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課題

 初対面の人物同士特有の空気感を漂わせながら、ぺこりと僕は会釈をした。同じ机を囲むのは六人。信頼できる者同士で班を編成するよう指示された僕たちは、全くそれを達成できていないと言える。


 なんとか自己紹介だけは終えることができて。生来人の顔と名前を一致させるのが苦手な僕だけれど、このときばかりは必死に全員の顔を頭に入れた。


 営業の柴田、販売戦略の宮下と小山。財務の森。生産技術の今田に、研究開発の僕。小山と森は女性、うちショートカットの方が小山。柴田は眼鏡の短髪。今田は明るい茶髪で痩身。残りが宮下、と失礼な呪文を念仏のように唱えて、それを三度ほど繰り返したところで辞めた。もっとも、だからと言って他のメンバーが僕のことを覚えたかは分からないけれど。


「所信表明は済みましたか? では、早速、今お配りした社用のノートPCへ、自らの社員番号でサインインしてください」

 支給された、想定以上にハイスペックなノートPCを立ち上げて、皆が一斉にキーボードを打ち始める。その様子を満足そうに、壇上の小澤さんが睥睨している。


「さて、みなさん準備は済んだようですね。初期設定は既に完了しています。まずは、メーラーを開いて私から受信したメッセージのリンクを踏んでください。明日から皆さんに取り組んでいただく企画立案課題の詳細資料を格納しています」


 東京都S区における化粧品および医薬部外品シェア率No.1企業を目指して。一番初めに目についたのはそのようなタイトルのPDFファイルだった。それを各自閲覧するよう指示される。


「まず一番初めに、注意事項です。今皆さんが閲覧している資料は社外秘のものになります。プロテクトがかかっているので口頭で説明する必要はありませんが、ダウンロードも印刷もできないようになっています。スクリーンショット等の機能によって資料の持ち出しを行ったことが発覚した場合には、厳罰が課されます」

 少しだけだけれど、研修室内がざわついた。新入社員で未だ研修中の僕たちに、そんなもの閲覧する機会を与えていることからも、会社の力の入れようが伺える。


「資料を見れば、あなたたちに考えていただく企画の内容は全て分かるようになっていますが、概要を説明しておきます。スクリーンに注目してください」

 ステージ上に、でかでかと企業ロゴが映し出され、小澤さんが説明を始める。


「わが社の香粧品部門は現在、日本の化粧品、医薬部外品において売り上げから算出される消費シェア率で、同業界の大手三企業と競合しながらもなんとか一位を守り抜いています。しかし、二位のKO社、それ次ぐPA社との差はごくわずかであり、地域によっては、その順位が入れ替わることもあります。そして、これは現状ある問題として、特に東京都のS区においては、PA社と五パーセント程水をあけられ二位となっています」

 日本全国における化粧品、医薬部外品の企業別シェア率を示す円グラフが示されていた。今紹介された大手三社は全体の約六十パーセントを占め、それぞれが、二〇パーセント程度を分け合う形だ。


 次いで示された円グラフは東京都S区のもの。その地域ではなぜか、全国では売り上げ三位のPA社の売り上げが二五パーセントとトップに位置している。


「PA社は近年の成長が著しく、このように一部の地域での急速な売り上げの上昇がそこに貢献していることは間違いありません。現状全国売上での逆転が起こることはないと予想されますが、少しづつその差は小さくなっている。そこで君たちに求める企画は次の通りです」

 一度、小澤さんが言葉を区切る。ばっと、スクリーン上の文字が入れ替わり、ごくシンプルに、要点のみを文字に起こした画像が映し出された。


「S区における化粧品、医薬部外品の売上シェアトップを、三年以内に奪還するための企画」

 おそらく、そこかしこで同じ班の新入社員同士が顔を見合わせていることだろう。僕に関して言うのであれば、課題の内容が、余りに具体性を帯びていている点に少々面食らっていたというのが正しいだろうか。


「いいですか? 法に抵触せず、かつ役員を納得させられるのであれば、何をやっても構いません。計画段階ですからね。うちの既存事業に囚われる必要もありません。ただし、我が社の強みが何であるかを理解し、それを活かすことができる事業。そんな企画を打ち上げてください。それらは最終的に私たちの前でプレゼンしてもらうことになりますが……。私たちは、熱量だけではなく、成功のロジックをきっちりと備えた企画を求めます。そのために必要な情報は、あなたたちに既に与えられています。もう一つのファイルも開いてください」


「すごいな……」

 指示通りにファイルを開き、僕は思わず小声で呟いていた。それは、東京都S区における子細なマーケティングレポートだった。おそらくインターネット上の総務省管轄のウェブページで閲覧可能であろう、男女や年齢別の人口構成から始まり、種々の消費者動向指数、住民約二千人を対象に実施された日用品購入、使用におけるアンケート結果、近年のトレンド、果ては特定の小売店における一人当たりの消費金額の平均値まで、膨大な量のデータが約八十ページのテキストファイルにまとまっていた。


 確かにこれは、社外秘であることも頷ける。


「今閲覧している方には分かるでしょうが、そこには膨大な情報が記載されています。それらは明確な事実です。ですが、その事実から君たちがどんな仮説を立て、そこにどんなふうに根拠を付与できるのかという点においては個性が出るでしょう。そして、その仮説を前提に置いた時、君たちがどんなアイディアで現状を打破しようとするのか……」

 僕は改めて冒頭から、それらのデータを見直してみる。


「我々がわざわざ、君たちにこの課題を課した意味を考えてみてください。是非、私を含め、役員の方々をあっと驚かせるような新しい風を吹き込んでください。私は今から三週間後を、とても楽しみにしています。そんな、君たちが吹かせる新しい風と、我が社が築いてきた確かな伝統が融合すれば、私たちはまだまだ先へと進めるでしょうから」


 その言葉を以て、小澤さんの説明は終了した。この後は、各班が二つの研修室に分かれ、プレゼンを行う上での子細なルールを説明されるらしい。


 それにしても、このマーケティングレポート資料は。


 情報の種類や掲載順、さらには僅かに添えられた説明文からは、ひしひしとその作成者の意図を感じる。データから組み立てる仮説には個性が出ると小澤さんは述べたが、大まかな方向性としては「正解」が存在していると考えるべきなのだろうか。


 そこまでで一旦思考を止めて、僕は先輩と思われる社員の指示に従うことにした。小澤さんからの指示で、起立と移動を求められている。ここからがようやく研修本番といったところなのだろう。


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