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コヨーテの娘  作者: あぐさん
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美緒は夢を見ていた。


真っ暗でどこにいるのか分からない。

手を伸ばして恐る恐る動いて見たが、指先に触れるものは無かった。

遠くで子供の泣き声が聞える。


えーん、えーん。

えーん、えーん。

しくしくしく。


遠くで車のエンジン音が聞えた。


と、不意に音が消え、景色が現れた。

小さな部屋の中に美緒は立っていた。


小学生の勉強机。

窓からみえる電柱。

タンスに貼られた、魔女っ子シール。


 ―私の家。私の部屋。


美緒はぐるりと周りを見渡した。

それは確かにまだ両親が生きていた頃、美緒が住んでいた家だった。二階の階段を上ってすぐ右側の部屋、それが美緒の部屋だったはずだ。

ふと眼を落とすと、目の前に二人の少女が向かい合うように座っていた。

まだ、幼い幼女だった。


「ねえ、美緒ちゃん」

 少女が口を開いた。


 美緒は自分が呼ばれたのかと思って驚いた。しかし、少女は美緒ではなく向かい合った少女を見ている。二人には美緒は見えていないようだった。


「どうしたの、亜美ちゃん」

 美緒と呼ばれた少女が答えた。


 ―これは私と亜美。そうだ。昔、亜美という少女とよく話をしていた。


「美緒のおでこなんか変だよ」


 そういって亜美は美緒の額に手を伸ばした。

「ほら、おでこにでっぱりがある、角みたい」


 ―角。


 ふと、瀬名の顔が脳裏に浮かんだ。

 瀬名の額から流れる血。それを押さえる手。

 あの時、瀬名の指の隙間から見えた物。それは角ではなかったか。


 ―瀬名君。


 そう呼んだ時、ふと身体が浮き上がるような感覚があった。

 全ての景色が歪み消えていく。

 美緒は、眠りの中から急速に覚醒していった。



「おねえちゃん」

美緒が目をあけると、義妹である真由の心配そうな顔が目の前にあった。

あわててベットから上半身を起こす。


「真由、どうしたの?」

「おねえちゃん、なにかうなされてたよ」


どうやら、何か寝言を言っていた美緒を心配して、隣の自室からやって来たらしかった。


「あ、なんか怖い夢みてたきがする」


 美緒はとっさに、そうごまかした。


「びっくりしたんだからー」


 真由が中学生特有のやわらかさで美緒に抱き付いた。


 真由は本当の姉のように、というよりは本当の姉以上に美緒を慕っている。

 昨日も膝をすりむいた美緒に、泣きそうな顔で消毒して絆創膏を貼ってくれた。そんな優しい真由を美緒も本当の妹のように思っている。

 美緒はごめんごめん。と真由の頭をなでて、


「よし、義母さんのお手伝いしようか」


 とベットから、よいしょ、と立ち上がった。


「えー、私はもうすこしねるよー」


 と真由は入れ違いに美緒のベットにもぐりこみ。


「おおー、あったかい」

 と、布団の中でまるまった。


 美緒は、そんな真由の姿に「こらっ」と笑いながら怒っておいて、うーんと大きく背伸びをしてから部屋を出る。

 台所に行くと義母が味噌汁を作っていた。


「あら、美緒。おはよう」

「おはよう、お義母さん。手伝うよ」


 美緒がエプロンをして義母の横に立った。


「ありがとう美緒。真由はまだ寝てるのね。たまにはあの子も手伝わないかしら」

 と義母は優しく笑った。


「お弁当のコロッケ揚げるね」

 と美緒は冷蔵庫の冷凍室を開きながら言った。

美緒の脳裏に瀬名の言葉が浮かぶ。


『練習台かよ、こええな』


 ―ええ、料理がんばりますとも。



 その日、瀬名は学校を休んでいた。

 始業のベルが鳴り終わっても、美緒の隣の机はぽっかりと空いていた。


美緒は一時限目が終わると同時に、教室を出て凛のクラスへと向かった。凛ならば何か知っているかもしれない、と言う思いからだった。

開きっぱなしになっていた、凛のクラスの後ろのドアから中を覗き、教室の後方へと視線を向ける。身体の大きな凛は、後ろの人が黒板を見にくいという理由で一番後ろの席になった、と前に聞いていた。

そこに凛はいた。


周りの男子よりあきらかに頭一つ大きい彼はよく目立つ。ほかの男子二人と机を囲んで何かしゃべっていた。

美緒は教室に入ろうとして躊躇した。突然ほかのクラスに入って、男子に声をかけるというのは、結構勇気がいることでもあった。


 ―もう、なにやってるの、私。


そう自分をけしかけて教室に入ろうとした時、凛と話していた男子ひょいと美緒に気付く。凛もそれにつられるように顔を向ける。

視線が合った。


「倉科さん」


 凛がガタリ、と椅子引いて立ち上がり、嬉しそうに美緒の方へと歩く。

 うらやましいねえ。

ほかのクラスの女子にもう手をつけたのかよ。

等と、周りのお調子者の男子の声が上がる。

美緒の顔がみるみる紅く染まる。


「うるせえ、違うぞ」


と否定しながら凛は足早に廊下に向かう。だが、その顔は少しにやけていた。

否定はしたものの、まんざらでもない凛であった。


「で、どうしたんだ」

 と、凛は廊下に出た。


ドアの影に隠れていた美緒の左膝があらわになる。そこには少し大きめの絆創膏が貼ってあった。

 凛は思わず美緒の脚を覗き込むように、視線を落とした。


「ケガしたのか」

 優しい声だった。


「あ、うん、ちょっとコケちゃって。大丈夫、たいしたことはないんだ。義妹が大げさに絆創膏貼っちゃって」


 美緒はそこを見られるのが恥ずかしい、とでもいうように左足を後ろに引く。

 華奢で小柄な自分の身体にコンプレックスを感じている。そこを男子に凝視されるのは少し恥ずかしかった。


「そ、そうか、気を付けないとな」

 凛はあわてて、美緒の顔に視線を戻す。

「あ、それで瀬名君なんだけど」

 美緒が不安そうな顔で、凛を見上げるように見る。

「瀬名?」

「昨日、電話で体調悪いって言ってたんだけど、今日も休んでるの」

「そうか、あいつ昔から頭痛で学校休むことがあったからな。今日の帰りに瀬名の部屋によってみるかな」

「うん、それで、あの、私、心配だから……」

 そこで美緒は言いにくそうに口ごもった。


 凛はしばらく腕組みをして不思議そうに美緒を見ていたが、やがて全て理解したとでもいうように笑い出した。


「わかった。俺が行くよりそっちの方が、何十倍の特効薬になるかもな」

「だ、だといいんだけど」

 美緒は少し困ったように、そう笑ってみせた。



瀬名の部屋は線路沿いのワンルームマンションの二階だった。

築二十年以上で家賃もそれほど高くないと聞いていたが、外観はそれほど古くは見えず意外に綺麗だった。

美緒は買い物袋を片手に、勢いでマンションの前に来て見たが、いざチャイムを押すのがためらわれる。

二十分近く部屋の前で固まっていた。そんな自分に嫌気が差して、美緒は思わず大きな溜息をひとつついた。


「よし!」


 決意の掛け声と共にチャイムを押した。

 部屋の中で何かが動く気配があった。しばらく待っているとガチャと鍵の開く音。ドアが勢いよく開いた。


「倉科さん」


 驚いたような瀬名の声だった。

 どうして? と顔に書いてある。


「あの、凛くんに聞いて、それで、心配だったから、あの、来て見ました」

 声がうわずっているのが自分でも分かった。


 いきなり行って驚かしてやれよ、と言う凛の言葉に従ったのは、間違いだったのかもしれないと美緒は後悔した。

「ま、まあ、上がれよ。きたない部屋だけど。寝込んでたんで大目に見てくれ」

 瀬名も明らかに緊張した素振りだった。


「おじゃまします」

 瀬名の後ろに付いて靴を脱ぎ中へと入る。男の部屋に入るのは初めてだった。思わず中を見渡してしまう。

ドアを開けると右にキッチン、左にユニットバス。その先のカーテンで仕切られた部屋の真ん中には小さめのテーブルが一つ。左端に敷かれたままの布団。寝込んでいたわりには綺麗な部屋だった。

 瀬名は「ちょっと待ってろよ」とあわてて布団をたたんで、部屋の端っこに追いやった。


「もう、調子はいいの? 無理してない?」


 美緒はテーブルの前に座ってそう訊いた。見舞いに来て逆に気を使わせては本末転倒になってしまう。それが気がかりだった。


「あ、ああ、薬飲んでるから、とりあえず頭が痛いのと熱はおさまってる」

「そう、よかった。あのそれじゃ、なにか作ってあげようか?」

「えっ料理?」

 瀬名が不安な眼つきで美緒を見つめる。

「大丈夫。お粥くらいなら作れるもん。義妹が寝込んだときとか作ってあげてたから」

 美緒は少しふくれてそう言ってみせた。

「そっか。人体実験はすんでたか」

 瀬名はそう言って、楽しそうに笑っている。

「もう、みてなさいよ」

 美緒はそう言い、キッチンへと向かった。


 昆布で出汁をとり病人用のシンプルなお粥を作る。私にだってそのくらい出来るんだから。とキッチンのドアを開けると、意外にも土鍋がしまいこんであった。ほかにも色々な包丁や、圧力鍋やフライパン、中華鍋等も置いてある。美緒がよく知らないような調味料までそろえてあった。


「土鍋なんてあるんだ」


 驚いて美緒はそう口にした。

 もしかして、料理とか作りに来てくれる人――女性がいる。そういう考えが脳裏に浮かんで美緒は不安になった。だとすればまさに美緒はピエロである。


「ん、ああ、母さんが引越しする前においていったんだ。調理器具ならけっこうある。料理は結構得意な人だから。まあ、俺はつかわないんだけど」

「へえ……」


 美緒はホッと胸をなでおろしながらも、瀬名の母の残した調理器具の数々に、プレッシャーは高まるのであった。かなり料理に精通した人に違いないからである。料理の腕はきっとはるかに及ばないに違いない。

 しばらく固まっていた美緒は、考えていてもしかたがないと土鍋を取り出し、コンロの上に置いた。ガスコンロである。火をつけると火力も十分だった。


 ―よし、これならいけるわ。


 と美緒は早速調理を始めた。

 なんとか美味しく出来ますように、と心の中で祈る。


「凛に俺の部屋の場所を聞いたって言ってたな」

 不意に瀬名が訊く。

「うん、凛君がね『いきなり行って、びっくりさせるのなら、教えてやる』って言うんだよ。ひどいと思わない?」

「あいつ、そんなこと言いやがったのか」

「で、由美子に相談したらそれに悪乗りしちゃって、『そーだ、そうしなさい。瀬名くんがどんな顔するか、明日教えなさいよ』って」

「由美子のやつ。あいつの嬉しそうな顔が、眼に浮かぶのが腹立つな」

 瀬名は楽しそうにそう答えた。


 美緒は料理をしながら、背中越しにする会話に幸せを感じていた。


 ―なんだか、新婚家庭?


 ふと何気なくそう思ったあと、その考えに顔が真っ赤に染まる。

 瀬名に背中を向けていたので、悟られずにすんだのが救いだった。見られていたら『すぐ真っ赤になるね、赤面症?』等と言われるに違いと美緒は思う。


「瀬名君は病人なんだから。薄味で作るね」

 美緒は『薄味すぎるよ』と、後で言われないように、最初にそう念をおしておいた。

「―」

 瀬名からの返答はなかった。

「瀬名君?」

「―」

 返事が無いのを不審に思い、美緒は瀬名の方を振り返った。

「瀬名くん!」

 思わず叫んでいた。

 そこには瀬名が右手で額を押さえ、苦しそうにテーブルに前かがみに倒れ込んでいた。身体が小刻みに震えている。


「大丈夫?」

 美緒は瀬名にかけよろうとした。


「くるな!」

 それは瀬名のはっきりとした拒絶の叫びだった。

 美緒はビクリとして立ち止まる。


「で、でも」

 瀬名は息苦しそうに肩で呼吸をしながら、顔を美緒に向けた。右手はずっと額を押さえたままだ。


 ―あれは角?


 昨夜の夢が一瞬頭をよぎる。


「帰ってくれ」

 瀬名はそう呻くように、頼むように、言った後、左手だけで薬のビンを開けて錠剤を飲み込んだ。


「分かった。帰る。帰るから、とりあえず布団に」

 美緒はたたんである布団をひきなおして、瀬名を寝かせようと近づく。


「いいって言ってるだろ!」

 瀬名は美緒の肩を左手で掴み、玄関へと押した。病人の左手一本――たとえそれが男であるとしてもその力は異常だった。華奢な美緒の身体は、軽々とつき飛ばされたように、壁ぶつかった。


「きゃ」

美緒は思わず悲鳴をあげて倒れ込む。


瀬名も自分の力を制御出来ないとでもいうふうに、畳にそのまま倒れ込んだ。

 瀬名の額を隠していた右手が下がる。

 美緒は見た。

額をさらさらと流れていく美しい黒髪の、その中央にひとつ。

白磁のように、

雪のように、

白大理石のように、

白く、ただ白くあるもの。


 ―ああ、なんて綺麗なんだろう。


 美緒は驚きよりも先に、ただそう思った。

 それを言い表す言葉は、ひとつしかないだろう。

 角と。


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