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先輩と抽象画

「うまいこと言ったからって調子乗んなよ?」

「てへ」


 先輩はにやりと笑うと、自分の顔の方に向かって湯呑みを大きく傾けた。


「でも先輩ってちょっとかなり頭おかしいじゃないですか」

「喧嘩売ってんのか?」


「後先なんも考えてなくてばかみたいな直感だけで突っ走るじゃないですか」

「喧嘩売ってんのか?」


「だから芸術家向いてそうじゃないですか。練習したらなんか凄い絵描けそうと思うんですけどねえ。抽象画とか」


 あたしのこの言葉に、先輩の目からまた輝きが失われた。


「いや、抽象画だけはないわ」

「ん?」


「私抽象画滅びろって思ってるもん」


 トーンが下がった声で言うと、先輩は空の湯呑みを静かに机の上に置いた。


 ということで、茶葉はそのまま、またきゅうすにお湯を注いだ。


 先輩はまた先ほどと同様、ほわほわ湯気を立ち上らせる湯呑みの脇に両手を添えながら、語り始めた。


「これは中学の時の二年だったかなぁ、昔の名画の模写をしろって美術の宿題が出たことがあったんだよ」

「はい」


「でも私って絵描くの嫌いじゃん」

「はい」


「だからめんどくさいしとにかく簡単なのをって、教科書だったか補助教材だったかをめくってたらさ、なんか線と図形が何個か適当に配置された抽象画が目に留まったんだよ」


 先輩はさっきの獣神餃子大王と宇宙戦争の右側のページにその絵を描き始めた。


 またあっという間に完了。


 適当な丸と四角が二つ。丸の中はちぢれ麺みたいな波型のうねうね。


「どんなんだったか忘れたけどまあ大体こんな感じ。背景は灰色で、図形はなんか色が付いてたかな。それも何色だったか忘れたけど」

「よくある抽象画って感じですね」


「うん。だからこりゃあいいやと十分ぐらいで写せそうなこのラクガキを題材に選んだんだよ」

「はい」


「で、描き始めたんだけどさ、でもそうしたらそうしたでやってるうちに完成度を上げてみたくなっちゃったんだよね」

「へえ」


 へえ。先輩自分が興味ないことは絶対やらないし、そのあたり今とはちょっと違ってるかな? でもより高みを目指すために努力をするって部分では変わってないのかな?


「で、各パーツの位置関係を定規と分度器を使って正確に測ったり、縮尺を変えるために電卓で計算したり、微妙な色の配合にも苦心したり、点々と付いてる汚らしいシミやら塗りムラやらも一つ残らず完璧に写し取ったりして、気付けば数時間、水彩でありながら油彩の本物と区別が付かないぐらい寸分の狂いもない、素晴らしい落書きが完成したんだよ」

「おお」


 ってでも抽象画ってそういうことなんだろうか? と疑問には思った。努力の仕方が間違ってるのはやっぱり今と同じような気がする。


 先輩はにやりと笑いながら、右手で持った湯呑みの底を左手で支えてお茶を飲み、一呼吸置くと、


「で、それ提出したら、呼び出されてめちゃくちゃ怒られたんだよね」

「むふ」


「そりゃたしかにただのやっつけにしか見えんかもしれんけど実際そっくりだし、時間も凄い掛かってるし、普通の絵をマネするより全然大変だったし、そもそも教科書に載るぐらいの絵なんだからそれ選んで何が問題なんだよ、との言い訳も聞く耳持たずでさ」

「ありゃ」


「そんなことがあって以来、絵を描くのがさらに嫌いになったし、抽象画許すまじってなったんだよ」

「あ~」


「まあだからあれだね。私が絵を描いてもロクなことにならんのだよ」

 先輩の目に黒い炎が揺らめいている。


「そんなぁ。この餃子くんとか結構いい味出してんじゃないですか~」

 と一応のフォローを入れてみたら、


「餃子だけにか。うまいこと言ったからって調子乗んなよ?」


 ちょっと目に生気を取り戻してくれた。


 そうして先輩はお茶を一口ごくりと飲み込むと、また語り始めた。


「でもさ、あの美術教師は絶対向いてないと思うんだよな」

「そうかもですねえ」


「美術を教えるならもっと自由な心を持ってないといかんよな」

「ですねえ」


「だからあの学校で絵を描くのが嫌いになった子たちが私の他にもいるんじゃないかと思うんだよね」

「かもですねえ」


「だからあの教師は本気で子供に美術を教えたいんなら美術教師じゃなくてタイムトラベラーになるべきだったと思うんだよね」

「ん?」


「んで過去に戻って未来の抽象画家たちが変な気を起こさないよう子供のうちに、『そんなしょうもないわけわからんラクガキ書いて喜んでんじゃないよ』って片っ端から心をへし折って回れば、現代で理不尽な説教食らってその芽を摘み取られる子供たちはいなくなってたと思うんだよな」

「はあ……」


 いつの間にか恨みの矛先は美術教師から抽象画家たちへと変わっていた。えらいとばっちり。先輩はさらに目を血走らせ、


「いや? そんならもういっそのこと私が行っちゃうか? そいつら全員私が直々にブチのめしてきたら抽象画みたいなわけ分からんもん無くなってんだろ!」


 怒れる先輩。この人ならやりかねない。あたしも抽象画とか意味分かんないけど、どうにかしといた方がいい気がする。


 ということで、


「先輩。なんか先輩の絵見てたら無性にラーメンと餃子食べたくなったんで帰り寄ってきましょう」

「いくいく~」


 ちょろい。


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