由美子
高校から続くなだらかな坂を下り、右に曲がると駅前のアーケード商店街に出る。夕刻には賑わう商店街だったが、まだ午前十時というこの時間では、入学式を終えた学生達がわずかにいるだけだ。
「ねえ、美緒。瀬名君達となに話してたのよ」
由美子が、ちらりと前方五十メートル先を歩いている、瀬名と凛を見ながら訊いた。
「べ、別に、由美子だっていたじゃない」
「私が来る前よ、来る前」
特に何が有ったというわけではないが、そう突っ込まれるとついついあわててしまう。
「え、えっと、挨拶してただけだよ」
「ふーん、手なんか握りあってたからなあ」
「ち、ちがう、握手よ、あくしゅ」
「わーかってるって、むきになっちゃって」
由美子が嬉しそうに笑っている。
美緒は、もう、とふくれる。
「ね、いってみようか」
不意に由美子が言った。
「どこに?」
「あ・そ・こ」
由美子の指差した先には、瀬名と凛が歩いていた。
えっ、と美緒が言う前に、美緒を置き去りにして走り出した由美子は、瞬く間に前の二人に追いついた。
由美子はそのままオーバーアクションで二人としゃべって、美緒に振り返り、おいでおいで、と手招きする。
凛も振り返り「よう」と手を上げている。
瀬名は少し斜にかまえたように美緒を見ていた。
美緒は急いで三人に追いつこうと走った。
「ゴール」
ようやく追いついた美緒に向かって、由美子がさも楽しそうにそう言った。まるでマラソンを走り終えたランナーである。
「そんじゃ、帰ろうぜ」
と、凛が楽しそうに言った。
「で、弓さんと、倉科さんは家どこなんだ」
と瀬名が聞いた。
ほらほら、と由美子が美緒の背中を押す。美緒はあわてて口を開いた。
「私も由美子も駅のもうちょっと先、二人はどこなの?」
「俺と凛は、電車で二駅先だ。なら、駅まで一緒に帰ろうか」
「うん、いこいこ」
と由美子が先頭をきって歩き出した。引っ張られるように他の三人も歩き出す。
「瀬名君に凛君かあ、いい名前だなあ。私なんて弓由美子だよ。ゆみゆみって!。親の神経をうたがいたくなるよ。あ、それとゆみゆみってよばないでね」
「かわいいじゃない」
美緒がそう言うと、
「それはねえ、まっとうな名前をつけてもらえたもののみ言える言葉だよ」
由美子は大げさに頭を抱えた状態で首を振って見せる。
そのしぐさが可笑しくて美緒はクスクスと笑った。
由美子もにっこりと笑う。くったくのない、誰でも誘われて笑ってしまう、そんな敵のいない笑顔。
「二人ともこの辺に住んでんのか。そうだ。この辺で美味しい飯屋とかしらない? 俺んちの周り、たいしたのがねえんだよな」
瀬名もつられて少し笑いながらそう訊いた。
「瀬名、うちに食べにこいよ、かあさんもたまには呼びなさいっていってるしさ」
と、凛が瀬名の背中を叩く。
「あれ、瀬名君は家で食べないの? 共働きとかなのかな?」
美緒は瀬名から目線をそらしながら訊く。直接、眼を合わせるのは緊張したからだ。
「俺、いま一人暮らしなんだ。母親が転勤で、先月から海外いってんだ。俺だけ日本に残ってる。親父は小さい頃、死んじまって」
「で、うちの母親が、こいつの面倒をみたりしてたってわけ」
と、凛が瀬名の肩に手を置きながら続けた。
「そ、そうなんだ、ごめん悪いこと聞いちゃったかな。あ、でも私も両親は亡くなって叔父さんに引き取られて育ったの」
あわてて美緒がとりつくろうとするが、これは逆効果だった。
「そ、そうなのか」
瀬名と凛の顔にありありと同情の色が浮かぶ。
しまった、雰囲気をさらに悪化させている、と美緒はあわてて口を開く。
「あ、でも、叔父さんも叔母さんも、ほんとの子供みたいに育ててくれたんだよ。だから、心配されるようなことはないよ、うん」
「ま、双方、気にしないってことで」
と由美子が、瀬名と美緒の両方の肩をしっかりつかみ、
「まあ、あれだね。かっこいいねえ、アメリカ赴任って。ひょっとしてその美貌はハーフとかクォーターとかなのかな」
と、瀬名にウインクしながらにこりと笑った。
由美子の明るく澄んだ声に、沈みかけた雰囲気も再び浮上を開始する。
「ちがうって、純正国産だぞ、俺は」
と、瀬名が苦笑する。
また由美子に助けられたよ。と美緒は心から感謝するのだった。