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コヨーテの娘  作者: あぐさん
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ずれていく

「彩子さん、久遠さん。お先に失礼します」


 バイトやパートの人達が元気に帰宅すると、『スーパーさよ』の一日が終わる。


このスーパーマーケットは三階建てのビルの一階を、その店舗として設計されている。広さは少し大型のコンビニといった所で、その陳列されている商品も、食料品の他に日用品等が多く置かれている。スーパーというより大型のコンビニエンスストアといった風情だった。近くに大学や高校などもあるため、主婦と同じくらいに若い男性や女性の客も多い。


もっとも、その客の目当ては売っている品物だけではなかった。その目的はひとつにして単純である。

店長の彩子が美しいからだ。


その美貌に容赦がないからである。


それはただの美女ではない、絶世といってもいいものだ。美しく光りながら柔らかくカーブを描く長い髪。見たものを捕らえて離さない漆黒の瞳と、それを縁どる長い睫毛。完璧なラインを描く眉。紅く、ただ紅く妖しく濡れ光る唇。抜けるように白く艶やかな肌。圧倒的なくびれを持つウエスト、少しだけ大きめな腰のライン。ねっとりと吸い付くような太腿。およそ欠点を見つけることの出来ないその容姿は、憧れの人として女性客すら引き付けている。


悪魔のような闇の美貌の女店主だった。


いつもは店の奥にいるため、来店時にその顔を拝めるというのは、実に幸運なことでもあった。店内で彩子会いたさに粘り続ける客もいるが、そのような不届きものはパートのおばちゃんに「彩子ちゃんは忙しいんだよ!」などと言われながら引きずり出されるはめとなった。


もうひとつ付け加えるなら、その経営手腕も相当なものだ。大手のコンビニや、スーパーに対して一歩も引かず、この近辺では『スーパーさよ』の一人勝ちといってもいいほどだ。パートやバイトへの指導力も高いらしく、親のすねをかじることだけが得意だった学生達が、昔テレビでみたどこかの国の軍隊のように一糸乱れず的確に動く、それでいて男女問わず彩子への高い忠誠心を持つようになる。まさに無敵の女だ。なぜそのような女がスーパーの店主に甘んじているのかが、この界隈の最大の謎であった。


 久遠は、そんな彩子の後姿―というよりは、形のいい腰のラインと、残念ながら現在ロングスカートに隠れた長い脚を横目に、店の奥にあるドアを開け階段を上り始めた。


このスーパーは二階が事務所、三階は居住スペースとなっている。

男である久遠の立場は、彩子の保護者兼同居人である。なぜ店主の彩子が保護者を必要としているかといえば、驚くべきことにあの美貌にして、まだ十代であるからだ。


ひょんなことから彩子の姉と知り合った久遠は、その姉がある事件で亡くなった後、ひとり残された彩子を引き取ったのだ。

その姉を愛していた。理由はそれだけで十分だった。


引き取ったといっても養子にしたという訳ではなく、立場は同居人だ。

一応スーパーは、彩子との共同経営ということになっているが、久遠の本業は別にある。しかし「暇な時は手伝いなさいよ。共同経営者なんだから」と彩子に言われ、手が空いているときは店を手伝っているのだ。本業が力仕事でもあるので、将来のことも見据えてスーパーを経営しておくのも悪くは無い、と久遠は思っている。


ともあれ、久遠は一日の疲れをとるために風呂に入ろうと、階段を使って三階に向かう。風呂は三階の居住スペースにあった。


三階まで一気に駆け上がり、ドアを開けてリビングに入る。このリビングを中心として久遠の部屋、浴室、キッチン、彩子の部屋等へと繋がっている。

久遠は浴室のドアを開けて脱衣場に入り、洗剤とブラシを取り出した。


今日は湯船につかるぜ。などと考えながら風呂の掃除を始める。いつもはシャワーだけですませていが、疲れた日はゆっくりと湯船につかりたかった。


 洗剤をバスタブに注ぎ込み、ブラシでゴシゴシと磨く。久遠の口元から鼻歌が流れた。曲名は知らないが最近よく聞くコマーシャルソングだ。浴槽に泡立った洗剤をシャワーで流すと、怨めしそうに、泡がゴボゴボと排水口へと流れ落ちていく。


「ん?」


 そう言って久遠は顔をあげた。シャワーの音にまじった電子音が聞える。

久遠がシャワーを止めると、はっきりとチャイムの音が聞えた。

来客だ。


「なんだよ。もう」


などと愚痴りつつ、濡れないようにとたくし上げた袖を下ろしながら、浴室を出る。


「よろしくね」

 とキッチンから彩子の声がした。


 スーパーが閉まった後で、客が「欲しいものがある」と来ることも考えられるが、久遠の本業の依頼人という可能性もあった。

濡れてしまった袖を気にしつつ、インターフォンを耳に当てた時には、既に久遠の顔と声からは不満の色は消え失せていた。もしこれがスーパーの客であれば、不機嫌に対応すると彩子の機嫌が悪くなるからだ。


「力を貸してほしいんです。友達を助けてほしいんです。」


久遠が声を出す前に、しゃべり出した。

緊張しているのか少し声が震えている、若い女の声だった。


「少しお待ちください。」


どうやらスーパーの客ではないようだ。と一階まで下りてシャッターを開くと、立っていたのはまだ十代とおぼしき少女だった。

右手には白い封筒のようなものを、硬く握り締めている。

高校生だろうか。華奢で儚げな少女といった容姿は、さぞかし男子生徒には人気が高いだろう。こんな子がバイトに来てほしいものだ。などと表情には出さずに考えながら、少女の足元に眼を落とすと、プリーツスカートの裾から覗く、細くて白い脚の膝に、少し大きめの絆創膏が貼ってあった。


「えーっと、なんでしょうか」


 久遠はしゃべり出そうとしない少女に聞いた。

手持ち無沙汰だった。


「すみません、こんな夜遅く。でも、ここしかもう頼るところがないんです」


 ようやくしゃべり出した少女の潤んだ眼に見据えられた久遠は、頭を掻きつつ、やっぱりそっちの仕事か、と心の中でつぶやく。

 久遠のもう一つの職業。形容する言葉は『何でも屋』か『探偵』か『請負人』か『ボディーガード』であろうか。

用心棒から迷子の猫探しまで何でもやる、それが久遠の本来の仕事だった。

知り合いの刑事からは、『何でも屋』と呼ばれている。その刑事が言うことには「一番胡散臭くて、便利屋みたいだからそう呼んでやる」ということだそうだ。

 久遠は少女の顔をしばらく眺めていたが、ふと何かに気づいたように、その視線を少女の後ろ、五十メートルほど先の曲がり角に向けた。

 そこに誰かがひそんでいるような、気配を感じたためである。

その場所を、眼を細めて凝視すること十五秒。

 すねたように唇を尖らせて「ふん」と久遠は鼻を鳴らして、少女に視線を戻し、


「ここではなんなので、とりあえず奥の階段で二階の事務所に上がっていてもらえるかな。俺はちょっと用事を片付けてからいくから」

 と言った。


「あ、はい」


 少女は言われるままに店に入り、二階へと階段を上っていく。

その姿が完全に階上に消えてから、久遠は店の外へと向き直る。いまだに気配のする道の角へ。そのまま久遠は、ちょっと自動販売機でビールでも買ってくる、とでもいうふうに、ふらりと外へ出た。

 そのまま三十メートルほど歩き、


「出てこい」


 と、曲がり角の方に向かって声をかけた。

 曲がり角は答えない。

 無言を貫く。

 二十秒ほどの静寂の後。


「こっちから行こうか?」


 久遠がそう凄むと、曲がり角の壁の向こうから、男がひとり歩み出た。

 身長は百八十センチ以上、何か武術をやっているのだろう、タイトなTシャツの上から鍛えた筋肉がよく分かる。

 自分の肉体をひけらかしたいタイプだろう。

男は無言で両手を身体の前に構えた。


「いきなり暴力に訴えるってか。まあこっちは正当防衛ってことで」


 久遠はそう言った後、軽く腰を落とす。両手は軽く握ったまま、特に構えてはいない。

 じりじりと男が動き出す。少しずつ前へ、前へ。

 その距離が三メートルにまで縮まった時、「おらっ」という掛け声と共に、男がスピードを上げて、久遠との距離を一気に縮めた。

男の右ストレートが、久遠の頭部へと飛ぶ。

 二人の身体が交錯する。

 男の顔が一瞬揺らいだように見えた。

 久遠は頭を軽く右に傾け、あっさりと男の右拳をかわしていた。

男は右手を前に突き出した姿勢まま、固まったように動かない。

 久遠の右拳が、男の拳をかわしながら、カウンターで男の顎を捉えたからだ。

 男の身体が、まるで泥酔したかのようにグラグラと揺れ、久遠の足元に崩れ落ちる。


「おっと」


 久遠は右足の甲を、崩れ落ちる男の頭の下に滑り込ませ、地面に男の頭部が激突しないようクッション代わりにしてやる。

 男は白目をむいて意識を失っていた。


「俺って優しいなあ」


 久遠は左足で男の頭部を支えながら、満足そうに、にやりと笑った。



「で、力を貸してほしいとは、どういうこと? ああ、その前に名前を聞かせてもらえるかな」


 久遠は事務所の二階に上がった後、そこに待っていた少女にそう言った。

 少女は驚いたような表情をして、久遠を見つめている。久遠が気絶した男を、背負って来たからだった。

 久遠は、男を投げ捨てるように、事務所の端に転がした。

事務所とはいっても純和風のただの居間である。真ん中にはテーブルがひとつ置いてあるだけだった。

少女は、意識を失った謎の男を見つめている。それは当然の反応だろう。


「あ、こいつ、いきなり襲って来たんで返りうちにしてやった。俺を狙っていたのか、それとも君がつけられていたのかは分からんけど」


 久遠がそう告げると少女は驚いたように「私をつける……」と言って右手で胸を押さえた。


「とりあえず、座ってくれ」


 久遠は座布団を、テーブルの横に向かい合わせて二枚敷く。

 少女は久遠のすすめに従い、スカートを気にしつつ、テーブルをはさんで、久遠の前に正座した。

 座り姿が美しい。いまどきめずらしいな。と久遠は感心した。


「あの、聞いたんです。久遠さんに頼むのがいいって。あ、私、倉科美緒といいます」

「はあ。」


みおちゃんね、と久遠は心の中で呟きつつ、

「で、力を貸してほしいというのは、なんですか?」


と訊いた。


「瀬名くんを助けほしいんです」


 男がらみか、とうらやましい奴だ。とそんな表情は一切出さずに久遠は考える。

「同級生? 友達かな? そっち関係の仕事となると、学生に払えるほど安い報酬じゃないんだけど……」

言い終わる前に美緒は右手に持っていた封筒を開き、中から一冊の預金通帳を取り出した。


「今はこれだけあります。後は……」


 そこで言葉が止まる。


「後は、何かしら」


 唐突に美緒の真横から、彩子が顔を覗かせる。

 ビクリと美緒の肩が震えた、そして、彩子の顔に一瞬クギづけとなる。

女の視線すら奪うその美貌だ。当然の反応ともいえた。


「あら、驚かせちゃった?」


 嬉しそうに、楽しそうに、彩子はそう言った。


「足音もさせずに近づかれりゃ、誰でも驚く」


久遠は彩子をそう言って黙らせて、美緒の言葉を待った。

彩子は美緒と久遠の顔を交互に見ながら、嫣然と笑っている。

美緒は瞳にしばらく躊躇の色が浮かばせていたが、やがて決意の表情を久遠に向け、


「あ、後は、どんなことをしても必ず用意します」

と、言った。


久遠は、「はあ」と呟いて頭を掻いて、美緒から渡された通帳を開いた。

その残高は久遠の予想より多い。

調査だけであればこれでもお釣りが出るかもしれんが、怪しげな男の襲撃を考えるとずいぶん危険な奴らがその後ろにいそうでもある。と久遠は腕組みして考えながら、美緒の言葉を心の中で反復する。


 ―どんなことをしても用意します、ねえ。


危うくよからぬ妄想を想い浮かべそうになって、あわててその考えを心の端っこに追いやった。

顔をあげると彩子が、憮然とした顔で久遠を見ていた。

眼が据わっている。軽蔑のまなざしだ。

この女には心でも読める力でもあるのかと久遠は疑った。

久遠はあわてて美緒の方に視線を戻す。

そこには美緒の不安げな瞳が揺れていた。

こんな瞳で見つめられれば、無碍に断ることも出来そうもない。

最近、俺は女に甘すぎるのかもしれないと、久遠は心の中で嘆きながら、美緒の瞳にこう答えるしかなかった。


「とりあえず、話を聞かせてもらえるかな。全て、包み隠さず。こういう仕事は隠し事や嘘をついて都合の悪い事を隠す奴が多い。そういう仕事は請け負えない。報酬の話はそれからということで」


 美緒は大きく頷いて、

「全部話します。よろしくお願いします」

 と言って、ゆっくりと語り出した。



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