秩序
「秋葉の方はだめだった。やっぱり、かなり正確に作図して丁寧に切ったものじゃないと、換金はされないみたいだよ」
残念像な表情を覗かせながら、四谷が言う。けれども、その手にはしっかりと紙幣らしきものが握られていた。もちろん模造品だろうけれど、とにかく得点の稼ぎ方が分かったことは収穫になる。
「おい、垣内、ちょっと相談なんだけど」
ちょうどそのタイミングで、僕たちの島は来訪者を迎え入れた。声の方に視線をやると、その人物は数少ない僕の知った顔だ。
「滝川、どうした?」
親し気な笑顔を見せて垣内が応じる。
「さっき、紙束をそっちに工面しただろ? 実はこっちの島にはペンとハサミ以外製図用の道具が一つもないんだ。全部とは言わないまでも、余りそうなのをいくつかこっちに貸してくれないか?」
滝川が机の上を指差す。そこには、現在は製図に用いていなかったコンパスと、既に僕が作成し終えた、カット前の正六角形の図面があった。
「ああ、そういうことなら」
おそらく、垣内の友人と見たのだろう。助け合いの精神で、光井がコンパスに手を伸ばすけれど。
「ちょっと」
垣内がその手を制した。直後に、僕に視線を合わせる。
「いいと思うか?」
「あぁー」
その問いに、僕は迷わざるを得ない。しかし結局は率直な思いを口にした。
「今それを渡すのは得策じゃない。でもさっき、紙をもらって来てるなら何かしらのお礼くらいは……」
「やっぱりそうだよなぁ」
垣内も唸り声を上げる。僕が何も説明していないというのに、彼は既に僕の考えを把握したと言うのだろうか。
「まあ、妥当なところとして、こっちじゃないかな?」
ぺらりと僕は、正六角形を一面に敷き詰めた一枚の紙をつまみ上げた。
「ああ、なるほど」
頷いて垣内は僕からその紙を受け取る。
「なあ、コンパスくらい使ってないならいいよな?」
僕身内のやりとりを静観していた、滝川が焦れたように言う。無邪気なように見えて、彼は彼で、まだ皆が何も把握していなかった際に「垣内に紙束をいくつか手渡した」というなんでもないような事実を、立派な一つの貸しとして利用している。
「コンパスはちょっと、無理だなぁ。後で使うんだ。代わりと言っちゃなんだけど、これをやるよ」
「いいのか?」
ちらと、視線を向けて滝川が問う。
「もちろん。でもこれで貸し借りはもうなしだ」
「わかったよ」
彼が背をむけるの見て、僕はほっと一つ息を吐いた。隣の島で、帰還した滝川に早速声を掛け合うメンバーが視界に入った。少し、賑わっているようである。
その光景を同じように目にした光井が口を開く。
「よかったのか? せっかく製図を終わらせたところだったのに」
「まあ、先を見据えて、な」
またしても意味深に垣内が白い歯を覗かせる。
「ねえ。いい加減教えてよ。さっきの貿易ゲームって言葉といい、今の行動といい、垣内と秋葉は何か思うところがあるんでしょ?」
そしてとうとう四谷が直接的な疑問を口にした。彼は同じ島の住人なのだから、そろそろ仮説を共有してもいいころだろう。
さっと、垣内に視線を送ると。
「はっ……。なんで俺を見るんだよ。言い出したのはお前だろ」
その言葉に光井と四谷の視線が僕に集まったものだから。仕方なく僕は口を開く。
「これは、単なる仮説だから。信じる信じないは各自で決めて実際の行動規範は垣内に任せてくれ」
こくりと二人が頷いて、垣内は苦笑いを見せた。
「まず、このグループワークが人数的にも資材的にも決して公平とは言えない状況でスタートした理由だけど……」
人の前で自らの考えを子細に話すことなどいつぶりだろうか。緊張した僕はゆっくりと言葉を切りながら話をするしかなかった。その間垣内たちは手を動かしてくれている。
「それはおそらく、この場の状況をデフォルメした世界情勢に見立てるためだと思う」
「デフォルメ?」
「世界情勢?」
同時に語尾を上げた呟きに対して、垣内が捕捉する。
「ああ、つまり今この場に設定された島は世界の国々だ。そこにはその広さに応じた住人……つまり国民がいて、島によっては紙と言う資源が存在して。それにまた別の島には、その資源を加工して金に換える技術がある」
たまたま使用していた三角定規を顔の高さまで持ち上げながら垣内が言う。
「そう。運よく国民にも、技術力にも資源にも恵まれた島なら自力でポイントを稼ぐこともできるけど、一国だけじゃ高が知れてる。人が少ないなら単価の高い売り物を用意しないといけないし、技術があっても資源が足りないならどこかにその技術を売って資源を買わなきゃいけない。つまり何が始まるかというと、資源や技術のトレード」
「それが貿易、ってわけかぁ」
こくりと僕と垣内は頷く。そのまま続けた。
「そのトレードにもいろいろパターンが生じる。分類の仕方は様々だと思うけど、ひとつ礼を考えるなら、さっき垣内と滝川がやってたみたいに、互いを支援し合うべきだと言う考えの下、必要なものをシェアするパターン。これだと、どの島も公平にポイントを稼ぐことができるだろうし、島間で大きな差は生まれない」
「さっき俺が紙束を引っ張ってこれたのはつまり、外務大臣の外交手腕的なもんだな」
僕はその垣内を一瞥しただけで、何もコメントを加えない。これからもこの先も、僕は決して外務大臣には向かないだろう。
「もう一つは、完全にビジネスライクな付き合いをすることだ。幸いにも今は各図形ごとに金額が設定されているから、それをもとに、資源となる紙にも、生産技術となる製図用品にもおおまかな値段を付けられると思う。どの島もこの方法をとり出すと、戦略によっては島間に大きな格差が生まれるはず……」
「だったら、資源や技術はシェアした方がいいんじゃ……」
「だけど、それじゃ島間に差がつかない。それに、シェアってのは大抵資源や時間をロスするもんだから、最終的にこの研修室全体が生み出す利益を考えれば後者の方が大きくなるはずだ」
「うぅううん。利益と言われてもあまり実感が……。差が少ない中でも金額で順位はつくだろうし、それをわざわざ競争の激しい展開に持っていく必要があるのかな?」
四谷の発言。今度は垣内は頷いた。
「まあ、お前の言ってることもわかる。だからこそ、秋葉。お前はこのゲームの意図を知った上でどう動くべきだと思う?」
まっすぐな垣内の視線だった。もしかするとその点に関してはまだ、彼でさえも迷っているかもしれない。
これから同期として共に働いていくことを考えれば、一年目の研修の、ほんの小さなゲームだけれど、無為に鎬を削るのは得策ではないかもしれない。けれど。
「神宮寺さんは僕たちに資本主義の原則を体験してほしいと言った。そこにどういう意味があるのかは分からないけど。正解は、競争を激しくしていくことだと思う。もちろん、抗争や口論による資源と技術の奪い合いは不適だろうから……」
ようやく結論を告げることができることに、僕はほっと小さく胸を撫で下ろした。
「秩序を有する資本主義社会を、この研修室内に築くことができるかどうか。それを僕たちは試されているような気がする」