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誘導

「さあ、急いだほうがいい。アドバンテージがあるとはいえ、そろそろ切り始めないと換金に間に合わないから」

 先ほどからひたすら円を製図していた紙を一枚持ち上げて、僕は手を動かす。

「わかってると思うけど、とりあえず正六角形は製造中止だ」


「いや、分かってると思うけどって……」


「正直よく分かってはいないな」

 四谷と光井の声が重なった。垣内は一人冷静に、研修室前方の換金レートを見つめていた。正六角形の値段のみが、いつの間にか変化している。


「……そういうことか」

 そして、ぽつりとつぶやく。

「秋葉、もしかして予想してたのか?」


「いや、予想していたというよりは。そういうこともあるかと視野に入れていただけだ」

 このグループワークは確かに普通ではなかった。明確なルールを伝えられていないし、それを通じて何を学ぶのかもはっきりしていない。だけど、わざわざ隠されていたルールは、蓋を開けてみれば皆が簡単に適応できるもので。実際に三十分もすれば、全ての島が一定の活動パターンを確立させていた。


「けど、この研修室がこの状況に至るまでには、いくつかのプロセスを踏む必要があっただろう? 予想というより、誘導、に近いのか……?」

 

「いや、買いかぶりすぎだ。手を動かすぞ」

 けれど、三時間にも及ぶグループワークのルールがそう単純なものだけだろうか。それではあまりに学びがないと、僕は思う。


「まあ、その意見には賛成だけど」

 納得はいかない様子で垣内も、円の生産に入る。さくさくと皆が集中してハサミを入れる音は僕にとって心なしか心地よい。


「まあ、考えてみればあり得る話だよな」

 

「な、何が?」

 作業中の垣内の言葉に、光井が疑問を返す。


「換金レートの変化だ。貿易、それに資本主義的な考え方を学ぶならそのルールはないといけない」


「えっと、どういうことか説明してほしいんだけど」

 今度は四谷が問い返したけれど。垣内は口を開かなかった。その代わりに、無言のまま顎をしゃくって僕の台詞を促す。


「僕たちの正六角形の大量生産技術が研修室に流出して、約一時間。今市場には正六角形が溢れているだろ?」

 仕方なく僕は口を開く。

「生産が難しくて希少だったはずの六角形は今や各島が在庫を抱える程凡庸だ。競争のある社会の中じゃ、そうなってしまったものは安価になっていくしかない」

 研修室前方の換金レートは、正六角形のみ、値段が一六〇〇から、四〇〇ドルにまで値崩れしていた。供給過多といったところだろうか。


「多分秋葉は、換金レートの変更がこのゲームの裏ルールの一つだって気付いた上で、俺の技術を色んな島にリークして、市場に正六角形を溢れさせた。それで、値崩れが起きそうな直前で、自分は悠々と安定価格の品への生産に路線変更を試みていた」


「えっ? それってつまり今の状況全部が秋葉くんの想定通りってこと?」


「いや、だからそれは買いかぶり過ぎだ。途中から円の製図を始めたのも、一品だけの生産体制は少しリスキーかと判断しただけで。ただのリスクマネジメントだよ」


「だけど、価格の変更があり得るということを想定していたのには違いないだろ?」


「いいや」

 まっすぐ鋭い視線をこちらへ向ける垣内にたじろぎながらも僕は頷く。実際のところはもう少しだけ確度の高い予想だったけれど。今後を考えると僕は目立ち過ぎない方がいい。


「まあ、そこまで頑なに否定するなら、いいけどさ」

 切り終えたきれいな円形の紙を束ねて垣内は立ち上がる。これだけの量を換金し終えたならば、もう僕たちの班の負けはないだろう。


「はい、ゲーム残り時間はいよいよ十分です」

 それとほぼ同時に神宮寺さんの声が研修室に響く。ちらと、滝川の島に目をやると島民の一人はコンパスで円を作図していた。おそらく、いち早く正六角形の生産技術をリークされた彼らは、その価格が崩れてしまう前に十分な資金を得たらしい。


 資源はもともと潤沢だったのだから、後はある程度の資金でもってよそから技術を買ったのだろう。ほっと僕は一息をつく。技術リークのタイミングは半分勘のようなものだったけれど。


「ほら、換金終わったぞ。これで総額はざっと、五〇万ドルくらいか?」


「ありがとう。大体そんな感じだね。隣の島も四〇万くらいは稼いでそうだけど」


「まあ、今から逆転はないな」

 帰った垣内を四谷と光井が軽い調子で出迎えた。けれどもそこで垣内は腰を下ろさず、じっと僕の顔を見つめたまま動きを止めている。


「どうしたんだ?」


「こういう時は一緒に戦った仲間を労うもんだろ?」


「いっしょに戦ったって。そんな大げさな」


「お前はそんなだから、いつまでも一人なんだぞ。勿体ない」

 それが真意かと、僕は開きかけていた口を止める。確かに僕は人付き合いを苦手にしているけれど。このまま誰とも知人になれないまま研修期間を終えては、これからの社会人生活に支障を来すだろう。


そのくらいの分別は、僕だって備えているつもりだ。


「わ、分かったよ」


「おう。それで?」


「……お疲れ、国王さま」

 たっぷり三秒程言葉を選んでから僕は告げる。


「お前なぁ……」

 呆れたような声を垣内が漏らすが、すっと掲げられたその右手に自分の左手を打ち合わせる。パチンと乾いた音と同時に、ちょうどゲーム終了のタイマーが鳴った。


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