先輩と903
「じゃあ勝負はどうするの? 何本勝負? 一発?」
そろばん先輩はあたしと先輩を交互に見た。
「一発でいいよ。何度やっても私が勝つから時間の無駄だ」
小生意気な先輩め。
「それはこっちのセリフですよ。猿以上原人未満のくせに」
あたしと先輩のちょうど真ん中で火花が激しく飛び散る。
そろばん先輩は苦笑しながら、
「じゃあいくよ」
勝負の時は来た。
ルールは簡単。問題の答えを先に出した方が勝ち。
練習時の様子からこれは危険だということで、あたしたちのコーヒーカップは料理先輩の前へ、景品であるクッキー一枚だけが載せられた木製の菓子皿はそろばん先輩の前へ退避させられた。
あたしと先輩は体を固く身構えてそろばん先輩を見つめる。
そしてちょうどいい長さの溜めが終わると同時に、彼女の口が開かれた。
「えーと31」
光速フル回転で超計算開始!
(小さい数字! これは右手はあんまり使わない感じか!? 奇数だからまず左手の親指は立てて、2を足して4を足して……、…………!!!!!)
あたしは左手をバーンと机に叩き付けて立ち上がるや否や、全体重を乗せた渾身の右ストレートを先輩の顔面に叩き込んだ。
破裂音に似た甲高い快音に、
(よし!!! 手応ええあり!。やったぞ!!!!)
勝利を確信した。
――んだけど――
もうもうと立ち込める煙が晴れると状況が明らかになった。手応えと思ったのは先輩の左の手の平、あたしの右拳は先輩の顔寸前のところでガードされていた。
一方で先輩の右拳はあたしの頭の右後ろにあった。あたしは先輩の攻撃を見切って紙一重のぎりぎりのところでかわしていた。でもわずかばかりの犠牲も出た。逃げ遅れた髪の焦げたにおいが鼻の中の嗅細胞を刺激する。
「ち…………」
やるじゃねえかと言葉には出さずも、互いにその実力を称えつつ着席。
料理先輩は一人じゃんけんでパーの左手の勝ち。
「引き分けっぽいけどまだやんの? 死人出そうだけど大丈夫か?」
そろばん先輩が失笑しながら聞いてきた。
もちろん答えは二人とも同じ。瞳の炎は勢いを増すばかり。
勝負は延長戦へ。
先輩はじっとうつむいたまま口をきゅっと結んで押し黙り、あたしは大きく息を吐き、問題を待つ。
そしてまたやってきた猫ボイス、
「んじゃ390」
(これはまず256だな! あとそれとあれとこれ!)
あたしもかなり慣れてきた。ものの数秒で答えを弾き出した。
「シャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!!!」
どちらの手も同じ形だけど、やっぱりとっさに動いたのは利き手。全力の右手で先輩の目玉を狙った。
先輩も右目潰しをあたしに!!
――しかしまたしても両者不発。
先ほどと同じく、先輩は攻撃を堂々真正面から受け止める力の防御、あたしはかわして無効化する技の防御。先輩はあたしの右チョキを自身の左チョキで挟んで阻止し、あたしは先輩の右チョキを外側に逃げてすかした。なのでまた右側の髪が焦げた。
あたしの左チョキが余ることになったけど、せっかく作ったのにそれはもったいないということで自分の鼻の穴に突っ込んで有効活用しておいた。
「お前らどう見ても仲良しなんだしもうやめとけよ」
そろばん先輩がサクサクとお菓子を食べながらげらげら笑うなか、料理先輩は両手チョキのにこ顔ダブルピース。ピースサインとは真逆の殺伐とした血で血を洗う戦場の真っ只中だけど。
だからこうなった以上引き分けなんてありえない。もちろん最後まで立っているはあたし。
ということで再延長戦。
そろばん先輩がぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し、カップを置くと、
「132」
「F××K!! F××K!! F××K!! F××K!! F××K!!!」
両手の中指をお互いの顔の前に突き立てる。
闘志を込めて、怒りを込めて
「F××K!! F××K!! F××K!! F××K!!!」
締めにもういっちょ
「F××K!!!!!」
最後のとどめに
「F××××××××××××××K!!!!!!!!!!!」
料理先輩も満面の笑顔で左右にF××K。両手にF××K。にこ顔ダブルF××K。
また席につき、はあはあと肩で息をしながら額の汗を拭った。
さすがの先輩といえども息は乱れ、肌はうっすら上気している。しかしここまで追い詰めたることができたとはいえ、それでもやはり先輩の方に分がありそうだ。大した化け物だ。
だけど負けるわけにはいかない。壁は高いほど燃えるってもんだよ。だから勝つのはあたし。あたしが料理先輩の最後のクッキーを手に入れる。絶対に負けない!
再再延長戦。
――とはいってもあたしの体力はもう限界。なのでここにすべてを掛ける。この戦いであたしか先輩どっちか死ぬことになるだろう。でも悔いはない。勝っても負けてもあたしの全エネルギーを燃やし尽くしてやる!!! いくぞ!!!
「903」
――運命の数――
そろばん先輩の口から現れたその数字があたしの頭の中に光り輝いた。
あたしは限界を超えた。
(1+2+4+128+256+512)
刹那に答えを見た。
あたしはその答えを武器に、攻撃態勢に移行した。
(これですべてが終わる……)
あたしの視界がスローモーションになった。
空を向いて考える料理先輩。
好奇心いっぱい、そろばん先輩の顔。
時が止まったかのよう。
先輩も動かない。
まだそのちっちゃい両手の平を見つめるばかりで組まれてはいない。
(ああ……。これで決まりか……。先輩。出会ってまだ三か月ですけどお世話になりました。思い出される記憶といえば、先輩の無茶に振り回されてこっちまでとばっちりを食らうってものがほとんどですけど、まあでもそこそこ楽しかったですよ。クッキーはあたしがおいしく頂くので先輩は安らかに眠ってくださ………………ってクッキーどこ????)
そろばん先輩の前の菓子皿にあったはずのクッキーなんだけど、その姿はそっくり消えていた。
「あの、クッキーないんすけど」
ちょうど両手を組んだところだった先輩もその体勢のまま停止した。
一体どういうことなのか。あたしと先輩は目をしぱしぱ、キツネにつままれたよう。
と、これまた同じくうきうき二本指スタイルのカンチョーの構えをしている料理先輩が口を開いた。
「さっき猫ちゃん食べてたよね」
全員の視線がそろばん先輩に集まった。
「あ~、なんかおもしろかったし無意識に食べちゃってたかも。ごめんごめん」
猫娘はてへへと頭をかいた。
ここから疑惑の追及が始まる。
「てかなんか問題がやたらと殺傷力の高い形ばっかだったような気がするんだけど」
まず先輩が指摘したのは、あたしも疑問に思っていたこと。
「そんなことないよお。だって最初のは争いなんかやめて握手しよ? って形だし、二問目は両手にピースで平和に行こうよってメッセージだったんだよ」
そろばん先輩はわたわた手を振って弁解した。
「F××Kは?」
「……」
彼女の目線がすいーとこちらに流れてきたので、
「カンチョーは?」
「……」
今度は正面へ。でも、
「そういえば~、国によっては左手には悪魔が宿ってるとか不浄だったりするとかでぇ~、左手の握手は敵意を表すってところがあるらしいよ~」
料理先輩がまだその手をふりふり言ったら、
「それはさすがに知らないって」
猫目をぱちくり。
『は』とは?
「あと~、裏ピースも駄目だったりするよね~」
「それも知らないって」
自由気ままに泳ぎ回る目。
そうして厳しい視線がそろばん先輩に注がれるも、
「あ、そだそだ。私これからちょっと用事あったんだ。じゃね~い」
と悪びれる様子もなく、すくっと立ち上がると、体をくるりと翻してすたこら一目散に去っていった。
なんというか、顔も声も性格も身のこなしもネコって感じの人だった。
「それじゃ~、私も行くね~」
との料理部先輩にクッキーのお礼を言って見送った。
また二人になったけど、先輩はまだ不服そうだ。ぶつくさそろばん先輩の文句を言っている。
でもまあよかったんじゃないかな。だってあのまま続けてたら先輩死んでたもん。
あたしのフルパワーの903でね!!!




