけどちょっとお前舐めてみ。ほんとに嘘だから」
ここで先輩の笑みは一段といたずらっぽさを増した。
「え!? 思いっきり嘘って言ってんのに舐めんの!? 嘘なのに!?」
「そりゃそうだよお前。実際に舐めてみないことには本当に嘘かどうか分かんないじゃん」
先輩はにんまりジト目で迫ってきた。
「いや嘘なんでしょ!?」
「嘘だよ」
「嘘って言ってんじゃん! 意味分かんないんだけど!?」
「うん。そうだよ。そりゃ確かにこれは純度百パーセントのまごうことなき完璧な嘘ですよ。でもそれが本当に本物の嘘かどうかっていうのはやっぱりお前がちゃんと舐めて確かめてみないとでしょ。で、実際にお前舐めてみて案の定昆布の味なんか全然しなかったとき、ああ、私の言ってたことはやっぱり間違いない嘘だったんだな、って心の底から思えるわけでしょ。それ実際に自分で経験したことなんだから。他人の私の言葉より自分の実際の経験の方が真実味あるでしょ。百聞は一見に如かずじゃないけど百聞は一舐めに如かずなんだよ。だからちょっと舐めてみ」
「いや舐めてみって百パーセントのまごうことなき完璧な嘘なのに!?」
「百パーセントのまごうことなき完璧な嘘だけどだよ」
「絶対に絶対の嘘なのに!?」
「絶対に絶対の嘘だけどだよ」
満面の最高の悪魔的笑みの先輩。
あたしたちは席を立つと、黒板の前まで来た。なぜなのだ? 本当になんで? でも来た。
先輩はなんかどっかの道のプロっぽい人みたい目つきであちこち黒板をさすると、
「おー、このへん。このへんがねぇ、多分一番味が濃いんじゃないかな~」
彼女の目線のちょっと下あたりに位置するその場所をぺしぺしと指先で叩いた。
「でも嘘なんですよね?」
「そらぁ嘘だよ。まあでもいいからちょっと舐めてみ。ここ。いい味するよ~」
「嘘なのに?」
「まあ嘘だけどまあまあいいからいいから! ほんとに嘘だけどおいしいから!」
うさん臭いことこの上ないにっこにこの先輩。そりゃ全部丸っきり大嘘こいてんだからその表情で間違ってはいないんだけど。
その威勢に乗せられて、ちょっとかがんでその場所に顔を近づけてみた。
「めちゃくちゃ黒板じゃん!!!!!!」
黒板すぎる。遠くからだろうが間近からだろうが黒板は黒板。完全に黒板。一分の隙もない黒板。黒板以外の何物でもない黒い板。食品じゃないにもほどがある。
「いやまあまあまあまあまあそうだけどもちょっとにおい嗅いでみ。海のにおいすっから」
鼻近づけてくんくん。
「なんもしねえ!!!!!」
「そう! その通り! なんたって嘘だからな! でも自分で実際に経験したことで分かったろ? 私の言ってることが本当に嘘だって! 私の言ってることが本当に本当の紛れもない完璧な嘘だったなあってお前が心の底から思えるのも、自分が経験したからこそだろ? だから次は味! ちゃんと昆布の味! 自分のその舌で舐めてみればそれがちゃーんと分かるはず!」
「嘘だってことが!?」
「嘘だってことがよ!」
「本当に本当の紛れもない完璧な百パーセントの嘘なのに!?」
「そう! 本当に本当の紛れもない完璧な百パーセントの嘘だってことが!」
くわっと血走った眼を見開いて鼻息荒く両手ファイティングポーズの先輩。
あまりにもしょうもない。しょうもなさすぎる。
が、ここは逆にだった。
しょうもないなんてもんじゃない、とにかくもうひたすらにしょうもなさすぎるからこそ、むしろ逆に、その顔の勢いに当てられてしまった。
なんでかわからん、本当にわからんけど、あたしは黒板に顔を近づけた。そうして、唇の間からおずおずと舌をちょっとずつちょっとずつ繰り出していった。
やがて舌がもうこれ以上は伸びないとなったところで、顔を少しずつ黒板に近づけていった。
聞こえてくるのは先輩の荒い鼻息だけ。
その静寂のなか、ついにあたしの舌半分とひんやり冷たい固い板が唾液を介して接触した。
「黒板味じゃねえか!!!!!!!!! 騙しやがって!!!!!!!!!!」
「だから一ミリも騙してねえじゃん!!!!!! 私ずーーーーっと、ずーーーーーーーっと最初っから嘘だって言ってんじゃん!!!!!!」
先輩はもう立ってることも無理だった。その場に膝から崩れ落ちてしまった。
黒板の味がどんな味かは説明ができない。黒板味と言うしかない味だった。磯の香りもダシの味などもしない。完全に予想通り、とにかく何の変哲もないごくごく普通の黒板味だった。
なぜだか分からない、本当に意味が分からないんだけど、あたしは先輩に騙されて、そんなものをまんまと舐めさせられてしまった。いやまあ先輩の言う通り確かに騙されてはいないんだけど、これ絶対騙されたとしか言えないのはどういうことなのか、わけが分からない。
なのであたしもしばらくは息できないぐらい笑い転げていたんだけど、それでもやっぱり被害者の側ということで、先輩よりは早く立ち直った。
未だげらげらのたうち回っている先輩はしばらく放置しておくしかないということで、あたしは一旦部屋を出て行った。
そうして、口をゆすいで戻ってきたら、彼女もだいぶ収まってはいた。
「お前まさかほんとに舐めるとはねえ」
真っ赤な目と真っ赤な顔はさっきと変わってないけど、そう喋ることができるぐらいには回復している。
「先輩のせいじゃないですか。舐めろ舐めろって」
「いやでもだから嘘だってずーっと言ってたじゃん。それでも行くって相当だぞ」
「あれは先輩の圧が凄かったからじゃないですか。あれは行かざるを得ない感じの状況に追い込まれたからなんですよ。パワハラとか催眠商法みたいなもんですよ」
「いや私も確かに舐めろとは言ったけど、でも百パーセントの嘘だよってしつこく言ってるし、てかそもそもそんなこと言わなくてもそんなん絶対有り得ねえってのは考えるまでもなく分かることじゃん。でもそれでも行くってのはお前の意思だろ」
「あそこはそういうノリだったからじゃないですか。そういう空気に先輩がしたからじゃないですか」
「いやむしろお前の方がノリノリだっただろ。机バンバン叩いて『嘘じゃん』って連呼するお前の顔、最高に楽しそうだったぞ」
「ぐぬう」
実際楽しかったけども。
「まあお前がおもしろい話しろって言ったんだし」
「ぐぬう」
実際おもしろかったけども。
くそう。
黒板なんてもの舐めさせられた礼に、二度と舐めた口叩けないようその顔べろべろに舐め回してやろうかと考えはしたものの、彼女にとってそれは単なるご褒美でしかないということで思いとどまった。
くそう。




