不鮮明
「さて、みなさんようやく席に着きましたね。今日は私がみなさんを担当します。神宮寺です。よろしく」
にこりと、愛想のいい笑顔を覗かせる。もっとも愛想がいいなんて、新入社員から思われていることを知ったら彼女は不本意かもしれないけれど。益体のないことを考えていると、ふと視線を感じて、僕は隣の島の滝川に見つめられていることに気付いた。
あの様子を見るに、先ほどの行為が彼の気分を害したようではないと思うけれど、人の視線にさらされるのが僕は苦手だ。
「では、今日のグループワークの説明を……。と行きたいところですが、これから何が始まるのか。それは今から、は君たち自身で考えてもらいたいと思います」
え、と多くの新入社員達の間に動揺が走る。
僕たち自身が考えるとは一体どういうことなのか。
「という訳で、私からの説明は必要最低限に留めます。それを聞いた上でどう行動するかは、君たち次第というわけです。よろしいですか?」
よろしいですか、と問われても。合意しなかったところで僕たちに選択肢はないのだろう。曲がりなりにも熾烈な就活戦争を勝ち抜いた新入社員たちは、戸惑いながらもそんな風に考えて、ぱらぱらと誰からともなく首を縦に振っていた。
「よろしい。ではまず、君たちはこれから世界の縮図、資本主義の原則を体験してもらうということを意識してください。今、机を向かい合わせていくつかの島を作ってもらっていると思いますが、同じ島の面々は今日この時間に限っては運命を共にする仲間になります。別の島の人たちは、そうですね……。敵、と見てもいいかもしれませんし、共闘相手、と考えてもいいかもしれません。けれども、一番に優先すべきは、自分たちの島の利益だということは忘れないでください」
社員たちの間にますます困惑の色が広がっていく。どうにも説明が要領を得ない。けれどもヒントは提示された。資本主義の原則。優先すべきは自らの島の「利益」。
「さて、そろそろルール説明も大詰めですね。これから、ゲーム開始の合図のみを私が行いますので、そこからあなたたちは用意、ドンで競い合ってもらいます。三時間後、最も利益を得た島が優勝。今日のお昼にささやかな景品が出るかもしれませんので頑張ってくださいね」
そこまでを言い切ってから、神宮寺さんは手元のタイマーをピピピと操作する。どうやら既に、今三時間を設定したらしい。そして、にこりと再び先ほどの愛想のよさそうな笑みを見せると、告げた。
「さあ、準備はいいですね? それでは……」
「え!? あの、ちょっと、すみません。まだ本当に何をすればいいのか分からないのですが……」
思わずといった様子で研修室前方に腰を下ろしていた、真面目そうな女性社員が口を開く。
「はい。ですから、今回のグループワークはそういう性質のものですと事前に説明しましたよ」
不思議なもので、同じ笑顔でも台詞の内容如何で、見る者に与える印象は随分異なるものだ。うっ、と一瞬質問をした新入社員が言葉を詰まらせた。新人研修担当を任される先輩社員たちは皆、ひどく優秀なのだろうと僕は短く息を吐く。
「いいですか? これからあなたたちが取り組む仕事の中で、いつも明確なルールや目指すべきゴールを誰かから教えてもらえると思わないでください。ともすれば、ルールも正解もない場合だってあるのです」
やや強引な物言いではあるけれど、僕たちはきっと何かを試されているのだろう。そして、それは僕が想像するに、誰が勝ったか負けたかという競い合いを行う前に、どうにかして、今僕たちが共有している空間に。つまりはこの小さな世界に、秩序を築くことができるかどうかという点ではないだろうか。
そうして、そのためのヒントが世界の縮図と資本主義。
「状況をよく見て考えてください。何のルールもゴールもヒントもないなんて、いきなりそんな意地悪な課題を課すつもりはありません。今あなたたちの目の前にどんな道具があって、張り出された情報には、何が記されているのか。……あっと、少し説明が長引きましたので……」
ちらと、時計に目をやってから。神宮寺さんは、ぺろりと自らの唇を一度舐めた。
「それでは。課題、スタートです!」
ピピッ、と短い電子音が静かになった研修室に響いた。